鉄器時代のポルトガル(上)
00.はしがき
ここでは、ポルトガルの歴史についてお話しした際のメモ書きを公開しています。今回は鉄器時代を扱った部分です。なお、メモ書きは、アンソニー・ディズニー著『ポルトガルとポルトガル帝国の歴史』に基づいて作ってあります。関心のある方は、Anthony Disney, A History of Portugal and the Portuguese Empire(2009)をご覧ください。
なお、「鉄器時代のポルトガル」はおおむね三回の投稿を計画しています。
01.紀元前700年代の世界
ポルトガルの鉄器時代は、紀元前700年ごろはじまったと考えられています。
当時ヨーロッパ大陸では、ギリシアで都市国家が形成されました。アテネやスパルタなどの都市国家が生れ、そこから各地に植民が進んで、植民都市が築かれました。
こうした状況は、地中海の南側アフリカ大陸でも起こっていたことでした。北アフリカにはフェニキア人がティルスを中心に各地に植民都市を築き、繁栄していたのです。のちに、ローマ帝国と争うことになるカルタゴもこの時期に作られた、フェニキア人の植民都市です。
さらに、中東に目を向けると、メソポタミアを中心にアッシリア王国が勢力を拡大し、エジプトや小アジア、シリアなどを支配していました。インドではアーリア人がインド亜大陸に進出して、国ができる段階になっていました。
東アジアでは、統一王朝の周の弱体化し、地域国家(斉や晋など)が力を蓄えていました。そして、日本はいわゆる縄文時代でした。
02.鉄器
世界史上、鉄器を広く使用したのは、ヒッタイト人でした。
ヒッタイトは製鉄技術を独占し、鉄製武器を用いた強力な軍事力で、統一王朝を形成すると、メソポタミアやエジプトなどに匹敵する勢力を誇るようになりました。
ところが、紀元前1300年代末に急速に衰退しました。そして、前1200年代に、系統不明の「海の民」に攻撃を受けて滅亡してしまいました。これによって、ヒッタイトの独占していた製鉄技術がオリエントに広がったといわれます。
ポルトガルもまた、ヒッタイトの没落によってオリエントに普及した鉄器文化の影響を受けることになりました。
03.鉄器の伝来
ポルトガルの青銅器時代というのは、たんなる技術発展の時期ではありませんでした。青銅器時代はエリートが自分たちを残りの人々と差別化した時代でもありました。広域にわたる社会経済的関係が生れ、戦士エリートが生れていました。
青銅器時代をへて、やがて鉄器がポルトガルに持ち込まれました。鉄器時代の到来です。
最初期の鉄器は、青銅の握りを持つ鉄の刃をもつ短剣でした。まさにこの青銅器時代から鉄器時代への移行を示す遺物です。その鉄剣は、ベイラ・アルタのヴィゼウで1983年に発見されたといいます。年代は、約紀元前700年くらいのものだと考えられています。
鉄器が普及したのは、その利便性に基づいています。まず鉄は青銅よりも、武器の原材料として優れていました。簡単に言えば、鉄は青銅より頑丈、切れ味も鋭いので、武器にするにはうってつけの金属なのです。
しかも、鉄は豊富に産出しました。鉄製品の製造は、鉄鉱石が自然に露出している場所が多いポルトガル南部で生産されたようです。その後、紀元前5世紀半ばまでに、鉄製の武器や道具など幅広く、さまざまな場所で生産されるようになっていきました。もっとも、鉄が生産されても、青銅は重要で、装飾品として好まれており、日常品としても使われ続けました。
このように、鉄器は次第にポルトガルで重要な金属となっていったわけですが、鉄器時代のポルトガルは北部と南部で異なる要素から影響を受けました。ポルトガル北部はケルト文化の影響、南部は地中海文明の影響を受けたのです。
これにしたがって、次回以降、ポルトガル北部とポルトガル南部の状況を考えていきます。
鉄器時代のポルトガル(中)につづく
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