トラウマ・ケアと日本の自然
私は大学院までアカデミックな自然を研究してきました。でも最近はメタフィジックスで情緒や哲学、神様といった感覚的なもので自然を観る方が楽しいのです。
博物学というのは、本来、西洋からやってきた学問ですが、日本人は本来、日本の自然を学問的ではなく、信仰や思想と結び付けて、形而上学で捉えていたのだと気が付きました。
欧米と違って、日本人は博物学を大事にしません。例えば、国立科学博物館に収蔵されている数多くの標本も何の価値があるのか?国民は知らないし、役人もお金にならないと軽視しています。だから、日本の自然科学は欧米に比べて非常に遅れていることを残念に思ってきました。
でもそうではなくて、博物学が「日本人的」ではないために、馴染まないのでしょうね。
以下の写真なら、左から、ワスレナグサ、カタクリ、フクジュソウ、ネモフィラ と種名や学名で私は、学問的に捉えてきましたが日本人は、「美しい」というような情緒(心)で自然を捉える民族なのだと思います。(記事は以下に続く)。
自分の専門分野から離れて、別の視点で自分が関わってきた分野を見ると新しい発見がある。学問は分けてはいけない、ということが最近、よく実感できるようになりました。
科学を大学でやると、信仰など形而上学の話がオカルトに感じやすくなりますが、メタフィジックスとサイエンスのどちらも考えないと「全体」が見えてこない。これは当然ですけど、科学は、「わかる」ところだけ観察して「わからないところ(目に見えない世界)」を観察しませんから、科学だけでは「全体」が見えなくて当たり前なのでしょうね。
複雑性PTSDやPTSDも、近代科学が否定してきた形而上学や、シャーマニズムにような日本人が失ってきたものの中に答えがある気がしているのです。
※虐待の後遺症(複雑性PTSD)については、以下の書籍にまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生との対談・監修つき。