「皆、自分の身に危険が及ばないと何も行動しない」
日本人は穏和で道徳心もあり、和を重んじる、世界から見ればちょっと変わった、それでいて憧れでもあり、良い国、良い国民性なのかもしれない。
外国の人が日本を好きになるのは本当に嬉しいことだ。日本にまた来たいと言う。外国の人は皆、口を揃えて「日本の人は私たち外国人にいつも親切にしてくれます」と言う。そうかもしれない。日本人にとっては皆それが当たり前のことで、特別何とも思っていない。
話は違うが「しかし!」である。この日本が内部から、しかも国政を担う政治家が率先してこの日本という国をぶっ壊しているのに、日本人は誰も文句を言わない。「誰も」と言うと語弊がある。大半の国民は無関心で文句も言わない、抗議もしない、あらがって抵抗しようともしない。危機に立ち向かおうともしない。ただただ草を食べて寝ているだけの家畜のようだ。
真綿でクビを締められて行く。権力が及ぶところすべての国民に害と危険が及んで行く。生かさず殺さず「蛇の生殺し」状態。それでも抵抗しようともせず、死ぬのをただ待つのか。誰だってクビを締められたら、苦しくてもがいて抵抗するだろう。苦しいのは誰だって耐え難い。直接クビを締められていなくても、それと同じことを間接的にやられているのが日本国民。しかも、自分が住んでいる国の政府や政治家に殺されかけているのに。
一番いけないのは、自分の国の政治に無関心であることだ。だから選挙の投票にも行かない。地方の知事選挙や市長選挙などの投票率を見ても30%代とか40%代とか極めて低い投票率。自分一人が一票入れたところで、自分の生活は何も変わらない。楽になるわけでもない。皆そう決めつけて諦めている。国政にも絶望している。でも、諦めた時点で可能性は0%になる。変わるものも何一つ変わらなくなる。権力者にとってはそれが一番都合がいい。もっと諦めろ、もっと絶望しろ。そのほうが俺達にとってはやりたい放題で都合がいい。そう思われているに違いない。許せない。日本国民はそれでいいのか?自分さえ良ければ、国がどうなろうが、隣人がどうなろうがどうでもいいのか?
ついこの前、「パンデミック条約反対」「ワクチン反対」などの「反グローバリズム」のデモ行進が東京で行われた。全国から何万人規模の人達が集まって来てついに行動に出た。日本人は本来こういうことが苦手な国民性なのかもしれない。個よりも和を重んじる国民性。
先の大東亜戦争(太平洋戦争)で命を賭けて戦った先人達は、後に生きる日本国民のために戦って死んで行った。「お国のために行って参ります」そう言って、家族や愛する恋人を残して命を賭けて戦った。どんな気持ちだっただろう。平和ボケした私たちには計り知れない。しかし私たちは、先人が命を賭けて戦った死の上に築かれた日本に生きている。
戦争で負けたけれど、「日本」という国と、そこに残された国民は残った。アジア圏の国々は日本が戦ってくれたおかげで、戦後に独立することができたと感謝してくれている国がたくさんある。アジア圏で白人国家の植民地にされていなかった国はタイと日本、たった2つの国しかなかった。
小さな島国日本。その小さな島国であるネズミが「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」の如く大国アメリカと戦った。今の日本国民はもうそういう話も遠い昔の記憶になりつつある。戦争の実体験、書籍からでも「戦争」の怖さや実体験を読んで勉強した人。そう人がどんどん減っている。今では、どうでもいいことのように思い出す人すらいない。
日本という国は色んな国から愛されて親しまれている。だから今の日本が残っている。何十年も昔の戦争で戦って死んで行った先人達、そして戦後、焦土になった日本を復興させるべく立ち上がって日々一生懸命働いた私たちのおじいさんの代、そして高度経済成長期の私たちの両親の代(団塊の世代)、そして今の私の代(団塊ジュニア世代/バブル崩壊後氷河期世代)、私たちの子どもの代(現代)。そうやって今の私たち日本国民という民族が生き続けられている。
何十年もかけてこの日本を復興し、一人一人が昼夜苦労して働いて経済を成長させ、多くの産業や技術がやっとのことで世界レベルに追いついた。日本国民の生活水準も豊かになり世界の先進国にまで登り詰めた日本。あとは、良いものを守りつつ、日本国民一人一人が幸せになれるように教養、食育、道徳、修身、そういったものを高めて行ければ、もっともっと良い国、世界から尊敬されるような国になれただろうと私は思う。ところが、まったくそうは行かなかった。
日本が破壊されようとしている。いや、もう破壊され、売り飛ばされている。日本国民の中には、未だそのことに全く気付いていない人までいる。戦後何十年とアメリカ様の言いなりになって、戦うことを放棄して、カネや物質ばかりを持つ者だけが偉いとされる世の中になった。それでどうなったか。
カネを持つ者だけが偉い。私たち庶民はカネ持ち(大企業も含めて)の奴隷のようになった。カネ持ちは庶民のためにそのカネを使おうとはしない。カネ持ちは自分のカネで庶民を幸せにしようとはしない。カネとコネさえあれば、権力や肩書きさえも買える時代になった。腐敗に次ぐ腐敗。戦後に苦労を重ね、日本をここまで豊かな国にしてきたのに、気付いたら腐敗臭が漂うまでに腐り果てた国に落ちぶれた。
絶望しきっている日本国民は皆政治に関心を示さなくなり、意思を示さない羊の群れのようになった。ずる賢い人間ばかりがどんどん政治家になり上がり、権力を握るようになった。権力とカネの力でもって、この何十年とやりたい放題やってきた。自民党や政治家だけが悪いわけではない。
日本国民も同罪。なぜ同罪か?政治に対して日本国民一個人としての意思を示さない=選挙に行かない=自分の国の政治に参加しないからだ。庶民ができることは選挙に行って政治に参加することしかない。その権利を放棄するということは、自ら権力者の奴隷になるということだ。
今までにないような増税に次ぐ増税、恐ろしいほどの生活苦、言葉にできないような生き辛さ、そういうものを肌感覚で感じている人は多いはず。今の権力者のやっていることは、自国民を生かさず殺さず奴隷のようにしている。大多数の国民生活はどんどん苦しくなり、どんどん貧乏になっている。心の余裕もなくなり、心身ともに病んでいく。
権力と法の及ぶところは、国民の生活の隅々にまで悪影響を及ぼして行く。それでもまだ見て見ぬフリをするというのか?選挙に行かない国民は、日本というこの国と、そこに住む日本人すべてを不幸にしているという事実をよく理解しなければならない。