私はまだ休職中である。流石に5月から半年間のお休みは人生の夏休みが大卒の自分にとって2回目に訪れたのではないかと感じさせてくれる。 ただコロナ禍とお金が尽きてしまったいる私には、少々学生のような紐じい休職期間になってしまっているのは事実である。 そんな中、お別れの彼君はお別れしない可能性が出て来たが、大変な状況であるのは変わりないようで、頭が整理できない状態であった。 ただしかし、そんな彼君を見ていると、一言、人生を進ませていると感じた。揉めている様子もあった、もちろん
そうだあっという間に8月も終わりに近づいた。 お薬の影響もあり落ち込むことがなくなった最近は、そろそろ復職か、と思って過ごす毎日だ。 彼からは毎日のように遊びの誘いがくる。うーん毎日はよしてくれ、そんな想いに駆られているこの頃である。 時々は断っているのだが、なんだか申し訳ない。でも毎日会うと話さなくて楽しい時間を過ごせなくなる、つまり会話をしなくてもいい関係になるのがどうしてもいやで断るのだ。 彼には言われた、今のうちに会っておこうよと。 私は距離が近くなりすぎた
世間ではお盆という一年でも纏まった休暇が取れる時期がやってきた。お墓参り、親戚との顔合わせ、はたまた旅行や、レジャーを存分に楽しむそんな時期だ。 まだまだ私が止まっている時間は続いている。休みが長いとどうも曜日の感覚もずれるし、日付の感覚もずれていく。大丈夫かと自分に問いかける日々が続いている。 さて彼との別れは、半ば定まったものだった。彼は関東出身である。バイトで意気投合して、沢山遊んだ。遊んで行く内に、彼が関東出身である事等、人生であったことを様々話してくれた。それは
コロナの患者が関東では増えたようだ、 彼の予定は変わる、この不安定なご時世である。延期が絡んでくるのは個人の予定だけではないようだ。 ただ彼はもう行っていると言った。会話をしている内になんだか行かないのではないかと彼には失礼ながら思ってしまう。 私は今訳あって人生が止まっている感覚に陥っている。彼との会話の中から、他人もそうだけどもっと大きな世の中は時間と共に進み変化しているのだと。 進んでいる世の中と止まりすぎている自分に少しばかり軋轢とギクシャク、虚無感、焦りそん
関東へ帰る彼は相変わらずの1日を過ごしていた。 この話題は短めのいわば序章のサブページ 広島に転勤してからの一人暮らしの家は借りてもうすぐ9ヶ月だがそろそろ引き払わなければならない。 彼が私が広島に帰るのを心待ちにしていた。そして私の一人暮らしの1Kで遊んだこと、泊まった事、昼まで寝込んでしまったこと。 彼との距離がグッと近くなった。なんせ1週間に一回もない程度に遊ぶ仲。彼もこの家を気に入っていた。 なんだか距離感が生まれる気がしてしんどい。 何度も泊めて、行って
人生とは出会いと別れの連続、そんな言葉がある。数多の人と出会い、数々の人と別れる。そうして私を含め世の中の人は人生を謳歌している。 そんな言葉がピンと来なかった25歳の自分に、社会人となって2回目の仲間と別れる時期に当たった。 丁度2年と半年前、1回目の別れの時だ。仲の良かった後輩君と別れる時と思いを重ねる。後輩君は四国出身で就職を地元でした関係で、別れることとなった。当時私は社会人1年目で岡山へ配属となり、地元を離れ一人暮らしをしていた。その頃は後輩君と頻繁にラインをし
あの時の彼の魂 について書き記す。 私は中学から陸上部に入り長距離ランナーとして日々練習に励んでいた。周りからは私が陸上部という事でバカにはされてはいたが、日々の練習、部活動には満足していた。 しかしながら、長距離走の部員の中でも練習についてからない人もいて、無理せず休みながらやっていた。 そういう間にもその人を含め強くなっていくもの。レベルが高くなり、みんながみんな練習をこなせるようになっていったのだ。 そんなある日、あるグループ決めでの出来事である。私が先に約束し
幼稚園、小学生の私は運動神経もなくみんなから運動神経の点で劣っているダメな奴と評される人だったに違いない。 当時の担任のI先生は気さくで、なんだか教師ではないような先生だった。ある日その先生がみんなの未来を予想してあげるといい始めた。興味を持った私は一目散に手を挙げた。すると先生は白紙君はこれからの未来は予想出来ない。と一番手の回答を答え上げた。 他のみんなにはそれぞれ予想を答え上げていた。 そんな運動音痴である私が陸上を始めるきっかけになったのが中学の部活である。中学