*3 修善寺の体感
「明治時代から私の店の場所もこの辺の道も変わっておりませんからねえ、ずっと一緒ですよ」と言ったのは明治五年創業と看板に書かれた菓子屋の婆さんであった。喫茶店を併設しているというから来てみた所、シャッターが降りていたから「定休日でしょうか」と聞く為に菓子屋の店の中へ入った時に聞いた話である。なお、今年の夏の暑さが酷かったから喫茶店は無期限休業中なんだと言った。
明治五年創業でそれ以来場所も変わらず店先の道も変わっていないとすれば、明治の文豪も修善寺へ続くこの道を散歩した事があるというのと自然同義であろう。それを聞けば私の方では珈琲を飲めなくたって満足である。そうして店を出るとその足を修善寺まで伸ばした。
境内へ続く階段を桂川越しに望んだ景色が非常に私の気に入った。独鈷の湯が川の上に佇み、赤い欄干の向こうに道が白く広がっている。その広場から階段が上へ続き、山門越しに修善寺本堂が伺える。寺の麓、向かって左に並ぶ土産屋や菓子屋の茶色も差し色に映える。橋を渡って階段を登れば、この経路にも文豪の足跡が浮かび上がる。否、和装に懐手をした文豪の散歩姿が等身大に目に浮かぶ様であった。
宿をとる時に価格の安い方から選んでいくのはドイツにいた頃からである。一人の部屋が確保されていれば質など変に拘りたくならないのが私の性分である。修善寺で泊まった宿は安かった割に桂川に面した部屋で少なくとも気は楽々出来た。共同浴場は温泉だと言うから、散々修善寺を歩いた後に汗を流そうと浴場に入ると随分小ぢんまりとした空間に体を洗う蛇口も二つあるばかりであった。まあ私も多くを求める気も端から無いから汗を流して、特に期待をする事も無くいざ湯に浸かると、極楽然たる心地良さで思わず声が漏れた。幸い暫くの間一人で湯を独占出来たから、大いに足を伸ばし、体を湯に委ねた。思えば湯に浸かるのは一年前に訪れた道後温泉ぶりである。あの日は改修工事中で窮屈な浴場であったばかりか、一般公開されている筈の文豪御用達の部屋も拝めず仕舞いであったからまた何時か行かねばならん。そんな事を長閑考えているとその内西洋人が一人、浴場へ入って来た。私もその時点で随分長湯をしてしまっていたから、間も無くして外へ出た。
翌朝、朝食を戴く前にもう一風呂浴びたのは私事でありながら予想外でもあった。不断湯船に浸からぬのはドイツで暮らした名残であるから一向構わないのであるが、昨晩の温泉がいやに心地良かったから帰る前に浸かれるだけ浸かっておかねばという気持ちが尻を叩いて浴場に向かわせたのだろう。朝でも湯は心地良かった。体の全ての疲労が湯に溶け出して行く様であった。同時に体内の歪みが水圧で押され持ち場に正される様でもあった。こんな贅沢をしていて良いのだろうかと時に不安になったが、昨年熊本、松山と回ってから丁度一年が経って敢行した旅であったから、まあ一年に一度くらいなら許されるだろうと自分に言い聞かせた。全く誰の許しを請うと言うんだか。
この旅が一つ、私の中で日本帰国の節目を示す象徴と成った。さあまたここから気を引き締めて頑張ろう、と伊豆から帰宅した翌日にはふるさと納税の返礼品を発送した。一年前との大きな違いである。
一年前との違いと言えば、生活の中にも大きくある。ドイツから帰って来たばかりの頃の日本に対する新鮮さは無論無く、外から見ていた日本と実際に内に入って見た日本との景色の違いを感じる迄に詳細まで見えてきた事と、それによる心境の変化、思考の変化は計り知れない事夥しい。日本を一年観察した結果、今後の活動に活かせそうな情報を多分に捉まえた事は以前に書き申した通りであるが、自然それと同時に、嗚呼日本はなんて素晴らしいんだと単に褒めるを阻む事柄も散々見たし感じた。特に質の悪いのは、目には善良に見え、肌には醜悪に感じる事柄である。目に見えないから何がどうだと誰かを説得せしめる術も無いが、私の場合にはドイツで生活していた時と比べれば、心地の悪い風、違和感の正体は歴然とする。あの頃に感じていなかったが、今は感じている悪寒。仕事や活動以外の部分の、日常触れる風の中に肌触りの悪いのが混じる。これが余りに充満すると愈々息苦しい。修善寺にはドイツ同様、明治の日本の風が吹いていて実に居心地が良かった。
