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おいしいほど、引き寄せる食事 | 莉琴

今年も夫が東京マラソンに出場した。
スタート地点へ向けて早朝に家を出る際、ちょうど起きた子どもが話しかけ、体を重く布団に沈ませながら、わたしはそれを遠くに聞いていた。

数時間後に起きてダイニングへ行くと、テーブルの上になにかの説明書があった。
各出場者の走行位置を見られる《応援アプリ》のQRコードが印刷されたもので、余白に5桁くらいの数字が手書きで書かれている。
「ゼッケン番号を入れるとマラソン中の様子が見られるよ」ということらしいが、そのままにしておいた。

「これなんて書いてあるの?」
しばらくして説明書を見つけた子どもに尋ねられた。
「お父さんがどこ走ってるか、わかるらしいよ」
「そうなの?!見たい、見たい!」
「アプリ入れなきゃいけないんだって」
「早く入れて!」
勢いに押され読み込んで手書きの番号を検索すると、地図上にマル印が現れた。

「このマルがお父さんで、今[20]の近くを走ってるんだって。朝からもう20キロ走ったっていう意味だよ」
アプリの地図を見せながら説明すると、
「…お父さん がんばってほしい…」
なぜか切ない顔で訴えかけるように返された。
つられて真剣な顔で、そうだねと答える。
「応援メッセージも送れるって」
「え!送りたい!」
「写真も付けられるって」
「付ける!」
答えながら、もう顔の横でピースをしている。
アプリユーザーのお手本のような姿に対し、走行位置に露ほども興味がなかった自分を省みた。


午後の習い事から帰って来た子どもに急かされてアプリを開くと、もう間もなくゴールという場所にマル印があり、数分後に「完走したよ」とメッセージが届いた。

その日の夕食ではヒーローインタビューさながら、たくさんの話を聞いた。
「浅草ではランナーに人形焼が振る舞われるって本当?」
「”にんぎょうやき”ってなに?」
子どもも重ねて質問する。

「マラソンって…なにが楽しいの?」
水泳やマラソンなど”呼吸苦しい系スポーツ”が苦手なわたしからはそもそもの質問がでてくる。
これまでもこれからも、決してフルマラソンになんて出場しない(できない)から、異世界の話に触れている気分だった。

フルマラソンを完走した夫、習い事へ行って来た子ども、家事をしていたわたし…今日一日まったく違う時間を過ごした人たちが集まり、同じごはんを食べる。
別々に過ごした時間を持ち寄り、それぞれの経験を分かち合い、食事とともに吸収しているようにも感じる。

それは家族に限らず、友人でも同じことだろう。
各々が過ごした時間を経験を知識を携えて集まり、互いの間に変わらず流れるものに頷き合い、毎度くり返される思い出話に笑ったり、近況報告に驚いたり励ましたりして、また別々の日々に戻ってゆく。
その真ん中にある食事がおいしいものであるほど、巾着の紐をぎゅっと結ぶように囲む人々の距離をぐっと引き寄せてくれる気がする。

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HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ
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