(連載37)「画家」になってみたらどうだろう:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1999年
いきなりですが、今回は、おことわりから始めさせてください。
まず、今回も、めちゃ、長いです。すみません。
他人様から見たら、どうでもいいような事まで書いてしまい、なんと、5000字以上になってしまいました。。。。
暇つぶし、、、、にでも、お役に立てればいいのですが。。。。
私の90年代後半から2000年初めまでの表立った流れは、前回と前々回に必要以上に詳しく書きましたので、興味のある方は、是非!
でも、読むのが面倒な方は、以下の内容で、流れは把握していただけるかと。
つまり。。。。。
カラオケ→コスプレ→踊り子→バンド→ヨーロッパーツアー。
自分でも何が起きているのか、ロサンゼルスのコリア・タウンのカラオケ大宴会からはじまり、アレヨアレヨと、起きる現実がとんでもない方向へ、。。気がついたらベルリンのナイトクラブで、シャボン玉を飛ばしてた。。。。
何度も申しましたが、私は、バンドやりたいなんて一度も思った事なかったし、それはもう、この連載の一回目から目を通してくださってる人には、明らかなファクトフルネスな、わけです。
私のアイデンティティは、視覚美術系アーティスト!
今までも、そしてこれからも、これ以外考えられないと思ってた。
しかし自分のアート活動を地味にずーーっと続けても、なーんの変化もない。それで食べていく事は、とっくのとうに、諦めてはいますが、少なとも、なんらかの変化、、、たとえば、クリエイティブな友達が増えるとか、興味深い世界が広がるとか、自分に興味を持ってくれる人々が、次のドアを開けてくれるような、目の前の状況がどんどん変わっていくようなそんな勢いは、まったく見られませんでした。
それまで、コツコツと作品制作を続けて、何かを発表したら、その時はパーっと花火が上がるが、次の日は、何もなかったかのように、元にもどる。
アンディ・ウォーホルのように、派手でクリエイティブでエッジな人たちに囲まれて、毎晩テストシュートをやったり、ダウンタウンのオサ〜レなロフトに住んだり、個展のオープニングにセレブが駆けつけメディアから注目されたり、そんなのは、自分には、ぜんぜん起きないな〜と。苦笑
アーティスト活動って、
超〜〜。 地味。 だったんだ〜〜。
そういや、私はもともと80年代のバブルの時に、コマーシャルアート業界からファインアートを目指したので、ファッション雑誌が紹介するようなアーティストの切り口で、そのイメージを捉えていたのだ、と。
今更のように、気がついたのです。
おっそーーーーーーっ。
そして、ファッションというコマーシャルアートの代表格から、半分だけ軸足をずらしただけの、立ち位置。その命、かけてないのが、バレバレの、中途半端な存在になっていたのだった。なんせ、服の作品なのでね。
10年に一度起きるか?起きないか?、奇跡の棚ボタで、2回、ものすごい場違いな展覧会(苦笑)で、ロンドンによんでもらったけれども、自分が住んでるロサンゼルスでは、ギャラリスト(作品を売ってくれる人)もいないし、作品を買ってくれたのは、ファミリーと本当に少人数の友人のみ。それも義理で。涙
もちろん、作品を売ることが最終目的ではないし、有名になりたいとか(もちろん、なれるなら、なりたいですが〜。笑) そんな大きい野望はないですが、何かを作ったら、誰かに見せて、手応えみたいなのを感じたい。
もちろん、フリーで仕事をしながら(バイト=ギグワーク)作品を作り続けられてるだけでも、幸せですし、もうー、ありがたいっていうか、感謝の連続ですが。
それまで、
だと信じて、それがまた、ユニークなところだと自負して、ずっと服の作品を作ってきたけど、発表する機会がまったくないと、悶々として、
自分が服を作って、「ね?ね? これ、服なんだけど、ほら、アートなんですよー。」と、現代美術的に身構えているのは、なんか恥ずかしい気もしてきたのです。
もともと、それが「アートか? アートじゃないか?」は、見る人が決めるものだし、ファッションとアートの境界線ごときで、現代美術家を気取っているのは、なんかお門違い? 、、、100年前ならともかく。
ただ、ファッションとアートの両方をやろうとしてる限り、今の自分の作品だと、それを説明しないとわかってもらえないんじゃないか?
