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(連載27)アート・ギャラリーをブティック仕様に:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1993-4年


さて、しばらく、自分の作品の話から遠ざかっておりましたが、ひさびさに戻ります。
自分の夫のオモシロおかしい話ばかりしてたら、自称アーティストとしては、この人、だいぶブレとるわ〜。なんて、言われそうですしー。苦笑

なので、今回は1990年代の中頃の美術活動について、お話しします。
まず、私がアメリカに引っ越して、まず、最初に個展をやったのは、UCLAの中にある小さいのギャラリーでした。あの、UCLA!というとキコエはいいのですが、この場所は学校の敷地にある小さなスペースで、つまり知り合いがいれば、誰もできる規模の。。。もちろん無料です。
これはこの大学に通ってた友人がたまたま薦めてくれたので、
オープニング・パーティーもなく、また、私自身の知り合いもほとんど皆無、(当時はSNSなどない)ひっそりとはじまり、ひっそりと終えた。。。まさに、意図に反して「内緒でやってる感」苦笑、まあ、初めてだったし、何も期待してなかったです。

それから1年くらいして、お声がかかったのは、「スー・スペイド・ファイン・アート」詳しくは(連載18)をご覧ください。ここでは、ギャラリーを自分のサロンに見立てて「サロン・ド・ルンナ」というタイトルでやりました。箱のようなドレスを並べたので、なんか家具屋のようになりました。

このギャラリーのオーナーはスー・スペイドさん、この方ですが。

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彼女はアカデミック畑出身の女性(コロンビア大学の哲学博士)で、自分のテイストを、ものすごくはっきり持った人でありました。

頭が超絶級でいい上に、哲学のわからない私が思うに、

現代の 女ソクラテス!!

どんな話題でも、論争(ティベート)させたら、絶対に負けないですよ!!

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ちょっとこの絵は怒っているみたいですが、いつも怒っているわけではありません。

断っておきますが。いい人ですよ。キャラが濃いだけで!!笑

そんな女性なので、アートに対してのアプローチもかなり哲学的でして、ギャラリー・オーナーとはいっても、マネタイズよりも、お金になろうがなるまいが、やっちゃう!。。。こちらも、マシンガン級な直感の応酬。
しかも全て、彼女の場合、理にかなっている直感ですから、すごいです。

当時、私の作品は、箱の服なんで、


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こんなんだったんで、中途半端なカテゴリー(マネタイズ不可能)だったのですが、ただ、彼女の力強い直感で、


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うちで個展、やらない?

と、誘ってくれたのでした。


もちろん、レンタル・ギャラリーではないので、アーティストの持ち出しのお金はいらないです。私は、女ソクラテスから言われたので、有無をも言わず、即オッケーしました。

展覧会の初日は自らも作品を着用する、はりきりぶり!
当時のスースペイドのパンフレットより


また、他に、彼女のティベート作法の矢印が、私にむかってきたのは、個展が終わってからの事ですが、私がたまたま日本の60年代のアートの話で、赤瀬川原平の話やハイレッドセンターなどの話をしたら、

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今度は「その人の展覧会がやりたい!!」って、言い出して。汗


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すぐ、日本に電話しろ!

っていうんです。



それで、私はもちろん直接知らないので、一生懸命(Google以前)調べていったら、奇跡的に、ご本人の電話番号にたどり着き、国際電話したんですよ。笑
今はもう亡くなられましたが、当時はまだお元気でした。まったく知らない日本人がロサンジェルスから電話してきて、かなり驚いていらっしゃいましたが、ご丁寧な対応でした。


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ただ、ハイレッドセンターの事は資料が残ってないので、できない。と、すぐに断られましたけども。。。。苦笑

まー、ともかく、そんなアクティブな彼女のおかげで、1990年の中盤頃は、彼女が企画するいろいろとグループ展などに、強制的に加担させてもらって、知り合いの人なども、少しずつですが、増えてゆきました。

で、それから、また、1年くらいが、あっというまに過ぎまして、

次にお誘いがあったのが、今度は、美術館がらみ!

きっかけは、別に劇的なものでもなく、おそらく、スー・スペイドの個展に来てた人の友人のその友人とかそんな感じだったと思います。

ラグーナ・ビーチという町が、ロサンゼルスの南にあり、そこの美術館の人からお声がかかって、その地域にサウス・コースト・プラザというでかいショッピングモールがあるのですけど。

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ここに美術館の出張ギャラリー兼お店があって、そこで、何かやらないか?と言われました。

サウス・コースト・プラザは、高級店がつならる(グッチ、ヴィトンなど)お金持ちの、今でいう銀座が全部インドアになったようなところに、ラグーナ・アート・ミュージアムのショップがあって、その中に小さいなスペースを持っていたのです

私からしたら、スー・スペードでもやった「サロン・ド・ルンナ」のような、店か?ギャラリー? なんだか?わからないような事ができるパーフェクトなお話。

もう、すぐに飛びつきました!!

