数で戦わない世界は未来になれるか
結論が見えたので、書きます。
メディア論的な領域を中心に、
コミュニケーションとかコミュニティとか
広告効果とか行動変容とかを分析している毎日。
(ざっくりそういう仕事)
ここ半年考えていたことが、このタイトルの問い。
「バズる」や「万アカ」や「インフルエンサー」、
この領域はとにかく「数で戦う世界」。
メディアのあり方って、ここから脱することが
できるのかな?勝者とそれ以外の世界なのかな?
と考えていました。
ちなみにわたしのnote執筆スタイルは、
まずタイトルを立てる。
紐付くワードや思考をおもいついたらメモしておく。
そして書きたい気持ちにあわせて書き始める。
このタイトルは、メモが長らく空白のままでした。
■この間に読んだ関連本
このあたりです。
・『メディア論』(マクルーハン)
・『超高関与消費者へのマーケティング』
・『レレバンス・イノベーション』
+受けたセミナー一つ。
■「数で戦う」現状の世界
再生数、いいね数、フォロワー数。
みんなが気になる数字です。
数で表されると確かなものになる。
確信できると安心する。
数で価値がつき(民意としては確かな評価)、
それが「声の大きさ」になります。
こうしてメディア的なパワーに変換されます。
アカウントが、投稿が、
ソーシャル上でつながり、届く。
誰かの発信が、誰かを経由して拡散されていく。
発信への誰かからの反応が戻る。
この双方向のつながりと連鎖があるのが、
現在のメディアの姿です。
(とくにSNS、あるいはマルチなメディア体系)
ただ、このつながりと連鎖のだいじな部分って、
数だけの世界でしょうか?
というよりも、
「数で戦う世界」を我々は求めているのでしょうか?
■「数で戦わない」これからの世界
「数で戦わない」のも、ありなんじゃないの?
と思ったのが、このタイトルの発端。
とくに「声の大きさ」の強弱は、
メディアにおける指標として、わかりやすいです。
その指標で、まずパワーバランスが存在します。
そしてもうひとつ、接触時間を奪い合っています。
みんなが見てるものや話題になっている場に集まる
という意味では、数と時間に関連性はあるのですが、
イコールではない。
このことから、接触時間の奪い合いには
メディアの滞在価値という新たな指標が生まれている
ということ。
滞在とは、そこにいたいと思う感情によるので、
「居心地のよさ、のんびり過ごせること」が
新たな価値と言えるのでは!?
ここが「数で戦う」だけじゃない、
たとえ少数でも、個人的でも、その場の心地のよさや
コミュニティや結び付きがある世界。
「継続的な・持続可能な」という時間軸の、
新しいメディアのあり方のしっくりポイント。
比較できない何かがあってもいい、ということ。
これを、メディアの機能の進化や人間の感覚の進化、
世の中の消費のトレンドや感性マーケティング、
最新のソーシャルライブのコンテンツトレンドあたりを
見ていき理解した現状の結論です。
■最後に愛は勝つ
なかば言いたかっただけですけど。
感覚的なものを信じたり、価値にすることを
許容していきたいなと思いまして。
実は、アート的なものが技術を先行することとか、
(マクルーハンの『メディア論』で感銘うけたぶぶん)
人間は人間の中で生きるからこその
孤独と常にセットである生物的な性質とか、
一見不確かっぽい尺度なんだけど、
その存在は誰もが感じたことのある何かだったりする。
そこにある、心の豊かさとか愛を語りたい。
■まとめ
わたしがnoteを書く理由。
書くこと自体、自分が楽しいから!
書いたものを読み返すのも、楽しいから!
日々の話し足りないことを、思考を、書く書く書く。
(話し相手が足りてない、とも言う。)
noteというSNSメディアのなかに、
目標のためでもタスクでもなんでもなく、
ただなんとなく感覚的に楽しくて滞在してる。
ただ居心地がよくてのんびりできるから。
そういうことも、ありなんじゃないかなと。
あと、読んでもらえると
これまた、めちゃくちゃ楽しいから!
(数があれば、もちろんそれはそれで嬉しいのだけど笑)
いつもありがとうございます!