【不思議体験記】アメリカの高校の同窓会に行ってみた。
「アメリカの高校の同窓会」という不思議なイベントに参加した。
黄金の1980年代半ばに留学し、卒業したアメリカの高校は5年毎にずっと同窓会を行ってきたのだが、日本在住の私には(一度手紙が来たが)参加の案内は届いていなかった。
それが、facebookという代物によって、数十年の時を経て、突然アメリカの高校の同級生40人程とコネクトした。
あっという間に「同期グループ」に招待され、
そしてfacebookを始めてから数年後、「同窓会」の案内が届いた。
日本での通常の同窓会については、特にアメリカから帰国してから日本の高校の一個下のクラスに編入したときの同級生とはとても相性がよく、何度か同窓会に参加した。
さて、問題は「アメリカの高校の同窓会」である。
それがどういうものか、全く想像できなかった。
時期的には丁度博士号を取得した後の「のんびりリハビリ生活」期間だったので、時間は取れそうだった。
日本からわざわざ行って、スピーチでもさせられたらどうしよう?とどんどん勝手に妄想は膨らんだ。
悩んだ末、最終的に同窓会当日2週間前に参加を決めた。
2015年の夏のお話である。
まず驚いたのが、アメリカ入国に際してESTAというビザが必要なことだった。
私は、アメリカが「9.11以降」である事を初めて実感した。
てっきり普通に入れると思っていた私は、急いで航空券を買ったHISに ESTAも頼んだ。
続いて、Facebookを通じて皆に参加の意を伝え、空港へのお迎え、ホテルの手配等を行った。
なんと、「同窓会パッケージ」で二次会会場とホテルがセットであった。
アメリカの同級生も、LAやフロリダから三々五々やってくるからである。
さて、
我が母校、ウィロビー南高校は、オハイオ州の大都市クリーヴランドの郊外に位置する。
周りは極めてアメリカの標準的な白人中流家族の住宅街で、少し離れると渓谷や湖がある緑豊かな土地だ
車に乗っていると時々異臭がするが、それはスカンクが車に轢かれたサインであった。
まるで絵に描いたような「アメリカ北部の典型的な郊外エリア」である。
そんな場所を約30年振りに訪問するのだ。
私はノスタルジーと未知の世界への期待と不安が入り混じりながらシカゴ行きの飛行機に乗った。
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時は黄金の1980年代ど真ん中。
静岡のド田舎でくすぶっていた高校生の私は、ある日チャリ通学の途中の川を渡る橋の上で不思議な声を聴いた。
「ジョージ、17歳という人生で一番輝かしい年ごろをこんなところでくすぶっていいのか?アメリカへ行け!」
あれは冬の晴れ空から聞こえてきた声だったと記憶するが、
私はそのまま教室に寄らずに職員室の前に貼られていた「交換留学生募集」のポスターに直行した。
そして、東京に行って試験を受け、合格すると、あれよあれという間に留学準備となった。
そして17歳の夏にアメリカへと旅立った。
本当の話である。
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そんな回想をしているうちに飛行機はシカゴ空港に到着し、
クリーヴランド行きの国内便に乗り換えた。
数十年ぶりのアメリカの「異様な空港警備の厳しさ」が、
「あの頃のアメリカ」とは変わってしまっていることを実感させた。
クリーヴランド空港に着くと、世界史のクラスで同じだったテリちゃんが迎えに来てくれていた。
アメリカの高校は、日本の大学の様に科目ごとに学生が移動する。
Mr.ジュン先生の世界史クラスで左前の方にいつも座っていたちょっとパンキッシュなオルタナ女子だったテリちゃんは、面倒見のいいお姉さんになっていて、私をホテルまで運んでくれた。