やります、やります、やります!!

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(なんか、この写真、お調子者がバレバレ〜〜、、、、、汗)

パッと見はブティック!しかし、よく見ると、え???というもの。。。
私が今まで作っていたハンドバッグも洋服もその類なのですが。

タイトルは

「間違いだらけのブティック」!!

今までにお見せした作品以外に、こういうものを作りました。


たとえば、これ。

服の縫い代だけ残したもの。

(これ、不思議なのですが、ちゃんと着れるんですよ。)

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これは頭にのせる、つまり帽子?なのですが、

鳥かごみたいになって、檻に監禁されてる状態になる帽子。

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また、シルエットを切り抜いて、これも着用可能です。

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これ、のちに、自分で試着したのをこの note のプロフィールにも使ってます。

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箱の奥の鏡をのぞくとみ、鏡の表面に貼ってある画像と

自分の顔がかさなって、別の人になってしまう、魔法の鏡。

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それからハンドバッグなども、こんなふうに陳列のケースにいれて、並べました。

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これらは、アート? トリック? それとも??というような。

「それとなく実用性を売り物にしながら、使い物にならない」というコンセプトで、なにか、特別にアートの歴史を勉強してなくても、面白がれるもの。

もちろん、こういうのは、私が考え出したものじゃなくて、20世紀の大スター、マルセル・ディシャンからはじまり、60年代のニューヨークのフルクサスや、日本だと前述の赤瀬川氏のハイレッドセンターにも受け継がれています。

西洋とか東洋とか考え方の違いを乗り越えて、そこに共通しているもの。
子供からお年寄りも面白いと思うもの。
もちろん面白がり方はそれぞれ違うと思いますが。

それを大衆性(ポップ)への接近と呼ぶのかもしれません。でもこれは、ポップ・アートではありません。ポップ・アートはポップそのものをコンセプトにしてるので、いわば、内部告発みたいなものですから。

私の場合、「着るもの」からはじまっているのですが、たとえば三宅一生や川久保玲のように、着るという事や形を、とことん追求!!(かっこいい)

でも、私は、して。。。。ないス

布でつくる抽象的な形とか布の動きとか、布のもつシェープとか質感とか。。。ある意味、どうでもいい。。。
ポケットがどこについてようが、上にあろうが、下にあろうが、スカートの丈がみじかかろうが、長かろうが
どうでもいい。

今から考えたら、おそらくこの時点でファッション・デザイナーは失格ですねー。

ファッション・デザイナーはその微妙なところで勝負しないといけないですからね。スカートの丈が3センチ長いと売れないですし、肩幅が2センチの違いで、バカ売れします。こんな風にいい切れるのは、のちに自分もリメイクのブランドをやるようになったので、、、、断言しておる次第です。

ま、この頃は、そういう俯瞰で物事を見る事ができてなかったので、
ただ、直感的に自分が面白いと思う事を、追いかけていただけですけど。

そういうデザイン的なテクニックより、人をびっくりさせたり、「わー、なにこれ?」って思ってもらう事に焦点をあてていたのです。
美しいドレス。。。と、いわれるよりも、「え?なに?これ?」と言われたかったんです。(今でもこれは同じです)

で、この展覧会の話にもどります。

この展覧会は、けっこう反応があったんです。
ロサンゼルス・タイムズも写真入りで載せてくれました。

キャサリン・ターナーよりも大きく出てます!!爆笑

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この事で感じたのは、美術館のネットワークはすごいなあと思いました。
私ごときが新聞にまで出してもらうのは、やはり美術館のおかげでした。
本館ではなくサテライトのスペースではありましたが、やらせてもらえて、よかったです。

タイムスに出たから、いきなりブレイクか?

それはなかったです。(きっぱり)


東京みたいに、次々にいろいろな事がおこって、数珠繋ぎに登っていくような連鎖には、、、なりませんでした。

少なくとも私の場合ですが、ロサンゼルスは、だだっ広いので、なかなか点が線にならないんです。。。。それは今でも同じです。ゼロから1️は簡単にできます。みんな応援してくれて、ボランティアもすぐ集まります。

しかし、1から2の壁が、

相当に分厚い。。。。。


昔は、その壁をなんとか乗り越えようと、何回も、何十回も、頭をガンガン壁にぶつけて、それで頭が割れそうにもなったし、心もずいぶんと傷ついた。。。。。。

しかし、何度もぶつかってると、だんだん、知恵がついて、

ついには。。。。。。。壁を乗り越えるのに、

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。。。。。斧を使うようになった。


とさ。



今回はこれで、終わりです。

読んでくださってありがとうございました!


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