(連載78)プロジェクト「汚れの首輪」を本にした:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2013-14年
思えば2013年は、曇り空のような年であった。
自分で企画したイベントをやったりして、他人から見たら相変わらず絶好調!に見えたかもしれないが、実際、そうでもなかったのだ。
人間って、そういうものかもしれないですね。
この年に、一緒にバンドをやってくれてたアランが亡くなくなったんです。
連載45にも彼のことを書いたので、繰り返しになるかもしれませんが、当時、どんどん痩せていってたので、もしかしたら。。。と思っていたけど、聞いたら、本人が「それにつては、語りたくない」と言ったので、突っ込んで聞きませんでした。そのうち、入院して、癌だったと知ったのは、本人が亡くなってからでした。
メモリアルはハリウッドの彼がいつもチャンティングのドラムをやっていたところ。空は晴天で、自分の心の中とは対照的でした。
自分でバンドなんかやったことなかったのに音楽を始めて、しかも作詞作曲までやって、下手くそなギターを弾いていた時に、はじめて応援してくれたのがアランで。
なんせ、あの、ディーヴォのドラマーですからね。ほんとに、このまま音楽をやってもいいんだって、後押ししてくれた事は、当時は本当に嬉しかった。
でも、もう、アランはいなくなった。。。。。。
そして、もうひとつ、心が曇ってしまっていたのは、ファッションショーや展覧会をやらせてもらっていた、トラック16というギャラリーが、移転することになったことです。
現在、ギャラリーがあるところに電車の駅ができるというので、立ち退きになった、、、、。悲運の矢がささった。。。。
ここのエリアはギャラリーが20軒くらい、たくさん集まっているところだったのですが、なぜか、
トラック16と隣のギャラリーだけが
立ち退きの対象になったのでした。
引っ越したところは、狭いギャラリーがふた部屋あるだけの、もっと狭い場所でした。それまではロフトのような広いスペースだったのに、新しいところはイベントスペースは、、、なかった。
この二つのことは、なんだか自分を支えてくれていたものが、ガラガラと足元から砕けていってしまったような気がしました。
支えがなくなったら、自分はどこへ向かうんだろうか?
自分はずっと同じなのに、今あるものが、ずっとあるとは限らない。
そしてこれからどうなっていくんだろう?
なんだか、モヤの中に頭だけつっこんでるみたいな状況。
アランが手伝ってくれてた、はじめての自分のバンドジャンポール・ヤマモトは、レコーディングする機会も何回かあったのに、いろんなことが重なって、結局はできなかった。。。。。。。
ちゃんと形にしとけばよかった。
それで、思ったんです。
今までやってきた「汚れの首輪」
なんとかして残しておいた方がいい。
なんせ、1999年からずっと続けているプロジェクトであります。この時点で、かれこれ14年間になってました。
ファッションショーやパフォーマンスはビデオにする事はできるけど、絵があったり、リサーチ・ノートがあったり、音楽まで作ってますんで。苦笑
メディアはいろいろですが、ひとつのプロジェクトとして一貫しているものなので、まとめておいた方がいいと思ったのです。
で、本を作ろうと思い立ちました。トークショーなんかやってるよりも、『本-book 』だ!
だって、ずっとずっと、後に残るし。。。。。たとえ、私がこの世からいなくなっても、本は残る!!!
それで、友達関係を探って、インディの出版社などをあってみたけど、当たり前ですが、当然、ダメでした。
一方その頃。
夫のトッシュは、ブックスープという本屋で働いていたのですが、自分でも、「タムタム・ブックス」という小さい出版ハウスをやっていて、フランスの本ばかりを出していました。苦笑
一番多いのが、ボリス・ヴィアンでした。
ヴィアンは日本では知られていますが、アメリカではそうでもなく、よほどのフランスかぶれの人しか知りませんでした。それで、英語での著作権が開いていて、「今しかない!」と、そのほとんど買ってたのです。汗
ヴィアンの他にはセルジュ・ゲンズブールやギイ・デヴォーの本などなど、アメリカ人には相当ウケにくい本ばかりを出版していました。 なので、当時はフランス大使館の人とも知り合いになるくらい、その筋では知られた存在になってました。笑
まあコアな本というのは、売れないですので、(ガレージに在庫がたっぷり)「私が自分の本を作ってもらいたい」といっても、どう考えても、無理なのでした。まあ、第一、自分はフランス人じゃないですからねー。笑
もうこうなったら、頼るのは、日本の門司港にいる父親でした。苦笑
聞いてみたら、あっさり、「いいよ〜〜。」と。むっちゃクチャ、簡単に、ポンと製作費を出してくれたんですよ。これには驚きました。さすがに「私を作った人」と思いました。苦笑
この頃は年に2回は父の顔を見に、日本に帰国していたので、交通費だけでも半端ない出費で、私のお財布事情が、すっからかんだったのが見え見えだったのでしょう。父は今はもう亡くなってしまったのですが、もう感謝しかないです。
お父さん、ありがとう!!!
