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『ハウルの動く城』原作を読む ー ソフィーの呪いを解いたもの
『ハウルの動く城』の原作を初めて読んだのは何年前だったろう。
もともとジブリの映画版『ハウルの動く城』が大好きで、これまで何度観たかわからないほどだ。
でも観終わってみればいつも、結局のところどんな内容だったのかがよくわからなくなった。夜鮮明な夢を見て、でも目覚めたあとにはどうしても細部が思い出せないあの感じに、それは似ていた。
素敵だったことは確かに憶えている。
その場に流れていた空気の質感も思い出せるし、大好きなシーンや忘れられないセリフもたくさんあって、何度もうっとりさせられた。
でもどんな内容だったかと問われると、とたんに煙に巻かれたようにぼやけてしまう。
それで、原作を読んでみようと思った。
原作を読めばきっと、ジブリが描いてみせたかったハウルの世界をもっとよく理解できるだろうと思ったから。
読み始めて、わたしはすっかり仰天してしまった。
だってこの原作、ジブリ版とまるで違うのだ。
アニメには一切出てこない重要人物たちがわんさかいるし(「ええっ!これ、だ、だれ??」と何度も唸った)、ハウルの弟子・マイケルは年齢も違えば真剣な恋をしていたりもする。ハウルに至っては魔法の国の出身ですらない(ハウルの出身地!これがまた大変驚きで深く考えさせられるのだが、そこはぜひ本書をお読みいただきたい)。
そしてここがまさに瞠目してしまうところなのだが、大好きなジブリ版とこれほど違うにも関わらず、ものすごくものすごく、面白かった。
ページを繰るにつれ「ジブリ映画版をもっと理解したい」という目的はすっかり脇に追いやられ、わたしはたちまち原作の物語に夢中になった。
1.出版社による超簡単なあらすじ
出版社による本書の作品紹介はこうだ。
魔法が本当に存在する国で暮らす18歳のソフィーは、「荒地の魔女」に呪いをかけられ、老婆に変身してしまった。家を出て、悪名高い魔法使いハウルの動く城に、掃除婦として住み込んだソフィーは、暖炉に住む火の悪魔と仲よくなる。やがて、ハウルもまた「荒地の魔女」に追われていると知ったソフィーは…?
英国ファンタジーの女王ダイアナ・ウィン・ジョーンズの代表作。スタジオジブリのアニメーション映画「ハウルの動く城」原作。
さすがは出版社。
当然だがネタバレはほぼなし、ジブリ映画との相違点(ものすごくたくさんある)についても一切触れていない。
これから読む読者に向けた必要最低限かつ的確な作品紹介。あらすじの、あるべき姿だ。
でも。
でも、なのだ。
2.スルーするにはもったいなさすぎる原作
前述のあらすじだけを読めば「そうか、ジブリ映画版と同じ内容なんだな」と思えるし、「それなら読まなくてもいいかな」と考える人もいるだろう。だって映画版とほとんど同じなら、(わたしのようなマニアックな動機でもない限り)時間と労力をかけてわざわざ原作を読まなくてもいいか、となるもの。
でも。
この原作はそんなふうにスルーしてしまうにはあまりにもったいなさすぎる、とわたしは思う。
ジブリはジブリで素晴らしい、もちろん。それでも、原作には原作の、まったく違う魅力があるのだ。
英国ファンタジーの名手ダイアナ・ウィン・ジョーンズによるこの原作には、ジブリ版では削られている登場人物や設定、ストーリーがいくつもある。そしてこの省かれたストーリーの中に、映画版とはまた違う大きな、そして大切なメッセージが込められている。
ソフィーの性格が少女の時と老女の時で大きく違うようにみえるのはなぜなのか、ハウルとはつまるところ何者なのか、そしてソフィーの呪いは一体いつ、なぜ解けたのか?