立体モノって、(彫刻だの、オブジェだの、服もそうですが)だと、その材料がなんなのか?それは何で作ってて、何を意味するのか?社会的意味やら意義やら、なんやらかんやらからはじまって、造形の工程のすべてに理由が存在する。。。。いわゆる、コンセプトってやつか。
は〜。ため息。
そんなん頭で考えて、いちいち説明するのって、言語化が得意な大学院の先生や批評家がやる事であって、私がやらなくてもよくな〜い???とも思いはじめた。
ジャンルを超えて、両方のいいとこどりしようなんて、欲が見え見えの「境界線」だから、いろいろと説明が必要になるけど、だったら、いっその事、服で何かを表現するというのをやめてーーー。
芸術の王道、つまり 絵だったら?!!
絵だったら申し分なく、最初っから、アートだっ。ってわけです。
説明がいらんだろ?
画家だったら、ジャンルなんて考えなくてもいいし、作品の説明を自分でやらなくてもいいし、ごちゃごちゃいろいろな事を自分で考えなくても、よくなる(ような気がした)
画材の意味なんて考えなくてもいいし。服みたいに、自分で「これは、服ですが、アートですよ」なんて、言わなくていい。
第一、ギャラリーというのは、絵の作品が多い!
絵だったら、もっと簡単にギャラリーやギャラリストが見つかるかもしれないしなー。とも思った。つまり発表の機会も増えるし、いろいろな人に見てもらえる。
じゃ〜、何を描く??もちろん、服に関連してるもの?
でも、どんな? という命題が、ぼんやりと頭に浮かんだり消えたりしていた。
この頃の私の毎日の生活ですが、まだバンドにスカウトされるちょい手前の踊り子の頃にもどります、、、。
友達がビンテージ(古着)のお店を出して、店番のバイトも始めたので、昼間は店番、夜は「ロスの踊り子」として、忙しくしておりました。
踊り子といっても、ただ、ローカルのライブハウスで、バンドの演奏に合わせて、ピカピカで、ヒラヒラの派手な服を来て、手足を振り回していただけで、別にダンスといえるものでもなかったです。汗
で、派手で、ウケが狙える、舞台衣装になるような服を探すのに、この頃の私はフリマやスリフト・ショップ(日本でいうところのリサイクル・ショップですが)頻繁に行くようになってました。
アメリカには、スリフト・ショップというのが、いたるところにあり、ショップというよりも、リサイクルセンターと申した方がイメージしやすいと思いますが、ものすごく大きいのです。体育館なみのとこも普通です。
前にフリマが宇宙だと申しましたが、
(連載16)このリサイクルショップも一つの銀河系でありました。
ここに行けば、食品以外の生活必需品の全ては、なんでも揃います。
つまりデパ地下のないリサイクルのデパート(百貨店)ってかんじです。
家具、本、文房具、食器、絵、カーテンやクッション、中古車、衣類も服だけでなく下着や靴下まであるんです。さすがに、ユーズド(中古)の下着のパンツはありませんが、ブラとかストッキングはあります。苦笑
それらがすべて中古品なので安価で買えるというので、それまでも、私は、家で必要なものはもとより、作品の材料として使えそうなものなどすべて、スリフトかフリマで揃えていました。
それに、フリマもそうですが、アメリカという国は日本と違って、人のテイストが様々で、価値観も違うので、とんでもないものが、とんでもない値段で、あったりするんです。また場所によって、住んでる人種もさまざまなので、そのあたりに住んでいる人が寄付をして成り立っているので、スリフトにあるもので、その町の生活が学べたりします。ブラックの人の多い地域やラティーノの人が多いところなど、またビバリーヒルズやバレーなど、それぞれの町のスリフトにもキャラがあって、それも、アメリカならではの面白いところでした。隣町やまたその隣町と、この頃はどんどん遠くまで、ドライブしたものでした。
フリマのところで申したかと思いますが、まだ、ネット以前ですから、アマゾンもなければ、Ebayもない頃なので、値段をググるなんて、なかったです。そのものの価値も自分で決めなければ、なりません。ある人にしてみたら、ゴミでも我々が見たら、お宝。またある人にとっては掘り出し物が、我々からみたら、ゴミ。。。。こういうモノの価値を自分で決めるという緊張感も好きでした。
で、そんな頃。
ふと思いました。
どこのスリフトに行っても、メンズの白いシャツのコーナーがあるなー。と。
