ぐり

子供の頃のことをブログに描くと頭から消えていくので、忘れるためにブログを書いています。 機能不全家族出身、親はおそらく発達障害。中学で過食症と鬱症状、高校で軽い不登校。その後も生きづらさを抱えながら、自分と向き合う作業を続け、今は心身共に安定して生活しています。40代です、

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子供の頃のことをブログに描くと頭から消えていくので、忘れるためにブログを書いています。 機能不全家族出身、親はおそらく発達障害。中学で過食症と鬱症状、高校で軽い不登校。その後も生きづらさを抱えながら、自分と向き合う作業を続け、今は心身共に安定して生活しています。40代です、

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昔のことを書いていくと、頭の中から記憶がなくなっていくため、書いています。 また頭の中からは無くなるのに、体感的に過去の記憶が自分の実体験であると感じられるようになるのもあり、書いています。 自分語りであり、誰かに読んでもらう文章としては書いていません。人が読んで面白かったり、価値があったりするものではないかと思います。 ただ、自分自身の人生の整理としてnoteをお借りしています。 幼稚園前(0〜3歳) 小児性愛者に公園で悪戯をされた話 子供の頃に家の外に閉め出された話

    • イベントの仕事でスタッフやキャンギャルをやった話

      イベントスタッフのバイトを始める ネトゲ廃人となり、 引きこもり生活を送っていた状態から社会復帰をしていく際、私が選んだバイトは日雇いのイベントスタッフのバイトだった。 イベントスタッフのバイトを選んだ理由は三つある。 まず、体調が悪くなった時、鬱っぽくなった時にすぐに日程を調整して長期休みが取れる仕事が良かったこと。当時まだ、突然鬱状態になってしまったり、体力がなく非常に疲れやすかったため、体調が悪くなった時にすぐに休める必要があった。イベントのバイトは日雇いであり

      • ネットゲ廃人(1回目)と引きこもりについて

        メイド喫茶で知り合ったBMWさんと別れ、服飾の学校にも行けなくなった私は、夢も希望もなくなり、現実を逃避するように、ネットゲームを始めた。 当時ラグナロクオンラインなどが流行っていた時期、家庭ゲーム機でまだオンライン通信を使って遊べなかった時代。 私は、パソコンでテイルズウェーバーというオンラインゲームをやり始めた(ちなみにこのゲームまだ続いているらしい。すごい。) なぜテイルズウェーバーだったのかというと、イラストやモンスターが可愛かったからだ。あと、このゲームは軽かった

        • 自分の部屋が汚かろうと、勉強ができなかろうと、料理がうまく作れなかろうと、いま、ここに、私が生きているということはとても有り難いことなのだと、自分自身に対する感謝として突然思った。 今まで頑張ってきた自分がいるおかげだね✨

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        • イベントの仕事でスタッフやキャンギャルをやった話

        • ネットゲ廃人(1回目)と引きこもりについて

        • 自分の部屋が汚かろうと、勉強ができなかろうと、料理がうまく作れなかろうと、いま、ここに、私が生きているということはとても有り難いことなのだと、自分自身に対する感謝として突然思った。 今まで頑張ってきた自分がいるおかげだね✨

          高校の友達に過食症であることを告白する

          私は小6あたりから、食べることが止められない過食症でした。 そして、そのことはとてもとても恥ずかしいことであると長年思い込んでいました。 なので、高校の時の部活顧問と保健の先生以外に、自発的に誰かに喋ったことというのはほとんどありませんでした。 そして、高校を卒業してしばらくして、高校の時の友達に初めて自分が過食症であることを告白しました。 彼女とは、同じクラスになったことはありませんでしたが、友達の友達として知り合って、ずっとお昼を一緒に食べる中でした。 ただ、高校時代

          高校の友達に過食症であることを告白する

          後に彼氏になる人から衝撃的な告白をされる

          勤めていたメイド喫茶をやめた後、BMWさんとは付き合うことになりましたが、後一人関係が続いた人に厨房で働いていた、一つ年上のスナフキンさんという人がいました。 上の記事内でも書いていますが、彼とはメイド喫茶をやめた後、飲み友達となりました。 彼はバーテン志望であったこともあり、お酒に詳しく、食べるのも好きだったため、あちこち飲みに連れて行ってくれました。 当時の私は、彼氏でもない男性と二人で飲みに行くことにあまり抵抗はなく、(ただBMWさんと付き合っていた時は行っていない

          後に彼氏になる人から衝撃的な告白をされる

          牛丼がなくなる吉野家でバイトをしたこと

          2003年12月、BSEの影響でアメリカからの牛肉の輸入が規制されました。折しもその年、私はちょうど吉野家のしかも渋谷の109のすぐ横にある店舗でバイトをしていました。 前職のメイド喫茶をやめて、 服飾の専門学校を受験したあと、 学校が始まるまでしばらく暇になりました。 なので、何かをしようと思った時、一度チェーン店で働いてみたいという思いがあり、吉野家のアルバイトに応募しました。 店舗は、渋谷の109のそば。 地元にも吉野家はありましたが、渋谷に行きたかったのだと思

          牛丼がなくなる吉野家でバイトをしたこと

          自暴自棄になって新宿のキャッチに捕まってみた話

          服飾学校にも行けなくなり、BMWさんとも別れた私は、精神的にかなりやばい状態になっていた。 生きているのかどうかもよくわからないような感じ。 かといって、家でじっとしていることもできず、私はフラフラと街に出た。 あてもなく、どこに行こうということも何も考えず、フラフラと新宿で降りて、フラフラとアトレの横の歌舞伎町の方に向かう道を歩いていた。 その通りはいつもキャッチの人が2〜3人いて声をかけてくる。 歌舞伎町周辺のキャッチは捕まるとやばいと思っていたので、いつもは足を止め

