気付きと、受け入れること
心の病とは、目には見えない鎖のようなものです。それは日常の中で徐々に私たちを縛り、動けなくし、孤独と絶望の中に閉じ込めます。双極性障害という名のこの見えない苦しみは、私を何度もその闇へと引きずり込もうとしました。躁状態では、世界が眩しいほど明るく輝き、無限の可能性が広がっているかのように感じられます。しかし、その喜びが消え去るとき、私を待っているのは深い闇、果てしない孤独、そして計り知れない悲しみです。この繰り返しの中で、時に自分自身を見失い、何が本当の自分なのかさえ分からなくなることがあります。
しかし、私は幼少期から「心」というものに対して特別な興味を持っていました。心の働き、感情の揺れ動き、それが人間をどのように形作るのか。その興味は、私がこの病と向き合う力となり、また精神疾患全般に対する理解を深める助けとなりました。外からは見えないこの病が、いかに人を苦しめるのかを理解すること。そして、同時にどんな人でも心の浮き沈みを経験しながらも、生き抜こうとしていることを知ることは、私にとって大きな気づきでした。
鬱が襲ってくると、視野は狭くなり、世界は冷たく、孤独感が私を押しつぶそうとします。その時には、自分だけがこの苦しみに耐えていると感じることもあります。しかし、今、客観的にこの病と向き合える瞬間に気づいています。双極性障害だけでなく、精神疾患全般に対する新たな理解が私の中で"今"はわかる様に感じています。
人生とは、喜怒哀楽の交差点のようなものです。それが私たち人間を形作り、生きることの意味を教えてくれます。どんなに苦しくても、それは私たちが生きている証拠であり、私たちが人間である証でもあります。私はこの病を通じて、心の奥深さと、人間としての本質を“今"学び体験していてこれが、私の人生の一部であり、受け入れる事だと思います。
生きている限り良い事、嫌な事は避けて通る事は出来ません。
しかし、全てにおいて受け入れる事や理解しようと努力している自分自身を褒めてあげたいと思います。