全てが、ほとんどおなじデザインなのに、ひとつひとつが全部違う。。。
社会のユニフォームとなっている白シャツ。考えたら、この100年以上も続いている同じデザインだ。
そして、また、古着なので、その首にうっすらついている衿のシミ。
文字通りのホワイトカラー、しかしそこに確かに働いた労働の印=ブルーカラー的なしみがそこに、残っている。
服が作られて、そして人間に使われた痕跡。誰かの人生にコミットした印です。
それは誰が作ろうとしてできたモノでなく、オーガニックにできてしまった、「生物」カビとか細菌みたいなような気もしました。
私はこれはなかなか面白い!!と思ったんです。
時代によって、コットン100%だったり、ポリエステル混紡だったり、いろいろな国で作られている。デザインも微妙に違ってて種類もたくさんありました。汚れ方もいろいろです。
で、値段も100円くらいだったので、ついでの時に、つい買うようになって行きました。
で、だんだん、買っているうちに、集めている感覚になりました。
そしたら、分類したくなりました。
スケッチしてどんなのがあるかリサーチするようになりました。
それは、まるで、山は丘を駆け巡って昆虫採集してるような感覚になった。
そして、一点一点、気にいった衿を箱につめていきました。そのための箱も、ひとつひとつ作りだしました。
はい。そうです。アタクシ。
この白シャツの衿を絵に描いて 画家になろう!と。
と思ったんです。
しかし、アンタ、描くのはいいけど、絵をかく技術があるの〜?という疑問が、一瞬、頭をよぎった。。。
私、美大とか、行ってなかったんだ〜。苦笑
それまで、日本画や油絵を習った事はありましたが、どれも3ヶ月以上続いた事はありませんでした。つまり、まともな作品を描いた事は一回もありませんでした。
しかし、ここで、私がお得意の、
世間をなめたアドレナリンが、暴発!!
技術がないからこそ、ないなりに、描けるものもあるだろう!!
今って、なんでもありやん?
かつて下手ウマっていう言葉もあった。
ルソーみたいに技術はないけど、美術史に名前を残している人もいる!
そして、思ったらなんでもすぐ行動する性質(悲しいサガともいう)
なので、もうすぐ画材屋に行き、アクリル絵の具と絵筆とキャンバスを買った。
とりあえず、衿を見たままを、描いてみようと。今までの自分が学んできた美術のテクニックを(もしあるとしたら)100%、いや300%くらい抽出したら、どうなるんだろう?
そして、集中して描いてみた。これです。。。。
なんか、自分でいうのも、なんですが。汗
、、、、なんか、悪くないような気がしたのです。てへ。
そして、しばらくの間、この同じような絵をスリフトで買った汚れた衿をみながら、せっせと何点か描いてみた。
しばらくしたら、タイミングよく、サンタモニカの小さなインディのギャラリーからグループ展に誘われたので、これを見せたら、オーナーも気に入ってくれて、この絵を出品してみた。
そしたら、初めて、
ぜんぜん知らない人が買ってくれたんです。
生まれてはじめて、ギャラリーを通してで絵の作品が売れたのです!!
しかも買ってくれた人は、アートコレクターで、パートナーは有名なアート評論家でした。
これで、何かはじまるかも????と、ギャラリーに人もよろこんでくれた。。。
ばんざーい。バンザーイ。
絵が売れた=私は画家になれたのでした!!
しかし、、、、
私の朗報は、いつも 「しかし」 で終わる!
いつものように、展覧会が終わったら、
もう何もなかった。。。。。
絵が売れたからといって、その人と知り合いになるわけでもなく、期待してたパートナーの方が何かしてくれるわけでもなく、次の展覧会の話がくるわけでもなく、新しい友達ができるわけでもなく、、、、、何も広がりませんでした。、、、、、それどころか、そのギャラリーは、しばらくしたら、なくなりました。
つまり画家になったから、「これってアートですよ」って言わなくてよくなった!!!そして絵が売れた!!!けど。それ以外は今までと同じ、何も変わりませんでした。
変わったといえば、手元に残ったのは、汚れた衿の白シャツ。
実は、
この時点で、スリフトで買い漁ったそれらが、、、、部屋中の中に膨大に転がっていた。500枚くらい。。。。。
どうするよ?こんなもん。。。。
次回に続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?