モノとしての本が好きなので、古本も扱いたい。#2
こんにちは。
この記事を覗いてくださってありがとうございます。
「本屋を開きたい」を管理しているまるへいです。
2回目の投稿です。1つ目の記事を見ていただいた方、ありがとうございました!
あたたかいコメントや、スキの反応をいただけて本当にありがたい限りです……。
自分のこと、自分のしたい本屋さんについて、気の向くままに綴ろうと思っていましたが、やっぱり誰かに見てもらうということを考えると、テキトーなことも書けないなと思って……
え〜、なにを投稿しようかな〜………。
と迷っていると、下書きばかりが増えていきます。
でも、何を書いても、何を読まれても、きっと何かしらの意味はあると思うので、怯まず発信します。
今回は、新刊だけでなく、古本も扱いたいという話。
その理由は、古本が好きだから。
そして、本は、循環した方がいいと思うから。
それぞれ、少し補足を。
〇まず、僕は古本が好きです。
単純に、「欲しいものを通常よりも安く手に入れられる」
もうこれほど嬉しいことはありません。多少のキズがあるくらいは気にしないので、より安く読みたいものをゲットできれば、ラッキーラッキー。
人気の作品も、発売よりすこーし待てば、定価よりも安く買えちゃう。
通常よりも安く買えて読めるこのお得感。僕がケチであるとか、本の価値を軽視しているとかを言いたい訳ではありません。
むしろ僕はこのお得感が本の敷居を低くしていると思うし、何しろ新品じゃなくても本は求められている証拠なので、ポジティブに捉えてもいいのではと思っています。
また、新刊の本屋さんで見たことのない本を発見する楽しさもあります。
「あれ?この表紙何だか本屋さんで見たのと違うぞ!」とか、
「え?この本の単行本あったの?」とか、
本の山に囲まれていると、無限に楽しめちゃいます。
〇そして二つ目の理由、本の循環について。
……と、随分長くなってしまいましたね。
何が言いたいのかというと、上記の話はフィクションですが、
そういった本の循環は実際に起きているし、僕はその循環にとても愛着を感じるのです。
著者、出版社、(取次)、書店を通して世に出た本が誰かに読まれ、その人にとってそれが面白くても、そうじゃなくても、一旦その人を通過した本が、また誰かに渡る。
本に残ったしみも、書き込みも、くたくたになった紙も、ページから漏れる独特な匂いも、デジタルな世界では決して味わうことのできない、モノとしての本だからこそ生みだせると思うのです。
そういった本の身体性みたいなものを大切にしたいし、
その本の循環の中に自分もいたいと思うので、僕は古本も扱いたいです。
途中脱線しかけましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
これからもゆるりと、本屋さんのことや、日々感じたことのエッセイなどを発信していきますので、フォローしてくださると嬉しいです。
それではまた。