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日曜研究者。ポルトガル語圏の歴史を勉強している。歴史学が専門。でも、実際は人類学や社会…

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日曜研究者。ポルトガル語圏の歴史を勉強している。歴史学が専門。でも、実際は人類学や社会学のような調査もしていたし、文学にも興味があるので、頭の中はごちゃごちゃしている。そんなわけで、ここの記事もごちゃごちゃしている。

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  • ポルトガル語圏の歴史

    ポルトガルの歴史やポルトガル旧植民地に関わる歴史についてまとめてあります。歴史全般にご興味のある方、ポルトガル語に興味のある方、ポルトガルやブラジルに興味のある方はぜひご覧ください。

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ポルトガル語とポルトガル語圏

00.はしがき 本ページは、ポルトガル語圏の歴史についてお話しした際に作ったメモ書きに基づいています。私は、ポルトガル語圏という場合、ポルトガル語が公用語となっている国やかつてポルトガルの植民地でポルトガル語が話されていた地域、ポルトガル語が共通語となっている移民コミュニティなどを指して使っています。なお、このメモ書きは、おおむねTeach yourselfシリーズのPortuguese Language Life & Culture(2002)を利用して書いていますので、

    • 『ブラジルの伝説㈡』パラグアスの夢

      カラムルと呼ばれるポルトガル人が、ブラジルの地に定住したという伝説があります。カラムルは、現地女性と結婚し、その後やってくるポルトガル人の定住を手助けしたとされます。このカラムルに関連する伝説は次のようなものがあります。これもブラジルで出版された『ブラジルの伝説と神話』とからの引用です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カラムルこと、ディオゴ・アルヴァレスが住んでいた集落は、トードス・オス・サントス湾岸にあった。 1536年5月のあ

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        善光寺詣

        • 一茶の町で一茶を

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        ポルトガル語とポルトガル語圏

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          夜の長野駅

          夜の長野駅

          ブラジルの伝説と神話㈠雷の子

          しばらく『ブラジルの伝説と神話』という児童書を読んでいたことがあります。それを読んでいると、南アメリカ大陸の独自性とヨーロッパの緊密な関係との両方を感じることがありました。今回紹介する「雷の子」もそのひとつです。 少し長いのですが、引用してみます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「雷の子」 1510年のことだった。 ポルトガル人は航路の大発見で世界中に足を運んでいた。ヴァスコ・ダ・ガマがインドへの航路を見つけ、すでにペドロ・ア

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          ブラジルの伝説と神話㈠雷の子

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          仕事を辞めると決意したものの、すぐに言い出せていない。言わないほうが迷惑をかけるかもしれないので、今日は必ず伝えることにする。もっともすぐに辞めるのではなく、まずはパート勤務におりたいと願うのですが。

          仕事を辞めると決意したものの、すぐに言い出せていない。言わないほうが迷惑をかけるかもしれないので、今日は必ず伝えることにする。もっともすぐに辞めるのではなく、まずはパート勤務におりたいと願うのですが。

          いにしえの哲学者は秘密を守ることがとても大切だと説いてきました(ディオゴ・ド・コウト)

          近世初期のポルトガル人歴史家ディオゴ・ド・コウトが述べたことばです。 以下、タイトルの文言が含まれているディオゴ・ド・コウト著『老練なる兵士』第1部第一幕の一部を翻訳にて紹介します。 翻訳古えの哲学者は秘密を守ることがとても大切だと説いてきました。  アテネ人は、秘密を暴いた者にたいして、最も厳しい刑罰を科しました。そのため、秘密は厳密に扱われていました。アテネ人は、マケドニアと争っていた時期に、偶然フィリッポが妻のオリンピアに宛てた書簡を手に入れましたが、それらを閉じ

          いにしえの哲学者は秘密を守ることがとても大切だと説いてきました(ディオゴ・ド・コウト)

          フィールドノート群馬県大泉町の「六月の祭り(フェスタジュニーナ)」の調査報告(2018年7月)

          1.はじめに 「六月の祭り(フェスタジュニーナ)」は、ブラジルの祝祭暦で最も活気あふれる伝統行事のひとつともいう[ニウタ:131]。また、その重要性はクリスマスやそれに関連する諸行事の対になるほどである。起源は夏至を祝う土着の祝祭で、豊穣を祈るものであった。その後、そうした夏至の祭りがキリスト教に取り込まれ、聖人の祝祭日と混じりあった。そのため、六月の祭りは、結婚の聖人とされる聖アントニオ(6月13日)、祝祭の聖人である聖ジョアン(6月24日)、そして雨の聖人である聖ペドロと

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          フィールドノート群馬県大泉町の「六月の祭り(フェスタジュニーナ)」の調査報告(2018年7月)

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          共に生きるとは、 絶えず線を引き直す作業 まじりあうところだけでなく、 まじりあわないところも

          共に生きるとは、 絶えず線を引き直す作業 まじりあうところだけでなく、 まじりあわないところも

          meu amor

          あなたのすべての動きが私を元気づける あなたはわたしにわたしであることをゆるしてくれた あなた以前、わたしは人間であったけれど、「男」ではなかった あなたと出会って、わたしは男であることを知った わたしは明確に、「男」だ この時代において、古めかしい感覚であることは自覚しています。 それでも、なお、あなたがほしい はじめてです あなたのほか、こんなに、他人をほしいとおもったことはないです 他人はそれぞれの論理に従って生きてほしい それこそ、人の生きる道と思

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          地元のお祭り

          地元のお祭り

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          いにしえの指揮官たちは、兵士らに人の道を説くことに熱心で、自分自身が手本になるよう努力したものです

          いにしえの指揮官たちは、兵士らに人の道を説くことに熱心で、自分自身が手本になるよう努力したものです。 哲学者にも、大人が小人を正しい生活に導くのに確実な方法は手本を示すことだという者が多くいます。 カルタゴ包囲で、冷静沈着、勇猛果敢なスキピオ・アフリカヌス将軍は、虜となったヌミディア人美女を献上されましたが、将軍は女に会うことを望まなかったばかりか、女を自由の身にして、その婚約者と結婚させました。 こういう将軍の自制心は、ヌミディア征服、故郷の解放、カルタゴ攻略など、か

          いにしえの指揮官たちは、兵士らに人の道を説くことに熱心で、自分自身が手本になるよう努力したものです