          自暴自棄になって新宿のキャッチに捕まってみた話

          服飾の専門学校に行くが行けなくなる

          メイド喫茶のバイトでコスプレ衣装を作ったことをきっかけに、服飾の専門学校に行こうと思い、私は慌てて専門学校を探した。 とは言え、都内なので、服飾の専門学校はいくつかある。 有名どころの文化服装学院、ドレメ、モード。 学校見学にも行った気がするがそのあたりはよく覚えていない。 結果、私は恵比寿にあエスモードジャポンに行くことにした。 何が決め手だったかは覚えていないが、パリに留学できるかもと、淡い期待を抱いていたような気がする。(パリ校との交換留学制度があった) そもそも

          服飾の専門学校に行くが行けなくなる

          加藤諦三さんの本との出会い(幼児的一体感について)

          私は子供の頃から本が好きでよく本屋に行っていた。 天井の方までぎっしりと本が詰め込まれた本棚に囲まれる空間は、とても落ち着き、私はいるだけで癒された。 そして私はなにか迷っているときや悩んでいる時もよく本屋を利用した。 本屋さんというのはこの世界の知識の縮図といっても過言ではないと思う。さまざまな知識学問、ジャンルを超えて全てのものが本という形に姿を変えて集結している。 なので、意味もなく本屋さんをうろうろしていると「本に呼ばれる」ことがある。不思議な表現かもしれないけれど

          加藤諦三さんの本との出会い(幼児的一体感について)

          渋谷でキャッチに捕まり美顔器とエステに44万円払った話

          これは、パン屋のバイトを辞めたあたりの話です。 19歳の当時、私は本当に世間知らずでした。 18歳までTVなども見れていなかったですし、学校と家に以外の接点があまりなかったため、世の中のことをよく知りませんでした。 でも、渋谷や新宿でキャッチに捕まると危ないという知識はありました。 それでも実際に道を歩いていて声をかけてくる大人に捕まってしまった時、拒絶して歩き去ということが私にはできませんでした。 学校帰りに猥褻行為をされた時も、 電話の営業を避けられなかった時も、

          渋谷でキャッチに捕まり美顔器とエステに44万円払った話

          メイド喫茶のお客さんと付き合うことになった話

          メイド喫茶をやめるときに連絡を交換した常連客のBMWさんからは、メイド喫茶をやめてから頻繁に電話が来るようになった。 彼はとてもおしゃべり好きな人で、電話で30分や一時間とかよく喋っていた。 そのうち、あっちこっち食べに連れて行ってくれるようになった。 彼はラーメン屋をやっており、ラーメン屋というのは儲かるそうで、かなりお金を持っていた。高級ホテルのフレンチやアフタヌーンティー、目の前で揚げてくれるタイプの天ぷら屋さん、フェラガモのコレクション等々、行ったこともないような場所

          メイド喫茶のお客さんと付き合うことになった話

          20年ほど前にメイド喫茶で働いた話

          パン屋のバイトを辞めた後、私は接客業を使用と思います。 そんな時、オタクの知り合いから秋葉原に新しいメイド喫茶ができるようで、バイト募集のチラシが貼ってあると、画像と共にメールをもらいます。 今でこそ、秋葉原とメイド喫茶というのは、王道の組み合わせのようになっていますが、その当時(2004年くらい)は、秋葉原にはまだメイド喫茶は老舗2店舗しかなく、かなりマイナーなものでした。 コスプレが好きだった私は、その求人に応募してみたところ、ありがたいことに採用をいただき、メイド喫茶

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          パン屋での初バイトの話

          予備校に行かなくなってから4ヶ月ほどたった9月、私はついにバイトを始めることにした。 高校の時は親が禁止していたため、バイトができず、バイトをすることは憧れだった。 そして、いつか絶対やりたいと思っていたのはパン屋さんのバイト。 私は、新聞の折込の求人で出ていたパン屋さんの求人に応募した。 私はパン関係の仕事だからという理由で何も考えずに応募したのだが、 その求人は某高級スーパーのパン部門の工場でのサンドイッチの成形のバイトだった。場所は、近くにある有名デパートの地下2階

          パン屋での初バイトの話

          性行為と妊娠検査薬と性病の話

          高2から3年間付き合った彼氏が私の初体験の相手になるのだが、 彼とは本当によくセックスをしたと思う。 学校をサボってラブホにいっていたこともあったし、 お互いの家に遊びに行った時に、親がいないとよくしていた。 ぶっちゃけると、学校で本番ではないがしたこともある。 (ただ、学校ですることに関しては、多分私は嫌だった。今の私なら嫌だというだろう。でも当時の私は自分の本心が拾えていなかったし、基本的に他者に対して嫌の意思表示をすることができなかったので、心の奥では嫌だなと思い

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          初めての母、兄不在の時間

          幻聴を聴き予備校に行かなくなって、 しばらくは何もせず家にいました。何をしていたかあまり覚えていませんが、ゲームをするとか漫画を読むとかしながら、鬱々と過ごしていたのだと思います。 そして夏になり、母親が手術のために病院に入院することになりました。 手術といっても半月板を損傷していたので、それを治す外科の手術です。命にかかわるとか、そういった類のものではありません。 なので、母は前々から入院の日取りを決めて予定を立てていました。 そして、母の入院の直前、兄が風邪をひき寝

          初めての母、兄不在の時間