途中、超マブダチだった不良グループのデニスの具合が良く無いという話を聞いた(この1年後にデニスは亡くなった)。
まずホテルにチェックインすると、「先に女子だけで集まるから」と言われて、一緒にアメリカンなレストランに付いていった。
そこには、ダチのクリスの元妻のリサ、私が大好きですごく優しく面倒を見てくれたベイビーフェイスのケリー、ちょっと覚えてないヴィッキー、唯一のシスターであるキャロル、イタリア系のジーナらが集まっていた。
私はクリスの家に招待されたときにに当時の妻だったリサも居たことを話題に、
「君んち、行ったことがあるよ」と言った。
ジーナの家にも遊びに行った事があるので、
「君んち、行ったことがるよ」と言った。
ケリーの家にも一回行ったことがある。
私がそう言うと、ケリーが「君んち、行ったことがるよ」と復唱しながら笑った。
そのあと、一旦ホテルに戻り、同窓会の本番を迎えた。
ウィロビー市の街の真ん中の大型レストランのボールルームを貸し切ってあった。
私は、クリスと同じくイタリア系で仲の良かったナイスガイのアンジェロ、サッカー部でチームメイトだった真面目なジェフ、
超仲の良かった皮肉屋のマット、
同じくサッカー部のチームメイトで世界史クラスで仲よかったドラマーのスコット、
そしてインディアンの血が入っているらしい美人で仲良かったダイアナ、
そして「家に遊びに行ったことがある」お嬢様メリンダ、
そしてプロムの相方だったクリス・ロンゴ、
その友達でご近所仲間だったシェリーも来てくれた(クリス・ロンゴとシェリーは一個下なので、わざわざ私に会いに来てくれたのだ)、
そして大男のジェフ・ウォレスは「そういえばジョージは悪い連中とつるんでたよな!と大笑いした。
そして、パムちゃんが居た。
パムちゃんは大島優子似のチアリーダーズで、うちの高校の二大美女の一人だった。
そんなパムちゃんはLAに移住していて、久々の再会にとても優しくしてくれた。
そんなうちに、ついにメインイベントがやってきた。
そう、我が高校のクイーン、チアリーダースの頂点に君臨するスーパー美女にして才女、ヘザー・マクローリン嬢が来たのである。
私は(あ、ヘザー様だ!)と心の中で叫んだ。
数十年ぶりにお見かけするへザー様は相変わらず凄まじい輝きを放っていた。
当時、ヘザー様は私のダチのチャックの彼女だったので、週末のハウス・パーティーでは顔見知りではあった。
私は恐る恐るヘザー様に近づくと、
「覚えてますか?ジョージです」と挨拶をした。
「ええ、覚えてるわ!」と言ったように思えたが、あまりの緊張に記憶が飛んでいて詳細は分からない。
そして、記念写真を撮った。
(この写真は、私が死んだときに忘れずに一緒に棺桶に入れてくれ)
そのあとは、呑んで踊って(シスター・キャロルと「カリフォルニア・ラブ」で踊った)三々五々解散となった。
ノスタルジーは全く無く、高校生の時と同じく、楽しく酔っぱらって色んな人と話をした。
そんな中、ボールルームから出た一般席を歩いていると、カウンターに座っている一般のおばさんのお客さんが、「どっから来たんだ?」と話しかけてきた。
「いや、同窓会で、日本から来たんだ」と言ったら、
「なんて素晴らしい!」と感動していた。
唯一ノスタルジーを感じたのは、ガンガンに音楽が流れる中でレストランのトイレに行った時だ。
アメリカのトイレ器具、爆音のアメリカン・ミュージック、酔っぱらってる自分、「あの時と同じ変わらないな」と一人でほくそ笑んだ(当時「ミラージュ」という名前のクラブに皆とよく行き、まあアメリカンなノリでMTVヒットチャートみたいなアメリカン・ミュージックで踊りまくっていた)。
そして、
取りあえず、同窓会初日は終わった。
そしてなんと、翌日には同窓会第二部が控えていた。
もちろん、次も何が起こるかは全く想像できないままであった。
(つづく)