土曜日のカフェは通常通りに働いた。結果から言えばこの日は完売であった。ここに来て下さる御客は心なしか皆ありのままで心地良い。嘘臭い人が来なくていい。私もありのままでいられる。そうして御客と話していると色々な話を聞く。この日も、―まあ以前からの顔見知りではあったがそれほど交流の無い人である―、或る御客と大変会話に花を咲かせた。その人が養蜂をしているというのを過去に一度聞いていた私は、今度蜂蜜を戴けたらと考えているんです、と伝えると、ニホンミツバチとセイヨウミツバチの育て方の違いや蜂蜜の違いを懇々と話してくれた。これが大変興味深い。何より語り手の本人が真剣だから興味深い。マニアックな話を聞くのは昔から好きであるのに加えて、知らぬ世界でありながらパンの親戚とも呼べる蜂蜜の話は面白かった。
話は弾み、無花果の話にもなった。何でもこの御客の伯父が無花果を四〇〇も採ったと言う。無花果と言えば古代からパンと共にあった食材の一つであるが、恥ずかしながら私はこれ迄無花果と密接に関わらずにこれまでいた。ドイツで働いていた頃にフルヒテブロートの材料としてドライフルーツの無花果を扱った事はあったが、生の、それこそありのままの姿をした無花果を良く知らなかった。すると御客が一度店を出て車へ戻ると、無花果を持って戻って来て、一つ食べてごらんと私に勧めた。実は果実を苦手とする私も、好奇心には逆らえず、「皮を剥いて食べても良いが剥かなくても食べられる」と聞けば、より生態を解明出来そうだからと皮ごと齧ってみた。想像していた食感でも無ければ味でも無かった。それに齧った所から見える果肉の様子も悍ましく伺った。然しこれを不味いと斬り捨てては面白くない。事実、古代から重宝されてきた果実である。「無花果を今度パンに使える様、思案してみます。準備が出来たらまた連絡差し上げます」と言って、連絡先を交換した。折角ならパンに取り入れてみたいところである。
それからまた別の御客は、新潟から来て偶然通りかかったんだと言って、店内に入るや否や「沢山の本がありますね、近頃は本屋が減っていて寂しいですね」と言うから、私もそれに同意して「全くです、本屋で背表紙を眺めて本を探すと予期せぬ出会いが生まれて大変面白いですが、オンラインではそうはいきませんからね」と返事をした。ふらりと寄っただけだから珈琲だけ飲んで帰る積だったと見えたその御客は、それでもドイツのケーキの話をするとリンツァートルテを注文し、ゆったりした空間の中で優しい甘さでこれはのんびり出来ると絶賛しながらケーキを食った。真偽を見抜くのは得意である。この御客の言葉は大変嬉しかった。
御会計の際に、御客は残っていたパンやケーキに興味を示した。もう時間も遅く、それほど数は残っていなかったが、結局残っていた物を全部土産に買って行ってくれた。何とも太っ腹である。
常連の様に通ってくれる御客もいる。その人ほどこの場所をゆったりと使っている人もいなかろうが、それで良いといつも思う。このカフェにおける手本とも言える。何時からになるか、安心というものを体感した覚えの無いでいる私は、自分と関わる人にはせめて安心を覚えて欲しいと思う。カフェに来たならカフェの中では日常の喧騒も世の狂忙も見栄も常識も忘れて、自由に心を安らげていって欲しいと思う。
性別も年齢も職種も立場も近頃は喧しい。平等を訴える者も異論を呈する者も一様に喧しい。“他者を認める”を“弱者を持ち上げる”と同義と思っている者は強者を引き摺り落そうと躍起になるから、シーソーは反対に傾くばかりでそれを変わりばんこにやっているからぎったんぎったんと喧しい。本当の意味での多様性を理解出来ないでいる世の片隅で、私が営業する土曜日だけでもこのカフェに静かなる安寧が生まれていればと思う。
閉店間際まで居残る常連のその御客に、売るには形の悪いシャインマスカットのデニッシュをあげた。常連特典とでも呼べよう。然しこれは依怙贔屓でも無ければ不平等でもない。特定の下心でもなければ、狡猾な賄賂でもない。これは人間として至極自然の行いである。これが自然で無い世は息苦しくて然る。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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