私訳「ゆうじょうのうた」(カルロス・ドルムン・ジ・アンドラ―ジ)
ゆうじょう の うた
うた を ひとつ つくろうか
はは が はは である と わかるような
すべて の おかあさん が おかあさん である と わかるような
そして はは が ふたつのめで はなす ような うた を
ひろい どうろ に つづく みちが
たくさん の くにぐに を とおっていく
ぼく の こと を しらない としても ぼく は しっているから
むかし から の ともだちたち に あいさつをする
ぼく は ひみつ を くばるよ
あいする ひと の ように、ほほえむひと の ようにね
もっと しぜん な やりかた で
かわいい ふたり は たがい を もとめているのさ
ぼく の いのち、ぼくたち の いのち
それら が ただひとつ の こんごうせき を つくっているよ
ぼく は あたらしい ことば を まなんで
ほか の ことば を もっと うつくしく かえたんだ
ひとつ うた を つくろうね
おとな を めざめさせて
こども を ねむらせるような うた を
訳者言い訳
原題は「Canção Amiga」。だいぶあいまいなまま訳していますねぇ。北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ』の一番最初のタイトルにあるアンドラージという人物の詩です。どこかにちゃんとした訳があるんだろうなと思いつつ、きちんと探さずに勝手に訳してみました。わからないところだらけ、読み込めていないところだらけ。こんなような詩があるという感じです。
ちなみに、作者のカルロス・ドルモン・ジ・アンドラージは、1902年にブラジルの中部にあるミナスジェライス州イタビラで生を受けました。ノーベル文学賞候補の一人になるほどの詩人で、1987年に死去しています。
アンドラージについては、日本語で読める解説もあるけれど、ポルトガル語や英語のWikipediaとかが詳しいですね。いずれ詳しく調べてみましょう。