んで、
こうなったら、話が早い! 本は制作は日本でやろう!!クオリティも良さそうだし。
デザイナーは、80年代からの知り合いのアモーレ(上野宏介)君です。
いつもダンディ*100%!!
彼には、今までの私のプロジェクトのロゴから、ウェブのデザインから、音楽のアルバムカバーなど、ありとあらゆるグラフィックすべてをやってもらっていました。
それで、結局、本の制作のために、一ヶ月くらい日本にいたと思いますが、思ったよりかなり大変でした。
1ページごとに名前やタイトル確認作業してから、今度はトッシュが英語の再確認。そして、今度はデザインの確認。写真が大きいとか小さいとか、自分にしたら、苦手なことばかり。。。。。
イチから本を作るって、かなりのエネルギーがいりますねーーー。
紙の指定などは、紙サンプルなどを見てから決めたかったので、わざわざ、長野にあるオノウエ印刷というところまでアモーレが運転して、連れてってくれました。
ここは、質にとてもこだわっている会社で、セレブの写真集やアート本などたくさんやっているところだったのです。
そして、この時に、コストの相談、見積もりなどのミーティングをしました。
もともと、私は絶対にハードカバーで作りたかったので、そこは譲れない!なので、何冊作ったか忘れましたが、予算に見合った冊数にしたのですが、そうすると一冊のコストがむちゃくちゃ高くなる。当たり前ですが、、、。
で、多分、私のようは無名なアーティストの本なんで、絶対に売れないと思ったので、何とか高くても売れる特別な本にしようと思いました。
そこで思いついた。
オノウエさんで本が完成して納品してもらった後に、さらにそれに自分で何か足そう!!
それがなんだったかは、3分後に、お話します。
まず、これが表紙です。
裏表紙(俺様、うふ。)
中身を少しお見せします。
コンセプトについての能書きは、カルアーツ(美術大学)の教授の レスリー・カーペンターさんに書いてもらいました。
汚れた襟で作ったウェディングドレスと、シャネルスーツもどきと、エルメスもどき。
ファッションショーのスナップ
「汚れの首輪」の絵。左は精神医学のフロイト、右はジミヘン。
そして!
お待たせしました。
三箇所、出来上がった本に付け足した部分です。
襟の形にドラムトラックに打ち込んだシーケンサーを鳴らして作ったノイズ音楽と、
「汚れの首輪」の演歌(どこまでこだわる?笑)
この2曲で、正方形のソノシートを作ったので、(つまりレコードプレイヤーで音が出るって事です)それをこんなふうに、本に挟み込みましたよ。
右の角のホルダーの部分はカラーコピーして、ノリではりつけました。
それから、裏表紙の「汚れの首輪の仮面」ですが、そのパターンもつけた。
万が一、作りたい人がいるかもしれないな〜と思って。笑
そして、巻末には見開きで、前回のパノラマのコラボ写真。
これらをひとつずつに全部装備しました。
ひとりで、来る日も来る日も特別なノリを使って、一冊ずつ、貼り付けました。
そして。
ようやく完成して、ディストリビューションは、夫のタムタム・ブックスでやってもらいました。ふぅ〜。実はこれが一番、大変なのです。自費出版だとこういうのができないですからね。結果、タムタムで出してもらうというビジネスの上でのカタチはできました。
そして売り出したのは、2014年のことであります!!!
さて。
これが、、、、、ですね。
現在、2022年になりますが、
奇跡的に。
まだアマゾンに残ってるんですよ。笑
しかも!!
星が五つ星です!!
リビューを書いたのは、トッシュですからね。ベタ褒めです。笑
そして書いたのは、
彼、ひとり、だけ! 爆笑
(よって五つ星!)
もう、私って、
どんだけ、ラッキーなんだかぁー!!
あの、もしよかったら。。。。
なんだか、最終的には、本の宣伝になってしまいました〜。
次回もまだまだ、続きますので、よろしくお願いします。
L*