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現代的論語4 孝行とは

其の人と爲(な)りや、孝弟にして上を犯すを好む者は鮮(すく)なし。
「その人柄が、家に在っては親に孝行を尽くし兄や姉に従順なもので、長上にさからうものは少ない」

『仮名論語』学而第一より

親孝行をし、きょうだいの言うことをよく聞き、年上や上司の人に逆らうものではない…
簡単に言えばそんな感じです。

孔子が生きていた頃の時代なので、
「兄や姉に従順に」というフレーズは
今の時代で考えると表現の仕方がきついものや
そぐわないものも中にはありますが、
”きょうだいを大事にせよ”という意味で受け取れば良いのではないかと思います。

「親やきょうだいを大事にして、
孝行することを忘れないようにしましょう。
そういうことがきちんとできる人は、
社会においても
年上や上司に安易に突っかかったり
失礼なことをしたりしないでしょう」

現代的に訳すならそんな感じでしょうか。

親やきょうだい、つまりは家族を大事にする。
これは昔から私達の人間性として受け継がれている想いです。

孝行する…
これはよく言うことではありますが
本質を考えると結構難しいものです。

日本では、武士の時代など、
国づくりに励み、戦が絶えなかった時代
教育は、論語をはじめとした儒教を教えていました。
国のためにどう生きるか、国のために何を為すか。
国を守り、そして戦うために、
上の者の言うことをきくという教育がなされていた時代もあります。
優秀で強い軍となっていくためにです。

時には政治のために、経済成長のために、
昔は論語を中心とした中国古典、儒教からの教えを基に国民としての在り方、人としての在り方が教育されていました。

そういった中で、親孝行は大事だ、親がいて自分がいる、親に感謝し生きよ、というような考えも引き継がれてきたのです。

国のために、親のために、我が身を尽くせと。

親孝行はもちろん大事。
これは皆さん理解しておられることと思います。

ですが、中には親孝行すること、親を大事にすることに抵抗感を持つ人もいます。
・複雑な家庭に生まれ、まともに親に養育されていない子
・親との関係性が非常に悪いまま育ってきた人
・親と離れて暮らす子
・親の愛情を十分に得られなかった人
・親に虐待されたり、捨てられたりした子

親と子の複雑な問題を抱えた人には親孝行どころではありません。
親に恨みを持ってしまう子も悲しきかないます。
孝行してもらえるような親ではない人も悲しきかないます。

私は仕事柄、親と子の社会問題にもよく直面しますが、
その度に何とも言えない切ない気持ちになります。

親孝行したいと思える親とは、
生まれた時からの愛情ある繋がりと信頼感があり、適切に母子分離ができた上で良き関係性を保つことができている親です。

私自身もあまり良い家庭環境で育ったとはいえず、問題を抱える家庭の中で育ちました。
親との分かり合えなさ、信頼関係の持てなさを未だに抱えていますが、
親孝行しなさい、と言われるとなかなかつらいものがありました。

ですが、論語で語られる孝行(「孝」)というのは、
親孝行という意味だけに捉われる必要は無いのです。

孝行する、感謝するというは親にかぎらず、
それよりももっと前の、祖父母や、曾祖父母、さらにもっと前の親族、ご先祖様に感謝すれば良いのです。

親よりもっと先の親族、ご先祖の方が存在し、出会って家族になり、それが続いてきたことで自分が生まれ、今がある。
そのことに感謝することも孝行の一つであり、とても大事なことです。

ご先祖から続く生命の連続性により、今私達がこの世に生きています。
ご先祖や親族達が、他の違う人と出会って結婚していたら、自分は生まれていないのです。
とてもわずかな確率の中で、たまたま私達は生まれたのです。

今自分がここにいるのは、よく考えれば奇跡とも言えるようなことなのです。

『だから生まれたことに感謝しなさい。
先祖たちの出会いと、家系をつないできてくれたことに感謝しなさい』
そういった意味も含めて、孝行というものが引き継がれてきたのです。

このように孝行というものを捉え直すと
親との問題を抱える者からすれば
少し楽になれる言葉なのではないでしょうか。

己の命を大事にし、有難みを感じるということは、
自分の誕生にたどり着くまでの親族、
ご先祖の方々へ、
感謝や敬意を表すことでもあるのです。

私達は先祖から続く、偶然の出会いの積み重ねと、それによる生命の連続性を経て今ここにいます。
それぞれが皆、偶然から生まれた有難い命。
家族も、周りにいる人達も、
奇跡の人達なのだと思って
大事に想えれば、
何かと突っかかったり、失礼なことをしたりすることはなくなるでしょう。

「其の人と爲(な)りや、孝弟にして上を犯すを好む者は鮮(すく)なし」


『現代的論語』では章句をとりあげ、現代に合わせて考えるならこのような言葉だろう、ということを記事にしていきたいと思います。
現代人になじみやすく、イメージしやすい事柄で解釈をしていくことで、もっと論語を身近に、耳が痛い言葉もありつつも身に染みる…そう感じてもらえたらなと思います。
共に論語を学ぼうではありませんか。


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