【大学受験】受験生が考える「受験勉強は『勉強』なのか」
二次対策の国語と英語のヘビーローテーションにそろそろ飽きてきたので理系科目が恋しくなる文系受験生、Gingaです!!
今回はそもそも受験勉強が何者なのか、受験生という立場だからこそ思うところがあるので書いていきたいと思います!!
それでは行きましょう!!!
受験に受かる人は頭がいいのか
「頭がいい」というのはそもそもどういうことなのか。
小学生のうちは至って単純で、先生の言うことを間違いなく理解できることが頭がいいということになる。
中学生になるとそれがテストという数値化された指標で表されるようになり、回答する力が問われる。
そして高校に上がれば、一定の公式を応用して運用する力がある人が優秀とされる。
これらは全て「正しい答えがある」ことが前提となって話が進んでいる。
そして自分が言いたいのはそういう「頭がいい」では無い。
本当に頭のいい人は人と話すのが上手い人だったり、ある事象に対してあらゆる側面から考えることができる人だと自分では思っている。
だからずっと自分は高校生までの「頭がいい」は「勉強ができる」というふうに考えているし、意識的にそう話したり書いたりしている。
実際受験に受かっても頭がいいとは言い難いのは高学歴ニート問題や某新興宗教の件を見ていれば大変よくわかるわけであるが、それでも「頭がいい=勉強ができる」という等式は世間一般ではあっさり通用してしまう。
中学時代に出会った野球部のある先輩はすごく頭がいい人だった。
自分と同じキャッチャーというポジションということで可愛がってもらった訳だが、彼は野球全体を見渡す能力、そして判断能力にはすごく長けていて、またそうした能力は自分たち後輩との接し方にも応用されていたのかすごく機転が利く優しい先輩だったと記憶している。
しかしこういっては失礼だが、彼は恐ろしく勉強ができず、正直あまり評判の良くない上に野球部のない高校に進学した。
それでも自分は彼が頭がいいことに変わりは無いと思っているし、それが「頭がいい」の本質であるとも信じている。
そもそも勉強とは
先程の話では「頭がいい」と「勉強ができる」が違うということを書いたが、今度は勉強本体について考える。
高校までは答えがあることが前提となって話が進むことを書いた。
ではそれが勉強になるのか?
わざわざこういうふうに書くということはもちろん自分の答えはNOである。
勉強とは本来答えのないもの、あるいは誰も答えにたどり着いてないものを追いかけ、探究し、答えを自ら生み出すものなのではないかと思う。
もちろんそういう答えを生み出すためには前提として知識や思考の方法が頭に入っていないといけないのでやはり高校までの勉強とされるものの存在は必要である。
しかし、それを勉強と言うべきであるのか疑問に思っている。
ほかの表現方法が思い浮かばないのも確かだが、強いて言うなら「勉強のための予備知識」と言ったところなのだろうか。
つまるところ、大学受験で求められているのは大学で勉強するにあたり、それに足りる知識理解を有しているかどうかが主に問われるはずである。
そう考えると話は飛躍するが、情報検索能力しか求めてなさそうな今年の共通テストの存在がますます意味不明になってくる。
だから現状自分がここまで1年続けてきたものは勉強ではない「受験勉強」という本来の勉強の意味から独立した存在なのかもしれない。
俺は大学で「勉強」がしたい
受験生を続けていると元々答えが決まっている質問に答えるというのはもはやクイズ同然なのではないかと思うようになってきた。
もちろんこの1年で掴んだ英語の力は本物だと信じているし、得られるものが多い浪人生活であったことに間違いはない。
ただ、「本物の勉強」をしてみたいと最近強く思う。
自分の興味のままに探究してみたい。
将来の就職とかそういうのも一切考えず、ただその時研究したいことを自由に研究したい。
今までは考えもしなかったことではあるのだが、共通テストを終えてようやく「大学生になった自分」をイメージしたり理想の大学生活を思い浮かべるようになった。
だからこそモチベは保たれているし、頑張ろうと思える。
自分が今すべきことはそういう理想を叶えるために必要な力を備えて、春から満を持して大学生になれるようにすることなのである。
最後に
受験生はなかなか人と話す機会がないので、こうして自分の考えを書くと溜まったものが吐き出せた気分でちょっとスッキリします!!
受験生生活も気づけばあとは各校の個別試験を残すのみです!!
本気になった時間というのは本当にあっという間ですので、残りの時間も全力ダッシュで駆け抜けます!!!
以上ありがとうございました!!!