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絵本『わたしたちのたねまき』を読んでは独り言

娘がプランターで
植物を育て始めた

今では芽を出し
花を咲かせているものもある

種を蒔いたもの以外にも
たくさんの草が
生い茂っている

俗にいう雑草だろう

どれが雑草で
どれが植えたものか
わからないくらいになっており
間違って引っこ抜いてしまわないか
心配になるほどである

引っこ抜かれるときは
どんな感覚なんだろうか

そんな感覚などあるわけない

という声がきこえそうだが
植物も生きている

そんなことを
妄想するのも楽しい

植物を擬人化して考えてみると
友人のように愛おしく思えるから不思議だ

身の回りに溢れている
名も知らぬ者たち

そこに目を向けてみると
世界は広がっていき
1人じゃないという気持ちになる

そんなことを考えながら

今日もまた

読んだんだか読んでいないんだか
積んだんだか積んでいないんだか
といった本達の中から一冊紹介し
心の琴線に触れた一節を取り上げ
ゆるりと書き記していきたい

今回はこちらの本を読んでは独り言

いつものように
図書館で直感的に借りてきた絵本だ

直感的にと書いたが
タイトルや装丁など
私の感覚を刺激する要素は様々だ

ちなみに

ここで一つ白状させてもらうと
この本のタイトルを
誤って認識していた

今回読むまでずっと
『わたしたちのたまねぎ』だと
思っていたのだ

たねまき

じゃなくて

たまねぎ

だと思って借りたのだ

もちろんただの見間違いだったのだが
そんな偶然の出会いもまた面白い

さてさて

いつものように
引用する必要があるんだかないんだか
引用の意義を考えては
自己ツッコミを入れつつ
noteの引用機能を用いて
引用させていただきたい

種はフロンティア(開拓)精神にあふれています。生まれたところには兄弟がいっぱいで、みなおなじ栄養素をもとめるため、生きのこるための競争がはげしい。それに根づいたら、まずそこから一生はなれられないわけですから、種のときの移動というのは、ほとんどの種にとって、はじめてにして最大の旅になります。より遠くへ、条件のいい場所へと向かうため、さまざまな工夫をこらします。
(中略)
動物(人間をふくむ)も動物も、たがいを利用しているようで、知らないあいだに協力しあいながら、助けあいながら、宇宙から見たらたった一つの、地球の生命という大きな「実験」へ貢献しているのでしょう。
ひとりぼっちで孤独だな、と感じるときは、自分は本来自分がいる場所から遠く、この辺境に飛ばされてきた種なのだ、と思えば、今生きていることそのものが、重大な任務のように思えます。お日さまの光を浴びて、大きく息をして、この、奇跡的にあたえられた任務を楽しみましょう。

キャスリン・O・ガルブレイス ウェンディ・アンダスン・ハルパリン 梨木香歩. わたしたちのたねまき ーたねをめぐる いのちたちのおはなしー. のら書店, 2017, 30p

生きていることそのものが
重大な任務のように思える

何とも素敵な言葉だなぁ

そう感じながらも
きっとこの言葉も届かない人も
いるのかもしれない…

薬局での患者さんとの会話を
振り返りながら思ってしまう

ただ生きていることのありがたみは
今不安に追われている人には
届かないのかもしれない

そんなふうに思ってしまう私自身
不安に思う人を分けて考えてしまっており
それはそれで良くない考えなのかもしれない

とも思うが

分けて考えてしまうことは
人間である以上仕方ないと
言い聞かせたりもする

孤独や幸福について
日々考えてしまう今日この頃であった

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