先日、大阪府高槻市にある「丹青(たんせい)」というパン屋さんに行った。 ここは、以前大阪梅田で人気のあったroute271の生まれ変わり?店。 なかなか高槻まで来ることがなかったが、所用で近くまで来たので寄ってみたのだ。 少々辛辣なことも書くが、これからの参考のため、感じたことをそのまま記録しておくことにする で、買ったものは ・クロワッサン ・タマゴサンド ・ネギ味噌チャバタ ・舞茸とベーコンのクロックムッシュ お昼ご飯替わりに買ったので、これくらいにしておいた(それで
これから私にとって最後の卒業生を送り出しに行きます。 出勤しながらこれまで送り出してきた20期分の卒業生たちのことを思い返していました。 初めて送り出した卒業生たちはとても個性豊かでしたし、担任として初めて送り出した学生たちは今でも名簿順に名前をソラで言えます。 東日本大震災発生時に卒業式を行っていたこともありました。避難誘導や経路確認したりしながら担任クラスの学生たちを送り出すという状況で、非常に申し訳ない最後になってしまったこともあります。 それらの多くの経験は、私の
20年くらい前、私はパンの修行をしつつ、パンに合う「食材」や「ハードドリンク、ソフトドリンク」の知識やスキルの必要性を感じていました。 そこで、まず興味関心が高いものから手を付けることにした当時の私が選んだのは「エスプレッソ」。 まだバリスタというワードもあまり一般的ではなかった時期でしたが、これからエスプレッソを主にしたドリンクは必ず日本に浸透すると確信を持っていました。 あと、単純にカプチーノやラテアート、バンコでエスプレッソを飲む文化が私の瞳にカッコ良かく映ったのもあ
改めて触れますが、私は先生を辞め、4月から別のフィールドに移ります。 で、お世話になった業界の方々には、そのことを昨年半ばくらいから少しずつお伝えしてきていました。 4月に向け、随分長期間にわたり準備してきたので、その間にいろんな方の挑戦や変化も知ることがありました。 稲沢市で洋菓子店を営んでいる巨匠の京都移転、一宮市で愛される製パン店オーナーシェフの名古屋市移転進出、そして昨日公表されていた清須市で実直にパンと向き合ってきた巨匠の移転。それぞれ経営をされているオーナー
この記事は令和5年12月某日、教員生活最後の実習を終えた直後に書いたものです。 (以下本文) もしかすると、今日が生涯で最後の授業だったのかもしれないな。 実習助手として学生と対峙していた20年前。 予め予定していた製パン講師の都合が悪くなり、急遽代役として教壇に立つことになった。 自分の担任クラスの実習授業で全て助手を担当したこともあり、「今、この学生たちに何を教授すべきか」を常に考えていました。 そんな折りに、急に舞い込んだ出来事であった。 シラバスにライ麦を扱う製
行動にブレーキがかかっていた20代 ある程度の結果が出るようになってきた30代 行動こそが新しい世界観を見せてくれると気づいた40代 「挑戦」すると成功しようが失敗しようが、自身の見える世界が拡張する。そこからまた新しいことに興味が湧きだし行動欲が出てくる。 10代、20代なんて体力も可能性もあるんだから、ひとつと言わずいつでも、どこでも、なんでも、挑戦した方がいい。 その時は上手くいかなくてもいいんだよ、他人の成功、失敗の評価なんて、マジでどうでもいいから。 必ず考え方や
少し前に「この春フレッシュマンになるあなたへ」というタイトルで投稿しました。↓こちらです。 そしたら嬉しいことに、読者の方から 「お菓子屋さんで働き出す際に気を付けるべきことはなんですか?」 というご質問をいただきました!ウレシイ ということで、今回は 「初めてパン屋さんお菓子屋さんで働く際、まずやっておくこと」 について考えてみたいと思います。 就職先に同期がいたりすると、とても心強い存在であると同時に、 「めちゃめちゃ仕事できそうー」 と凄く見えてしまうことがありま
今日、職場での先生たち(ごとうは専門学校の先生です)の会話の中で「壁にぶつかった時の越え方」については話しているのが聞こえてきました。 そこで今日は今回は「壁」について綴りたいと思います。 これを読んでくれている皆さんは、こんな人になりたいなーとか、こんな風に成長したいなーとかって思ったことはありませんか? 私はアラフィフになって、その思いがより強くなったなと感じています。 そもそも私は自分が成長したいと思ったり、出来るようになりたいと考えた時、 「人は望めば必ず成長、進
