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フランスパンとのなれ初め/素晴らしいフランスパンとの出会いがあったからパン作りにの惹き込まれた話

こんにちは、パン職人のごとうです。

日本のパン職人はいろんな国や種類のパンを手掛けますが、特に特別な存在であるフランスパンについて考えてみました。

私もパン職人の端くれですのでフランスパンに対し思い入れはあります。そこで今回は「私とフランスパンとのなれ初め」について書きたいと思います。


私が本当の意味で美味しいと思うフランスパンと出会ったのは、ブーランジェとして修業しだしてから数年が経った頃。

多分、22~23歳の頃だったと思います。


それまで私にとってフランスパンは、店内を彩る製品の一部のような存在で、決して「バカ売れ」するような商品でもなく、パン屋として並べなくてはならない商品といった存在でした。


当時、私が所属していた任意団体「東海製パンクラブ」では、適時開催を開催していました。私にとって東海製パンクラブの講習会は、これまで全く知らなかった技術、知識、歴史を教えてくれる大切な場でした。

そしてその技術講習会で出会ったフランスパン。あの職人が手掛けた魔法のような細長く美しいバゲットは、私の中のフランスパンの概念を壊し素晴らしい存在に変えてくれたのです。


そのバゲットは、よくあるパンパンに膨らんだような派手なものではなく、焼きあがったあともいつまでもパリパリと音を立て、心が高揚するような香りを放っていました。

一口頬張ると、心地よいクラストの触感と香り、そしてのど越しは繊細で、これまで食べたことのないフランスパン。そのインパクトたるや、本当に強烈でした。


経験したことのない食感、味、香りに無我夢中になり、気づけばバゲットを丸々全て食べきってしまっていました。

それと同時に思ったこと、それは

「自分が作っているフランスパンと何が違うのか、全く分からなかった」

でした。


あまり知られていませんが、フランスパンのレシピや工程というのは、実はどのお店でももほとんど変わりません。

レシピや工程を変えてしまうと、それは「フランスパン」というパンではなくなるからです。

わかりやすく例えると、お米を炊くとき、お水の量や炊き方、材料はどの炊飯器でも、お鍋でも、飯盒でも、誰がやっても変わりません。

もし水の量や材料をもち米に変えたりすれば、「おかゆ」や「おこわ」になってしまうし、水を牛乳にを変えると「リゾット」になってしまいますよね。

フランスパンのそれも同じことが言え、材料、配合、工程は原則どの国、どの地域、、どのお店、誰がやってもあまり変わらない、変えようがないのです。


しかし、フランスパンはお店によって味も見た目も違います。

それは、材料がシンプルであるが故に誤魔化しがきかず、また工程に差がないことによって生地の扱い方で状態が大きく変わるからなのです。

控えめに言って、フランスパンといういものは作り手の考えが大きくは反映されやすく、また技術力がダイレクトに出やすい製品、つまり作り手の力量がもろに出る製品なのです。


その講習会で出会ったバゲットは心を射抜くほどの衝撃で、自分が作るものと何が違うのかが分からず、悔しいというよりも、こんなバゲットを作れる職人になりたい!という心躍る高揚感でいっぱいになりました。


思えばあの時に感じた「パン作りの奥深さ」のようなもの、その奥底を見てみたくてパンの世界にのめりこみ、気づけばここまで走ってこれたのかもしれないなと思います。


人生というのは、いつどこで心を貫く素晴らしい出会いに遭遇するか分かりません。

もしかするとそんな出会いに気づかずに通り過ぎてしまっているのかもしれません。

しかし、その素晴らしい出会いに気づけたとき、人生の方向性を大きく変え、振り返った時に豊かな経験だったと思うことができるかもしれません。


自分の人生は誰かの言動をきっかけ変化することはあれど、そのきっかけを「人生の糧」にできるかはやはり自分次第。

人生は自分自身が描く、自分自身が主役の壮大な物語だと思います。だからどのように描くのも自分自身であり、他の誰にも書き換えられない物語です。


愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。

私は経験から学んできたことが多いのですが、私はそれでよかったのだと思います。

だいぶ遠回りしながら歩んでいる人生も、まあまあ気に入っていますしね。

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