たとえばこれらのことは、原作を読むことでしか読み取れないメッセージだ。
ジブリ版を観たかたにも原作をお勧めしたい一番の理由は、ここにある。
※これ以下、一部ネタバレを含みます
この物語の楽しみ方のひとつとして「物語にちりばめられたいくつもの謎を追っていく」という一面があります。
そのため、当初は謎に踏み込んでしまう部分については一切書かないつもりでした。
でも書き進めるうちにどうしてもひとつだけ、「ここを避けてはこの本の感想を書けない」というものがありました。その中に含まれたメッセージにこそ原作のエッセンスがあると、わたしには感じられるからです。
そのため、原作で明かされる謎のひとつに、これ以降触れていきます(ただし、その一点を除いた他のネタバレ箇所はすべて伏せました)。
ネタバレせずに先に原作をお読みになりたいかたは、ここで読み止めていただくことをお勧めします。
3.この世で最も強力な檻
主人公のうちの一人・ソフィーが生きるのは、魔法が本当に存在する世界。
「成功するのは決まって末っ子で、長男や長女はなにをやっても上手くいかない」という西洋の昔話のセオリーが、まことしやかに信じられている世界だ。
三人姉妹の長女であるソフィーは、「長女である自分は、なにをやってもうまくいかない運命だ」という固定観念にがんじがらめになって生きてきた。
ふとなにかを「やってみよう」と思いついても、「いいえ、私は長女なのだからそんなことしたって無駄」と、やる前から見切りをつけてしまう。
ソフィーは意志の強い人だ。こうと決めたらやり抜くし、中途半端なことはしない。そんな強力な意志のもとに根づいた思い込みは、往々にして強烈に作用する。
「長女は何をやってもうまくいかない」というソフィー自身の思い込みは強固な檻となり、物語全体を通じて彼女を閉じ込めることになる。
自分自身が作った檻から抜け出すのは至難の業だ。
他の誰かが作った檻に無理やり閉じ込められたのなら怒りを原動力にしてがむしゃらに抜け出すこともできる。けれど、自分の作った檻からは、怒りだけでは出られない。そこから出ようと思ったら、痛みを伴う深い自己対話と気づきがいるからだ。
だからこそ、強い思い込みは自分を閉じ込めるこの世で最も強力な檻にもなる。
ソフィーが閉じ込められていたのは、そういう種類の檻だった。
4.ソフィーの魔法の力
ジブリ映画版でははっきりとは描かれていないが、ソフィーには実は、天賦の才として強い魔力が備わっている。
ハウルや荒れ地の魔女だけではなく、彼女自身もまた、魔法使いなのだ。
ソフィーの持つ強い魔力、それは言霊の魔法だ。
ソフィーが話しかけたものには、ソフィーが言葉にした通りの命が宿る。
でも自分に魔法を使う力があるということを、ソフィーは知らない。「長女である自分は平凡な人生を送る運命なのだ」と思い込んでいる彼女は、まさか自分にそんな特別な力があるなんて思いもせずに生きてきたのだ。
だから彼女は、何の気なしにしょっちゅういろんなものに(時には自分自身にも)不用意に話しかけてしまう。
物語の序盤、ソフィーが帽子屋の作業場で帽子を作りながら、退屈しのぎにこんなふうに帽子に話しかける場面がある。
「なんて、謎めいた魅力がおありでしょう」と言った相手は、ヴェールにスパンコールのついた帽子でした。
つがば広く、薔薇を飾ったクリーム色の帽子には、「お金持ちと結婚できますよ!」、縮れた緑色の羽がついた青緑色の麦わら帽子には、「まあ、春の若葉のようにお若く見えますね」とほめました。
ピンク色のボンネットにはえくぼが魅力的です、と言い聞かせ、ビロードを飾った粋な帽子にはなんて頭の回転が早いんでしょう、と。
プリーツを寄せた薄茶のボンネットに言ったのは「心の美しい人がかぶるでしょう。高貴なお方が恋に落ちられること、うけあいです」でした。というのも、ソフィーはこのボンネットがとてもかわいそうになったのです。ごてごてしてみっともない帽子でした。
結果、彼女が話しかけたそれらの帽子には命が宿り、ソフィーの予言はことごとく成就することになる。
「薔薇を飾ったクリーム色の帽子」をかぶった女性はお金持ちと結婚し、「プリーツを寄せた薄茶のボンネット」をかぶった女性は伯爵と駆け落ちしする、といった具合に。