久々の投稿です。 「やっぱりすぐ飽きたんじゃん」 って声が聞こえてきそうですが、実はちょっと体調を崩していて、と言ってもめまいがなかなか治らず、ナンタラカンタラ病(オイ!)の疑いがあって暫く気力が弱ってました。 もうかなり普通になったのと、今、野暮用で東京に来ているのですが、その野暮用まで少し時間があるので、久々に重い腰を、、、(^^;) 先日、卒業生と食事をする機会がありました。 (あっ、改めてですが、ごとうは専門学校の先生です) 卒業生が社会で立派に活躍している姿は
にんにちは、パン職人のごとうです。 唐突ですが、私の息子は「2023ロボカップジュニア サッカーリーグ Nipponリーグビギナーズ(以降、ロボカップ)」に挑戦しています。 今年は初めて観戦した(これまで、コロナ対策や仕事の都合で見ることができなかった)のですが、見ていてとても感動したので、ロボカップの魅力を少しでも伝えられたらと思い、今回はこの戯言にしたいと思います。 ロボカップって何ぞや? ロボコンならNHKの特集でもやっていたりするので、聞いたことがある人も多いと
こんにちは、パン職人のごとうです。 日本のパン職人はいろんな国や種類のパンを手掛けますが、特に特別な存在であるフランスパンについて考えてみました。 私もパン職人の端くれですのでフランスパンに対し思い入れはあります。そこで今回は「私とフランスパンとのなれ初め」について書きたいと思います。 私が本当の意味で美味しいと思うフランスパンと出会ったのは、ブーランジェとして修業しだしてから数年が経った頃。 多分、22~23歳の頃だったと思います。 それまで私にとってフランスパン
私の趣味の一つに「居合道」があります。 といっても、今年の春(2023年4月)に始めたばかりなので、まだ1年も経っていませんが。 居合を始めた話しを仲間や友達にすると、「あの藁を切るやつ?」と高確率で聞かれます。それは「試し斬り」というものですが、私が稽古しているのは演武なので、また別のものです。 居合は、鞘から刀剣を抜き放ち、さらに納刀に至るまでをも含めた技術。 私が入門した道場は全国剣道連盟居合道部(以下、全剣連)に加盟する道場で、流派は「無双直伝英信流(むそうじきで
こんにちは、パン職人のごとうです。 先日1年生に食パンを教えたので、今回は頭の整理を兼ねて食パンについて戯言したいと思います。 日本の食パンの歴史 日本の食パンは第二次世界大戦後に急速に発展、広まっていきます。 その頃の日本は戦後間もない、まだGHQによってオキュパイド・ジャパン、つまり「占領下の日本」という位置づけにありました。 占領下にあった日本には元々主たる穀物である米が大量に流通していたが、GHQの指示のもと日本国内に海外製の小麦が大量に出回りはじめます。
こんにちは、パン職人のごとうです。 今回の戯言は「働くこと」についてです。 働くことの目的って何ですか? と聞かれると、人によって答えは違うと思います。 例えば単純に「給与所得を得る為」という方や、「ライフワークの充実」という答えもあるでしょう。 先日とあるシェフは「働く目的は、お客様、スタッフ、家族の笑顔の為」とSNSに書いていました。 また、私の学生時代の恩師は 「働くとは、端(はた)を楽(らく)にすること」 だと仰っていました。 一見マインドコントロール的な
今日はこのあと、菓子パンの実習なので頭の整理を兼ねて戯言を。 菓子パンとは? 菓子パンというと、一般的にあんぱん、メロンパン、クリームパン等の甘いパンを指します。 「あんぱん」?「アンパン」? 少々脱線しますが、あんぱんの表記は「あんぱん」か「アンパン」のだいたいどちらかだと思いますが、私はいつも「あんぱん」と表記します。 なぜなら、あんぱんは日本で生まれた日本のパンであり、中身の「あん」は小豆(通常は「あずき」と読みますが、餡の原材料として読むときは「しょうず」と
【はじめに】 私は現在(2023年12月)、愛知県の製菓専門学校教員をしています。 専門分野は「製パン」 元々、パン屋さんでの修行はもちろん、調理製菓専門学校と大学経済学部の両方を卒業しているので、技術的なことから理論的、経営するために必要な会計や哲学に至るまでありとあらゆることを教えています。 また、趣味や興味関心も多種多様に積み重ねてきたので、アラフィフを迎えた今、記録を残すつもりでアウトプットしようと思い、パンやお菓子に関わらず書き記していきます。 【パンやお菓