あの時の彼の魂

あの時の彼の魂 について書き記す。

私は中学から陸上部に入り長距離ランナーとして日々練習に励んでいた。周りからは私が陸上部という事でバカにはされてはいたが、日々の練習、部活動には満足していた。

しかしながら、長距離走の部員の中でも練習についてからない人もいて、無理せず休みながらやっていた。

そういう間にもその人を含め強くなっていくもの。レベルが高くなり、みんながみんな練習をこなせるようになっていったのだ。

そんなある日、あるグループ決めでの出来事である。私が先に約束していた人達とグループを組んでしまった為に部活動の仲間が機嫌を悪くしてしまったのだ。先着の約束を優先するのが普通だと思うが、彼には納得がいかなかったらしい。(そんな人は友達ではないが)

そこからというもの彼が練習をサボるようになりつられて私もサボってしまった。『約4ヶ月の間練習をしない』そんな時期を過ごしてしまった。日に日に罪悪感が溜まっていく感じがして楽しいけど気分がものすごく悪かった。

そんな中、真面目に練習する仲間を見て思った。

真面目に練習しないとダメになるし、ダメなんだ。自分も陸上の練習がしたい、そんな風に思った私はその仲間と陸上の練習を引退までした。 が、しかし、私には自責の念、後悔の念が残った。

引退から授業を受ける身になって更に考える様になった。あの時のサボった4ヶ月間に練習すれば何か得られるものがあったんじゃないか?、もっと強くなれたんじゃないか、そんなふうに。音楽の授業でみんなで歌を歌う時、これから進学する高校の方向を見ながら考えた事もあった。

そんな中、自転車で下校中に私の住んでいる小学校区に入った時、同じ小学校区の友達からこう言われた。「俺は高校行ってもこれまでやっていた野球部に入るで、野球をやり通すつもりでおる」その言葉に、ふと背中を強く押された気持ちになった。

割とその言葉がきっかけで高校は種目は変えたものの陸上をする事にした。

高校に上がると共に、中学で陸上をやっていた者はほとんど陸上から離れていった。そんな中同じ高校に1人、別の高校に一人、陸上を続けていた。

別の高校に進学した彼とは大会でしか会って話ができなかった。大会では、続けていることが単純に嬉しくよく話しかけていた。

それから私の高校の部活では、教育方針の影響か感謝という言葉をかけられるようになってきた。しかし私は無礼承知ではあるが、感謝ばかりでは自分のやりたい事ができない気がして、何も報われない気がして、何しろ自分の後悔の借りを返すことができないと感じて、少し納得できなかった。

しかし、組織に属すると染まるものではある。いつしか自分の意図もしない時にも感謝の言葉を平気で使うようになってきた。ただ、感謝の言葉を軽く使うことには少し抵抗があった。そんな中、大会で彼のレースを見た。

彼はお世辞にも早い選手ではなかった…

彼はたった10秒、30秒で終わるレースを必死に前を見て駆け抜ける姿を私は目の当たりにした。なんだか、これまでのモヤモヤが払拭された。感謝するという行為で、努力しない何かを許してもらう為に言うものなのではないかと。そんな必死で走る彼を見て、そんな横文字をいくら使って社交辞令を学ぶよりずっと、走る姿を目に焼き付けておきたくなった。

そんな彼からは誰かに感謝などしている姿など見たことがなかった。

彼からは、やらなかった後悔から逃げないそんな気持ちを感じる事ができた。

もしあの時からの走りを見なかったら、感謝の言葉ばかり口にして、努力をする、折角お金を叩いてくれた親に部活動の成果で恩返しをしたりするという、最も大切なことに気づくことが出来なかった。

何より人の為ではなく自分の為に陸上をするということにも気づくことはなかっただろう。

同じ3年という期間でまたやらなかった後悔をしないという気持ちを改めて確認することができた。

そして私は無事に3年間部活動をサボらずやり遂げることができた。そして彼をみて、全力でやった努力のおかげで全国大会に行くことができたのだ。これは自分にとっても変え難い自信になった。つまり過去のダメだった自分を乗り越えることができたのだ。

後悔をしてしまう事が多くある、それは小さい事大きい事大小それぞれあると思う。中にはそんなこと後悔しなくても大丈夫なこともある。でもこの後悔だけは返していきたいというものもあるだろう。その中でもこれから生きていく上で取り返しておかねばならない事がある。ただ過去には戻れず、歯痒い思いをすることも多い。

前を向いて突き進んでいくと、また同じ場面に遭遇することもある。その時に学んでそれを生かしたり、時には壁を再び乗り越えたり、はたまた我慢したりと次に生かしていくことで、大小それぞれであるが、さらなる成長進化をしていくのだろう。

私が中学生の頃に、後悔という感情に気づけた自分には大いに褒めてあげたい。しかし、本当に偉大なのはその感情を覚え、乗り越える努力をした高校生の自分であると今になると思うようになった。

引退を決意して勉強に専念することにした際、部活動の仲間には、日頃からそのこともありきつく接してしまっていた。引退の挨拶の際に経緯を全部話した。最後まで頑張る仲間を見て放って置いてはおけず、後悔のない陸上をしてほしい、と言い最後のエールを送った。



#部活の思い出

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