当然だがそういうことはソフィーの周りでたびたび起こり、ソフィー自身も「あれ、なんだか変だな」と気づく瞬間がある。
けれど思い込みの檻に閉じ込められているソフィーは、「まさかそんな、長女の自分に魔法だなんて」と、すぐさま否定してしまう。そしてあろうことか無自覚のまま、鏡に映った自分自身に向かって「まるでオールドミスみたい!」とつぶやいてしまったりさえするのだ。
それが自分自身にどういう作用を及ぼすか、まったく思いもせずに。
5.呪いが解放するもの
荒地の魔女に呪いをかけられ、ソフィーは老女になる。
外見が変化するだけではない。腰は痛むし動悸はするし、寿命も60年ほど(!)縮んでしまっている。悲劇だ。
でも読み進むうち、読者は不思議な違和感を覚えることになる。
当のソフィーが、どういうわけかそれほど気落ちしていない。それどころか、老女になったことを喜んでいる節さえあるのだ。
ハウルの城に無理やり入り込み掃除婦として働くことに(勝手に)決め込み、ハウルやマイケルやカルシファーにさんざん嫌がられながらも好き勝手にふるまうソフィー。
老女になった原作版のソフィーは、ジブリ版のどこか淑やかさの残るソフィーとはまた違い、ハウルやカルシファーが気の毒になってしまうほどのトラブルメーカーなおばあちゃんだ。
城に居座り周りをさんざん混乱させながら、彼女はこんなふうに考える。
ソフィーは小さく笑い声をたてました。少しも反省する気にはなりません。
(中略)
若い娘だったときなら、今のようにふるまうなんて、思っただけで恥ずかしくて、身震いしていたことでしょう。でも年寄りになった今では、自分が何をしようが何を言おうが、気にならないのです。それがとてもいい気分でした。
老女への変身は、ソフィーを解放した。
「若い娘としてふるまわなければ」という縛りから、そして「長女として身の程をわきまえなくては」という思い込みから。
言いたいことを言い、ふるまいたいようにふるまう。その自由と喜び!
それはソフィーにとっては、体の痛みや寿命と引き換えにしても余りあるほどのものだった。
老女になる呪いはソフィーにとってはむしろ解放で、つまり荒れ地の魔女が彼女にかけた呪いなど、彼女が彼女自身にかけていた呪いに比べれば、ちっぽけなものだったのだ。
こうして荒地の魔女の呪いは図らずも、ソフィーが自分自身にかけた呪いを解いていく一助となる。
6.老女のままでいる利点
ソフィーの言霊の魔力は強力だ。
だから、ソフィー自身は気づかなくても(あるいは気づくまいと目を逸らしても)、ハウルやカルシファーや荒れ地の魔女にとっては一目瞭然だ。彼らはすぐにソフィーの力に気づく。なにしろ彼らは「その道のプロ」なのだから。
そもそも荒れ地の魔女に呪いをかけられたのも、ソフィーが無自覚に放つ魔力が、荒れ地の魔女の癇に障ったためだった。
荒地の魔女はソフィーに呪いをかける際、こう言い放つ。
「荒れ地の魔女にはりあおうとする者がいたら、ほうっておかないのがあたくしの方針」と客が答えました。
「おまえのことは聞きました。おまえがはりあおうとしても、つべこべへりくつ言っても、あたくしは平気。やめさせてやる、ほら」
無論ソフィーには、自分が荒地の魔女と張り合っているなどという自覚は毛頭ない。
状況がのみこめず「人違いではないですか」などと言っているうちに、気の毒にもあっというまに呪いをかけられてしまう。
またハウルも、ソフィーにこんなふうに言う。
「でもさ、あんた本気で思ってたわけ?この商売をしているぼくに、そんなこともわからないって。強力な魔法を見たら、気づくに決まってるだろうが。あんたが気づかないうちに、何度か呪いを解こうとしてみたんだ。ところがどうやってもうまくいかない。(中略)
そこでぼくとしては、あんたが好きで変装していると思うしかなかった」
「変装だって!」ソフィーはおうむ返しに叫びました。
ハウルは笑いました。「だってそうだろう。あんた、自分の力も使ってるんだよ」
なんと、「荒れ地の魔女の呪いが解けないのはソフィー自身の力も働いているせいだ」とハウルは言う。
つまりソフィーはある意味では、自ら望んで老女のままでい続けたのだ。
なぜだろう?
