入場料のある本屋「文喫」のなんの価値に対して1500円を払うのか?それは「教養人である優越」ではないだろうか。
しゅんしゅしゅんです。
少し遅ればせながらですが、新しい本屋として話題の「文喫」にきました。
文喫とは、入場料のある、これまでにない新しい本屋。六本木の土地にマッチしたアート、デザイン、ビジネスを中心に、食、人文科学や自然科学、文学、他にも雑誌、コミックなどが揃ってる。1日中本に浸って、意中の1冊に出会うための時間を提供してくれる場所。
本屋の利益率は低い。出版不況が叫ばれている中、素で本を売るというビジネスモデルは厳しい。本屋の数は年々減少している。
そんな中、固定費を極限まで抑え、品揃えではなくテーマ性で勝負する小さな本屋が台頭している。本の販売益ではなく、併設しているカフェスペースやイベントスペースの利益を柱とする本屋×〇〇のスタイルも台頭している。
僕個人としても本屋が生き残る道は、逆説的ではあるが本を売らないビジネスモデルを構築することだと考えている。
文喫は本を売らなくても生きていけるビジネスモデルを構築している。もちろん本は販売しているが、収益の柱は入場料だ(であるはず)。訪れた人が本を1冊も購入せずとも、ドリンクを1杯も飲まずとも1500円という売上が入る。
ここで気になるのは「文喫に訪れる人はどんな価値に対して入場料である1500円を支払うのか」ということ。
僕はここを感じ取りたくて文喫に行ったのであった。
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なんて、激しく意識高い出だしでスタートしましたが、僕は本が好きで好きで好きでして。本、本屋、読書空間に仕事として携わりたい想いを抱いています。なもんで、人気のある本屋には足を運ぶんですよね。文喫も行かないわけにはいかなかったのです。
本屋好きにしかこの感覚は伝わらないと思いますが、文喫のウェブサイトの一文字一文字、そしてトータルの世界観は悶絶級です。
文喫って入口でフロアMAPや過ごし方を記したパンフレットを渡されるのですが、ディズニーランドの入り口でパンフレット手にした時なんかよりずっとワクワクしますね。僕にとっては。
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そんなこんなで、文喫に到着。
蔵書は3万点とのこと。いわゆるブックカフェの10倍くらいの蔵書はあるだろう。いわゆる街の新刊書店の1/10くらいの蔵書だろうか。
さっき本が好きだ!と散々いっておきながら、置いてある本、および本棚の作り方の妙は正直わからないんですよね。本に造詣が深い人は本棚を見て「この本の横にこの本を置くとは乙ですな~」なんて悦に入ったりするらしいが、残念ながら僕にはその楽しみ方はないのです。
なので本屋全体の空間、読書空間に着目します。
全体的な空間としては上々。図書館以上カフェ未満の音。しーんとしすぎず、うるさすぎず。満席で50人近くの人がいたと思うが、この人数が集まり、このボリュームは奇跡のしろものではないか。
ブックカフェに行くと、僕は読書だけでなく執筆作業もするタイプですが、作業空間としても上々。ふと作業を終えてパソコンから目を離すと、本を読んでいる人、本をパラパラとめくりながら選んでいる人、目に入る人全員が本と関わっている。これがまたはかどるのです。
そして飲み放題であるコーヒーと煎茶。満喫とはわけがちがいますよ。コーヒーにはうるさくないですが、さすがに満喫のコーヒーとカフェのコーヒーの違いくらいはわかります。飲み放題とは思えないコーヒーレベルでした。
とまあ、とにかく気持ちのよい空間。こんな気持ちのよい空間で、1日中本に浸って、いつもなら買わない本との偶然の出会いも楽しめる。
これは1500円を支払う価値がありますね。スタバ以外のサードプレイスだ。また文喫に訪れたいと思ったのでした。ちゃんちゃん。
では、ない。
確かに気持ちのよい空間であることは間違いない。でもまたくるか?徒歩10分以内に文喫があればまたくるかもしれない。でも30分もかけてわざわざ六本木の文喫まで行くのか?
いや、ちと厳しい。ギリギリ二度目はないかな。最寄りの本屋に行っちゃうし、最寄のスタバに行っちゃう。
まずここまでに書いたような文喫の良さは、ネット上にもあふれている意見であり、僕も同様の感想はいだいています。でも冷静に考えると他の空間でも享受できる良さだと思うのです。
読書空間としては、東京にあるブックカフェは正直どこも居心地がよい。作業したいのなら、おしゃれなコワーキングスペースはたくさんある。コーヒーはスタバの方がレベルが高いだろう。蔵書だけなら図書館や大型新刊書店の方が優れている。おしゃれ感でいうと蔦谷書店と一緒か、蔦谷書店が一枚上手だろう。
では本との偶然の出会いはどうだろうか?
こっからはかなり個人的な価値観ですが、そもそも本との偶然の出会いって眉唾もんだと思ってて。みんなそんなに本との偶然の出会いって求めているんですかね?
僕は本が好きなのだが、偶然の出会いを楽しめるほど好きではない。いや、偶然の出会いを楽しみたいほど暇ではないに感情としては近い。読んだ本が想像以上に楽しかったという嬉しさは何事にも変え難いが、それは偶然の出会いではなくとも、普通の本屋で選んだ本でも発生することだ。
僕と同じ理由じゃないとしても、文喫に置いてある本や、その本の並べ方が生み出す偶然の出会いを何かしらの理由で享受できないとすると。もはや文喫で1500円の入場料を払う絶対的な理由はなんだろうか?
その答えは、僕が心の奥底の潜在意識すれすれで感じた「純粋な空間の気持ちよさ以外の気持ちよさ」にあると思う。
それは優越感だ。
文喫に通っていますというステイタス。
私は1500円払ってでも本とのセレンディピティ(偶然の出会い)を楽しむ種別の人なんだという差別化。本が好きな人にしかこの1500円の価値はわからないですよねという誇り。本をたしなむ教養人たちの仲間入りしたかのような優越感。流行りの言葉でいうと上級国民感(これは違うか)
正直僕は感じました。
許された民しか足を踏み入れることのできない神聖なる空間。1500円払っただけなんですが。
ま、でもコミュニティなんて近いもんかもしれないですね。ある価値観を共有できる人達だけがいる場は心地よい。安心感と優越感の共存というか。
あ、もう一つ文喫に通う合理的な理由がありますね、1500円でコーヒー飲み放題なんで、4杯以上飲んだら元がとれるという理由ですね。焼き肉屋で食い放題プランを選ぶのと一緒の考え方。これはほんとそう。
つまり食い放題合理的思考の持ち主と、教養人の優越感を感じたい持ち主、この2名が文喫のリピーターではないでしょうか。
極論ですかね?
ちなみに僕はこれ悪いことだと思っていなくて、むしろかなり高度なデザインだと思っています。実利を飛び越えて人間の感情(安心感とか優越感とか)をくすぐる空間を自然にデザインする。すごい洗練されている。
本を媒介としてなんの価値を提供するか。今って本屋の歴史上もっとも面白い時代だなあ。
では。