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大学生活、強迫症と双極症    闘病記【10】

大学入学

前回まで高校生活について述べました。今回からは大学生活について述べていきたいと思います。受験勉強で「成功」した私は意気揚々と大学に向かいました。
さて高校3年の夏頃からはクリニックにも通わなくなっていました。前に述べたように受験勉強がうまくいき、調子が良かったので、クリニックにはいく必要がなくなったのでした。もちろん薬も飲んでいませんでした。
高校生の時はいつも憧れのキャンパスライフを妄想していました。私は希望だけ抱いて大学へと向かいました。

大学は実家から遠距離だったため下宿することになりました。人生で初めての一人暮らしです。病気を抱えているという懸念材料はありましたが、受験勉強で調子が良くなっていたので、なんとかなるだろうと楽観視していました。それが大きな間違いでした。

その頃病気はどうだったかというと、強迫症は良くなっていませんでした。触る回数を数え、縁起がいい数字になるまで何回も同じところを見直し、ぴったりくるまでやめられないのでした。一人暮らしになり見ている人がいないので中々部屋から出るのが困難でした。また受験勉強で減っていた本に対する強迫行為も悪化していました。

一人暮らしは初日から異変が起こりました。部屋に一人でいると落ち着かないのです。テレビを見るのですが、どうも落ち着いて座っていられません。ひっきりなしにテレビのチャンネルを回していました。とにかく何かがおかしいのです。
この時は寂しいという感情に気づいていませんでした。なにかいてもたってもいられない感じでした。ずっと家族と暮らしてきたので、人と一緒にいることが当たり前になっていたのです。そこは寮みたいな作りでトイレや風呂、食堂が共同でした。部屋を出ると人に会うということもHSPの私にはストレスに感じました。

大学生活

さて大学生活が始まりました。とにかく人がたくさんいて面食らいました。それまで田舎で生活していた私は戸惑いました。HSPの私は人に酔ってすぐに疲れてしまいました。また授業の履修やサークル活動など自分で決めることがたくさんありました。しかし相談する人がいません。とても困りました。また、今までそういった手続きは母親任せにしていたので人一倍苦労しました。

文学部に入学したのですが、そこは憧れのキャンパスライフの雰囲気とはだいぶ違いました。みな真面目そうに見えました。前に述べたとおり高校生の時は「悪い」友達と付き合っていたので、これは雰囲気が違いなじめないと感じました。私は妄想と現実が違うことに気づき始めました。

部活はハンドボール部に入りました。ハンドボール部もみな真面目そうで、服装からして私は浮いていました。学部でも浮き、部活でも浮き、私は困りました。でも自分は「悪」をやっていたというプライドで、中々真面目そうな人と打ち解けてしゃべることができませんでした。

そもそも中学校の時からグループになることが苦手でした。しかし大学ではみんなグループになって行動していました。そんなこともあり私は真面目な集団に入ることが出来ず苦悩していました。今考えれば一人で行動している人もいたので私もそうすればよかったのですが、一人で行動するほど強くはなかったのです。妄想での大学生活というもののイメージに縛られていたのです。

自意識過剰

私は人から真面目に見られたくなかったのです。学校や社会に対して斜に構えるというスタンスを守りたかったのです。自分も真面目に勉強して大学生になったのに、「悪」と思われたいという願望がありました。いつも人からどう見られるかということに異常にこだわっていました。

自分がどうしたいかではなくどう見られているかに縛られていました。夢のキャンパスライフと現実とはかけ離れたものでした。この時点で「ありたい自分」と「現実の自分」には大きな開きがありました。私はそれに気づいていなかったのです。

最初は授業も部活も真面目に参加していました。しかし前述のように友達はできず、どこでも孤立していました。なぜそんなにも「悪」にこだわって真面目な人と友達づきあいができなかったのでしょうか。

それには長い背景があります。前に述べたように、小学校の時にいわゆる優等生だった私は中学に入るとそのイメージを払拭したいと思いました。「悪」がかっこよくてモテるのだという、よく分からない信念がありました。その信念が継続され、真面目に見える大学での友達ができませんでした。

今思えば一体何にこだわっていたのでしょう。自分が全く見えていませんでした。等身大の自分というものを認めることが出来ませんでした。
またこれまでまともな友達付き合いをしてこなかったのも悪く影響したと思います。他大学に変わることや転部など考えました。現状を認められず、なんとかしたいと焦っていました。

高校生の時に妄想をし過ぎて、現実を受け入れられないのでした。一人暮らしということもあり、だんだんと寂しさに耐えられなくなってきました。田舎者の世間知らずの優等生という現実がどうしようもなかったのです。

出会い

寂しくて出会い系サイトに逃げました。そこで水商売をしている女性と知り合いました。好きだとか恋愛感情ではなく、つらすぎる現実からの逃げ場所としたのです。

私は友達もおらず世間知らずだったのでいろんなことを教えてもらいました。同年代のリアルを知ることができました。自分は恵まれた環境で生きてきたことが分かりました。あまりよくない遊びもしました。その女性といる時だけ嫌な現実から解放されていると思いました。学校や部活の人たちとは違う世界を持っているということに対して優越感を持ちました。自分はみんなとは違う「悪」だというプライドを持つことが出来ました。

しかし現実は甘くありません。いつも遊んでいた彼女の友達が突然自殺してしまったのです。現実の世界に対してうまく適応出来ない者同士、私たちは死ぬ気で遊んでいました。それがいけなかったのでしょう。その人は明らかに双極症だとわかるような人でした。しかし病院に行くことも、人に相談することもありませんでした。

年が近く、身近な人が亡くなって驚きました。そうこうしているうちに私の彼女は他の男のところにいくようになりました。そしてお別れすることになったのですが、それを受け入れられません。あんなに好きだと確かめ合ったのに。どうしても現実を見ることが出来ません。

カウンセラーとの出会い

そもそも恋愛なんてものは全く分かっていませんでした。私は苦しくて仕方ありませんでした。自分の唯一の居場所が失われることを受け入れられなかったのです。苦しくて仕方ないので大学の保健管理センターに相談しに行きました。そこでカウンセリングをしてもらいました。カウンセラーに相談すると、「あなたの精神年齢は5歳です」と言われました。ショックでした。

私は人が死ぬということ、出会いがあれば別れがあるということを18年間学んでこなかったのです。これから7年間付き合うことになるカウンセラーとの出会いでした。医者にも診てもらい、強迫症とうつ病だと言われました。薬もでました。少し落ち着いてきましたがやはり喪失感から抜け出すことが出来ません。そこで私が行ったのはまた出会い系サイトで女性を探すことでした。そして運命の人と出会います。

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