バカとは付き合うなを読んで
キングコング西野さんと堀江貴文さんの共著バカとは付き合うなを読んで感じたことがあったので書き留めておきます。本書ではいろいろなバカが取り上げられていましたが自分もバカになっているときがあるなと思いつつこういうバカ周りにいるよなと思ったわけです。特に共感できたバカは以下のバカでした。
1.従順さと我慢を美徳だとするバカ
日本には多かれ少なかれ従順さと我慢を美徳とする風習があると思います。しかしこれは時代錯誤で思考停止したバカが振りかざす悪しき風習です。石の上にも三年だとかそれにより利益を被る人のポジショントークにすぎません。ことわざはそれにより利益を得る人のポジショントークに過ぎないのでしっかり自分の頭で考え本質的に機能することなのかは吟味する必要がありそうです。従順さと我慢を美徳とする風潮は高度成長期のメーカー企業において機能するものでした。ミスなく安定したオペレーションができる人が優秀とされ安定感が出るまでは経験を積む必要がありました。しかし今は既存のオペレーションを正確に回せる能力はあまり市場価値の高いものではありません。商品のライフタイムバリューは短くなりすぐに新しい商品が求められますし自発的な仕掛けを作り顧客体験を上げて使い続けてもらわなければなりません。既存の者をよりよくする力、新しいものを生み出す力が以前より圧倒的に求められるようになっています。そんな社会情勢の中我慢や従順さはほとんど必要ありません。正確には我慢や従順さを得るために行動する必要性は全くありません。何かを成し遂げるうえでの我慢や従順さは当然必要ですがそれらより何かを強く欲望する力とその達成のために行動する力振り返り修正する力が圧倒的に必要になってきます。日本人なら誰しも我慢や従順さを美徳とする価値観をもっていると思います。なぜなら学校教育でそのように意識にすり込まれてきたからです。当時の社会で活躍できる人はそれらの素養を兼ね備えた人でした。自分の好きな勉強をすることは許されず授業中は座ることを強要され聞きたくもない授業を聞かされる。優劣を判断する指標の偏差値は何か一分野に突出した人より全ての教科をバランスよく点数取っている人を優秀とみなす。受験強者が社会で活躍できない理由はいくつかあると思いますがその中の一つが言うことを何でも聞く優等生すぎて欲望する力を失い自分の意見をもたないからだと思います。昔はそれでもよかったが現代社会でそのような考えをもたない人たちは価値がかなり低い。我慢や従順さに関してはAIやロボットに勝てるはずがないからです。代替可能な存在であるがゆえに社会的な価値はかなり低いはずです。自ら欲望し行動して経験値をため勘を磨き続ける。この勘はAIや機械はもちあわせないもの。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?