答えはすぐに思い当たる。
老女のままでいれば、自分の葛藤と向き合わずに済むからだ。
「若い娘に求められるふるまいをしなくては」という思いと「思うままにふるまいたい」という望みとの葛藤。
「長女なのだから地道な人生を歩むのだ」という思いと「冒険してみたい」という望みとの葛藤。
「自分はハウルに愛されるような美しい女性ではない」という思いと「ハウルに愛されたい」という望みとの葛藤。
老女のままでいることは、それらの葛藤と向き合わずに済むということでもあったのだ。
7.本当の力はあなたの中に
呪いは自分でかけていた、という気づきを得たソフィーは、少しずつ覚悟を決める。
葛藤と向き合う覚悟、自分らしく生きる覚悟、愛する人から愛される覚悟。
物語の終盤、ソフィーは「ハウルの心臓をカルシファーから抜き取り、ハウルの体に戻す」という荒業に挑む。
「カルシファー」ソフィーは呼びかけました。「あんたとハウルの契約を破らなきゃいけないの。ハウルの心臓をとりだしたら、あんた、死んじゃう?」
「あんた以外の奴がやったらね」カルシファーがしゃがれ声で答えました。「だからあんたに頼んだんじゃないか。あんたなら、話しかければ物に命を吹きこめるとわかったからね。かかしや頭蓋骨の元気なこと、ごらんよ。おいらにもそうしとくれ」
「それなら、あんたが千年も長生きしますように!」
ソフィーがカルシファーに向かって呼びかける「千年も長生きしますように!」というこのセリフ。
ジブリ版にも出てくるこれは、ソフィーが自分の力を自覚して自分の望みのために意識的に魔力を使おうとする、とても大切なセリフだ。
力は自分の中にあるのだと自覚したソフィーは、自分で作った檻からついに脱出する。
自分を過小評価することをやめ、思い込みに従うことをやめ、運命やしきたりにではなく自分自身に人生の羅針盤を握らせる覚悟をもつ。
ハウルの心臓を無事彼の体に戻したソフィーは、ハウルからのプロポーズを受け入れる。
「ぼくたちって、これからいっしょに末永く幸せに暮らすべきなんじゃない?」
ハウルが本気で言っていることは、ソフィーにもよくわかっていました。
いっしょに暮らすとなれば、何事もなく幸せに暮らすおとぎ話とは大違い、もっと波乱に満ちた暮らしになることでしょう。でも、やってみる覚悟はできています。
「それって、ぞくぞくするような暮らしだろうね」ハウルがつけ加えました。
愛する人と一緒に生きるというのはつまり、その先に待ち受ける波乱や不安や悲しみを引き受けるということでもあって、その選択には覚悟がいる。
自分を信じることのできなかった頃のソフィーなら、ハウルと一緒に生きる覚悟はできなかっただろう。ハウルがプロポーズの言葉を口にしたとたん、きっと自分の力で老女の姿に逆戻りしたに違いない。「ほら、あたしはおばあちゃんなんだから、あんたには釣り合わないよ」とでも言って。
でも「力は自分の内側にある」ということを信じることができたとき、ソフィーは波乱に立ち向かう覚悟ができた。やってみたいと思うことをやってみる覚悟、ありのままの自分でいる覚悟を持てた。
セオリーや常識や「外側にある何か」ではなく、自分自身を信じること。それこそが、一番大きな力となってわたしたちを前に進ませる。
それはきっと、どんな強力な魔法にも勝るものだ。
8.大事なことは、小さな声で語られる
原作を読んでいて気づかされることはたくさんあるのだが、そのうちの一つに「大事なことほど小さな声で語られる」というものがある。
