小6で過食症になってから診断を受けるまでの6年間の話
過食症の始まり
元々食べることに対して、異常なまでの執着があった私だったが、小学校6年生くらいの時に異変が起きた。
ある日、台所にあった食べ物を見たら、それを食べたいという思いに囚われてしまい、それが頭から離れなくなった。
他の何をやっていても、あれが食べたいという思いで頭の中がいっぱいになってしまって、集中できない。
けれど、我が家は食事とおやつの時間以外に食べ物は食べてはいけないことになっていて、つまみ食いは言語道断だ。(でもやっていたけれど)
我慢したが、結局我慢しきれずに私はその食べ物を食べてしまった。
食べた後、罪悪感に襲われた。
やってしまったという思い、自分で自分がコントロールできなかったことに対してのショック、当時思春期も始まっていたため、太るのではという恐怖感。
けれど、その日から、私は食べ物を食べたいとロックしてしまうと、それを我慢できなくなってしまった。
中学時代
中学に上がると、生活環境が激変し、食環境も激変した。
小学校までは昼の給食は2人前くらい食べていたのが、中学生になって思春期も始まり、おかわりをすることができなくなってしまった。
毎日のように部活動があり、おやつを食べる機会も無くなった。
また、部活動で運動量が増えた。毎日の朝練、きつい練習、運動量は小学生徒の木に比べたらうんと増えたと思う。
そして、登下校の距離が長くなり、置き勉ができず、毎日部活のバッシュなどを入れたリュックは保健室の前の体重計で測ると10キロくらいになっていた。10キロのリュックを背負って30分歩く日々だった。(ただ、うちよりもっと遠い+坂の下の子もいた。坂の下に住んでた子達は大変だったと思う)
友人たちはよく帰りに買い食いをしていたが、私は基本的には親に禁止されていた。それでも中2くらいからは一緒に買い食いもしていたけれど、お金がなかったので、それほど頻繁にはできなかった。私はお腹が空いていてこれからたくさん歩くのに、みんなが食べ物をかってそれを食べる時間まっていなければいけないので、ちょっと嫌だった(みんななんであんな毎日のように買い食いするお金があったんだろう)
また、中学に上がると太ることへの恐怖心が強くなった。というか自分が太っているという思い込みに囚われた。当時の私はものすごく太ってもいないけれど、ものすごく痩せてもいないちょっと痩せくらいだったと思う。
なのにすごく太っていて、痩せなければいけないという強迫観念にかられていた。(この年頃の子はみんなそうかもしれないけれど)中学時代の写真を見て、今見ると痩せてるなと思うのだが、当時はなんて太いんだろうなどと思っていた。
中学時代も、食べ物をロックしてしまい食べてしまうことは続いていた。むしろ悪化していた。そして食べてしまうと太る恐怖と罪悪感に囚われて、常にダイエットをしようとしていた。夕食をわかめや豆腐ばかり食べたり、食べる量を極端に減したりもしたが、すぐにリバウンドして、反動でまた大量に食べてしまい、結果少しずつ太っていった。
家にあるものを食べてしまう時、親にバレないようにしていたが、ひどく叱られることはなかったけれど、バレてはいたと思う。というか、バレた時は、豚になるよ、とか象みたいとか、口で色々言われた。
他にも中学の頃は容姿について母と兄に色々ひどいことを言われたので、私の見た目への自信は地に落ちていた。
中学3年生くらいの時は、精神的にもかなりキツくなっていたので、食べ方もだいぶおかしくなっていた。キャラメルを一袋全部食べてしまうとか、菓子パン二つ食べて甘いココア飲んで、そのあとチョコレートを食べるみたいな、タガが外れてしまう気持ち悪くなるまで食べていた。
過食状態と普通のお腹いっぱい食べるの違い
基本的に過食状態で食べているときというのは、普通の状態と味覚の感覚が違う。
普通の精神状態の人は、食べたいなと思って、食べて美味しいと思い、満足すると食べたくなくなる。
