【餃子メシ】とうとう帰省した話と色々ごはんのお披露目
いまだにしつこく芋を揚げている私。
なんか成功したのよ!前回作った時はやっぱり失敗だったと分かった回。
infocusさんが作られていて、1cmくらいのものがよかったと教えてくださったので早速リベンジ。
男爵芋をレンチンし、一晩冷蔵庫で寝かせ1cm幅くらい厚めを意識して切った!今回はちゃんと澄ましバターにしてぶっかけた。
これが正解だ。皆さんが食べて美味しいとおっしゃっていたのはこれだ。めっちゃ美味しい!以前私の作ったものは厚みが足りず、外側のガリッバリの部分が中身にまで及んでいたので、中のトロリがない分、分厚すぎる堅あげポテトみたいになってしまっていた。
そして私事ではあるが、2020年1月以来、やっと実家に帰省した。歓喜!母も姉も変わりなくめっちゃ元気だった。
2人は糖質を気にしているので(故にとても痩せている)普段作らないらしいポテトをおさらいとして作って差し上げた。実家はキッチンをリフォームして綺麗で使いやすいし、調理器具も揃っているし、アシスタント(母)もいるので料理するのが楽しい~!
さて、レンチンして一晩冷蔵庫で寝かせた芋をカットして穴を開ける。
常温の油に投入し、中火にかけて放置。
おおおおおお!美味しそう!サラダエレガンス(美味しい粉)をまぶして、澄ましバターをぶっかけていざ実食!
食べかけ失礼。ザクとろり!これですよ!母も姉も手が止まらず、和えたボウルのまま一瞬で食べ終わった。(ガッツポーズ!)前はこの白い部分がなく全部茶色で本当に堅かった。
【研究結果】蒸すのかチンするのか、茹でるのかは大差ない気がするが事前の加熱は必須。冷やしは必要か否か?しっかり冷やしたらガリッと感が強かった(気がする)カットする厚さが最も大事だと思った。
お次は私が帰省できないでいた冬に習得した豚まんを披露。
粉を混ぜ混ぜ
まとめて発酵へ。
その間に、肉だねを準備。
そして、ここから母とウォーキング。母は最近毎日1時間半くらいウォーキングをしているそう。ルーティンの鬼なので、ルートも歩く道もすべて決まっている。ここら辺で水を飲む、まで組み込まれていた。我が母ながら感心する。
帰ってきたら完全なる過発酵だったが、問題ない。
肉だねを美しく包む。マジで上手すぎてウケる。
電子蒸し器を引っ張り出してきていざ蒸し!
15分後~!ほわわわわわ!
ザンっ!美味しそう~!プロですやん。
肉汁滴る、最高の豚まんの完成!またもや食べかけ失礼。ほんまに美味しい。
この後、悲劇が。3つ蒸して3人で食べて、父の十七回忌の法要を行った。その間残りのまんを蒸さずに放置。1時間後お墓から帰ってきたら乾燥防止に被せていた濡れキッチンペーパーがくっつき、まん同士も繋がって悲惨なことに・・・。
なんとか引きはがして蒸したらそれなりになったけど、久々に作ったので忘れていたが、一気に全部蒸しあげなきゃいけなかった。次はこの失敗をしないよう気をつけよう。皆さんもご注意下され!
ポテト用に購入した芋で、芋餅も作っちゃお!ってことで、潰した芋に片栗粉を混ぜてモチモチになるようにして、明太子とチーズを和えたものを詰めてまるーく成形。
じっくり焼いてカリもちトロ~リ!めっちゃ美味しい!実家っぽいお皿だ。
さて最後は手打ちうどん。こちらもステイホームの日々で作れるようになったのを披露!
細く切りすぎちゃったけど相変わらずなかなか美味しくできた
豚肉と葱とワカメのつゆで食べた。近所のスーパーが何肉でも異常に美味しくて、この豚バラも脂に甘みがあって最高に美味しかった。
と言った感じで、やっと再会を果たせた一番会いたかった二人に私がこの1年数カ月どんなデブ活(!)をしていたか教えてあげられて大満足(^O^)/
母のウォーキングに毎日ついて歩いた。近所なのに歩いたことのない道を歩き、へ~こことここが繋がって、ここに出るの!?って感じの発見をしたりした。
空に登っていくような道!
コスモスに曼殊沙華、紫苑、他にもたくさん秋の花が咲いていた。今日歩いていたら金木犀の香りがしたらしい。昨日まではしなかったので残念。1日1日秋が深まってるんだね。
3日間ウォーキングしているうちに稲刈りしている田んぼもあった。
今日歩いたら稲刈り完了してたと母から送られてきた。
この澄んだ水!子どもの頃より綺麗になっている気がする。ここでよく遊んだなあ。
足をちょっとつけてみた。とっても冷たくて気持ち良かった。日中は暑かったが、秋なんだな~。↓私の足跡。
山が迫ってくるようなこの光景が私の思い出の景色。
本当に何にもない田舎だけど、吸い込む空気は美味しいし、何より母と姉に会えてとても嬉しかった。
つい先月、祖父の末弟さんが亡くなったと連絡があった。これで祖父の6人兄弟は皆さんお亡くなりになった。
大叔父は神奈川に住んでいたので、いつかの祖父母の法事に来られたとき、ここへ来るのもこれが最後だから町を見て歩きたい、と近所をお供して歩いたことがあった。
ここ一帯はうちの一族の屋敷だったんだ、とか、川を眺めながら昔この岩から飛び込んで遊んだんだ、と懐かしそうに話してくれたり、天神さんの祠へ登る階段をまるで子供の様に軽快にぴょんぴょんと跳ねるように登っていく姿がまるで昨日のことの様に思い出される。
同じ風景もそれぞれの思い出と共に巡ればまた違って見える。大叔父が子どもだったのなんてもう80年以上前のことなのに、色んな事を鮮明に覚えていらして驚いた。会社員時代転勤が多く海外で生活されていたこともあったと聞くが、それでも故郷というのはかけがえのないものなんだなとあのとき改めて感じた。
母は生まれ故郷にずっといるが、その兄姉は皆地元を出てしまい、いつか大叔父と同じようにあの町に帰るのが「最後」になるときがくる。私だって出ているので将来どこにいるか分からない。
少し帰らないうちに、あれ?ここって空き地だった?あの家崩したのか、とか、この家は誰の家?と新築の家が建っていたりする。
でも自然の景色はほとんど変わっていない。山も川もいつでも町を出た私たちの帰りを待ってくれているなあと思う帰省だった。
おわり