呪いを解く鍵も謎を解くヒントも誰かの本心も、大切なことはほとんどすべて、うっかり聞き逃してしまうほどさりげなく、ごく小さな声として物語の中に紛れ込んでいる。
「うわ、カルシファーのあのつぶやきが?」とか、「あれ、そういえばそんな人があそこにいたな」とか、そういうものが物語の鍵を握っていたりする。
日常の小さなことごとに、あるいは誰かのちいさなつぶやきに、よく目を凝らし耳を澄ませること。
物語の中でくり返しくり返し示唆されるこのことは、わたし自身の人生においても大切なことだなと思った。
「小さな声で語られる大切なもの」、それはなにも外側にあるとは限らない。
自分の内側から聞こえる小さな声が、実は「どう生きるか」といった人生の根幹に関わる大切なものだったりする。
自分の内から響く小さな声を無視しないこと、聞き逃さないこと。
それもまたこの物語に通底するメッセージだと、わたしには思えた。
9.深くて広い物語世界
長い長い読書日記になってしまった。
「読んでくださるかたに読みやすい長さにしたい」と思いつつ、大好きな作品過ぎて、いざ書き始めると伝えたいことが溢れてしまった。
それでも、この記事で原作の魅力をすべて伝えきれたとは到底言えない。
ここで触れていない謎や設定はまだまだたくさんあって、しかもそのひとつひとつに深いメッセージや問題提起が潜んている。たとえばハウルの「異物としての孤独」、たとえばソフィーの姉妹や継母の「女の人生」。
もしもそのすべてについて心ゆくまで触れようと思えば、同じボリュームの記事があと5本は必要だ。
でもそれではきっと、これから読むかたの愉しみを奪ってしまうだろう。
ハウルの魔法の世界は、深くて広い。
この豊かな物語世界を自分の足で歩きたくさんの発見に目をみはった体験は、わたしの財産だと思っている。
もしもわたしのこの読書日記が、どなたかがこの素晴らしい物語にご自分の足で踏み入れるきっかけになれたとしたら、これほど嬉しいことはありません。
スタジオジブリの、まったく違うハウルの魅力
ここまでお読みくださったみなさま、本当にありがとうございました。
さて、素晴らしく魅力的なもうひとつの「ハウル」には、言わずと知れたスタジオジブリの映画『ハウルと動く城』がありますね。
その物語世界を作り上げているもののひとつとして欠かせないもの、音楽。ジブリ版『ハウルの動く城』では、メインテーマ曲の『人生のメリーゴーランド』が映画全体を印象深く貫きます。
その『人生のメリーゴーランド』を聴きながら、なぜこの曲がこれほど印象深くこの物語世界にぴったりと合っているのか、その理由を探った記事がこちらです。
原作とはまるで違うジブリ版ハウルの世界を、新しい視点で眺めてみることのできるこちらの記事も、お読みいただけたら嬉しいです。
<この記事を書いたのは>
お読みいただき、ありがとうございました。
十年一刷舎の、さちと申します。
本を読むことと、ものを書くことが好きです。
ここnoteでは、小説やエッセイのほか、読んだ本の感想などを書いています。
たくさんの優れた物語に、生きることを助けてもらってきました。
文章や音楽にはそういう力が備わっていると信じています。
そういうものを、みなさんと一緒に共有できますように。
* * * *
<略歴>
第一回有吉佐和子文学賞入賞。
社会福祉士・保育士・ケアマネージャー。
現在専業主婦として子育て中。
『ハウルの動く城』の続編はこちら⇩
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