過食状態だと、味は刺激が強ければそれでいいという感じ。甘い、味が濃い、ジャンクフードのようなものを好み、飽きない味であればそれでよくて、美味しいなんてこれっぽっちも感じていない。ただ、口の中に入れる、味の刺激だけ受けて、飲み込む。満足することもお腹いっぱいになることもない。食べるものがなくなるか、気持ち悪くなるまで続ける。
そして食べてしまった後、食べてしまったという罪悪感に苛まれる。食欲をコントロールできなかった自分を責める。それも行き過ぎるとだんだん頭がぼーっとしてくる。
まぁ、頭は食べている間もぼーっとしている気がする。多分嫌なことを考えたくないから刺激のあるものを食べて考えないようにしているところもあったのだと思う。
あと、私は、過食はするけれど、嘔吐はしなかった。
子供の頃から吐くという行為がとても嫌いだったから、絶対に吐かなかった。
吐かなかったので摂食障害というものを知ってからも、自分は摂食障害なのか?と思うこともあったけれど、今正常な精神状態になって当時を思うと、あの時の食べることへの精神状態は異常だったと思う。吐いしまって拒食になると、本当に生きるか死ぬかの世界の話になってくるので、過食で止まってよかったと思う。
高校時代1回目の転機
高校になって、私は環境が変わり過食が改善することを多少期待していたが、過食は止まることはなく、ひどくなっていった。
下校途中に毎日毎日、コンビニに寄って何かお菓子を買って食べてしまう。それに対して常に罪悪感を持つ。
家の台所にあるもの勝手に食べてしまう。
やめることができない自分に自信をなくす。
高校時代は鬱っぽさもひどくなっていたので、甘いものなどの快楽刺激に一瞬、現実を忘れる快楽を得ている感じもあった。タバコのニコチンのようなものである。
高校になってある転機が訪れる。
高校では陸上部に所属していたが(これも長距離走をやってできるだけ痩せたかったからである)痩せては過食をしを繰り返しているうちに、膝の調子がおかしくなり、高校1年生の後半、部活をサボりがちになった。(精神的にかなりきていたのも原因ではある)
しばらくして顧問の先生に声をかけられた。
その時、私は、初めて人に自分が食べることがやめられなくて困っていることを打ち明けた。
私の中でこの過食衝動はもの『すごく恥ずかしいこと』、ということになっていて、絶対に人にバレてはいけないと心の底から思っていた。
食欲をコントロールできず、あり得ないくらい食べてしまい、太っていく私は恥ずべき存在で、そんな私を他者に絶対に知られたくなかった。ちなみに母親は、食べまくっている私を馬鹿にしていたので、絶対に味方になってくれるわけがないので相談したことはない。
この時、私は勇気を出して、初めて人に助けを求めた。
話をすると、顧問の先生は保健の先生に繋いでくれて、保健室で3人で話す時間を設けてくれた。
私は、小学校の時から、食べ物をロックしてしまうと食べることがやめられなくなること、それがどんどんひどくなっていること、それにより、膝に負担がかかって長距離を走るのがしんどいことなどを話した。
すると、保健の先生が学校から比較的近い総合病院の先生を紹介してくれた。よく覚えていないけれど、心療内科だったのかな。
私は当時、そういった理由で病院にかかったことがなかったけれど、保健の先生が紹介してくれたので、親に説明をして、その先生の診察を予約した。
診察当日何をしたのかあまり覚えていない。該当するものチェックしていく心理テストのようなものをした記憶と、少し先生と話をした記憶がある。
そして、その結果、先生は『君のはただの気晴らし食いだね』という診断を下した。
要するに、ちょっとストレスが溜まった時に、気晴らしに食べているだけだね、と言ったのだ。
私は、そんなわけがあるかと思った。
そして、私はそこから一年間、記憶を失うことになる。
別の記事で書くと思うが、私はここから約一年間、高2で彼氏ができるまでの記憶があまりない。写真を見ても当時のことを思い出せない。
記憶力はいい方なのだが、この一年のことを思い出そうとすると、頭に靄がかかり、脳みその中が変な感じになっているのがわかる。
なので無理やり思い出さないことにしている。
2回目の転機
私の記憶は高校2年の冬に生まれて初めて彼氏ができたところからまた始まる。
このことは私の人生において非常に大きな転機だった。
その後、いつ頃だったか忘れてしまったけれど、母親が『あんた目がやばいから病院へいってきなさい』と言い出した。
人を殺しそうな目をしていたらしい。
母親は、かなり大きな病院の精神科に行き、うちの近所の心療内科か精神科を二件ほど紹介してもらってきて、どちらに行きたいかを私に問うてきた。
私はもう正直どうでもよくなっていたので、近く行きやすそうな方の心療内科を選んだ。
この病院に行けたことも私にとっては非常に大きな転機となった。
心療内科は初診の予約がなかなか取れず、1ヶ月とか2ヶ月待ちだった。
そして、初診の予約の日、私は母親と一緒にその心療内科にいった。
該当するものをチェックしていくタイプの検査と先生との問診があった。
私はこの心療内科の先生に、親がどれだけ私の行動に制限をかけているか、不平不満をしこたまぶつけた。
TVも見れない、ゲームもできない、バイトもできない、携帯ももてない、髪も染められない、服装も自由にできない、、、、
その話を聞いたあと、先生は私と母親にこういった。
『娘さんは摂食障害の過食症です。そしてこの病気はお子さんのせいでなるものではありません。この病気の原因はお父さんお母さんにあります。この子に禁止している全てのことを自由にしてあげてください。そして、お父さんかお母さんが勉強会に出席してください』
まさに、鶴の一声だった。
先生のその一声によって、私はそれまでずっと縛られてきたすべての制限から解放されることとなった。
その後の話
先生の鶴の一声のおかげで自由になった私だったが、その後いきなり全てが回復するわけでもなく、それまでについてしまったさまざまな心の傷と、『私』という人間がまったく育っていなかったことにより、社会に出てもなかなか適応することができず、心理的に常に不安定となり、ずっと苦しんでいくことになる。
あと、全て自由になっても、それまで体に染み付いてしまった恐怖はなかなか取れず、やりたいのに恐怖心でできないということを一つ一つ乗り越えていく作業をくりかえしていくことになった。
過食症も、結局25歳になっても、よくならず、絶望的な気持ちの時に出会った「あなたの子供を加害者にしないために」という中尾英司さんとう方のブログにより、やっと本格的な回復の道を歩み始める。
食べてしまう自分を受け入れ、ストレスからの過食だと私が判断する行為がなくなったのは30歳に近くなってからの話である。
今40代だが、ここ10年は自分が過食衝動だったなと思うような食べ方はしていない。それこそあっても『気晴らしぐい』だ。
今回書くにあたって、発症してから、病院にかかるで6年間かかっていたんだということを改めて知った。
小学校、中学校、高校時代、私は自分に起こっていることは全てコントロールできない自分が悪いのだと思っていた。
子供は大人と違い、今その瞬間、初めての人生をリアルタイムで日々生きている。大人のように俯瞰してみることなどできない。なので、今身に起きていることが過去のストレスがたまっったせいだとかそんなことは考えない。
それに、当時情報が全くなかった。
私はTVが見れなかったし、インターネットもなかった。子供だったので鬱などの本を読む機会もない(今は子供向けのそういった本があるだろうが、当時そんなものはなかった)
今や鬱や摂食障害なども病名としてメジャーだが、昔はまだ『24時間戦えますか』の時代である。
精神的に弱ければ脱落していく、それは自分のせいという考え方が強かった。
だからずっと自分を責め続けていた。そして、誰にも助けも求められず、ずっと一人で耐えていた。6年間。
6年という時間は長い。子供にしたら永遠のような時間だった。
今回記事をかいて改めて頑張ってたんだなと思う。
しんどかったねと思う。
そう思えただけでも記事を書いてよかったと思う。