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【読書記録】ジョージ・オーウェル『1984年』

オルダス・ハクスリーの『素晴らしい新世界』("Brave New World") と並ぶディストピア(ユートピアの反対の、反理想的社会を表す語)文学の金字塔、『1984年』。

『素晴らしい新世界』の方は卒論で取り組んだこともあり、そこそこ読み込んだ一方で、『1984年』の方は手付かずのまま気になっていたのですが、ようやくこのタイミングで読みました。

ドストエフスキーの『罪と罰』に似て、序盤からずっと重苦しく暗い雰囲気が漂っており、ウィンストンとジュリアが逢瀬を重ねるところ以外は、読んでいて楽しかったり気持ちよかったりする場面は皆無です。(※個人の感想です)

『素晴らしい新世界』は、全体主義や管理社会に対しての警句を作者が皮肉混じりの世界観で書いていますが、『1984年』の方はもっとダイレクトに描写されています。1949年にこの作品が発表されて以来、世界中で長く読み継がれており、非人間的な全体主義的社会を指す形容詞の "Orwellian" (オーウェル的な、などと訳される。オックスフォード英英辞典にも載っている)という語が生まれるのも納得の迫力です。

ちなみにハクスリーの方も "BRAVE NEW WORLD REVISITED"の稿で、全体主義や洗脳についてなど、社会全体に対する様々な警告を論理的に展開しています。手元の版にはハクスリーからオーウェルに宛てた手紙も収録されており、それらについていずれ別稿で取り上げるかもしれません。

個人的に面白かったのは、本編よりも巻末の附録に収録されている「ニュースピークの諸原理」の稿の方です。

ニュースピーク(New Speak)とは、物語の舞台となるイギリス(ロンドン)を含む、オセアニアと呼ばれる国家の公用語です。市民の思考を統制するために、旧来の英語であるオールド・スピーク(Old Speak)の単語や文法を改変したものですが、この内容が示唆に富んでいます。

まずニュースピークでは単語は数を減らしたり、意味を限定的にするように作られています。一例を挙げると、当局の政治体制を揺るがす恐れのある「道徳 morality」、「宗教 religion」、「民主主義 democracy」といった語は削除されています。また、「良い」という意味は全て "good" の語で表され、"well", "wonderful", "excellent" などの似たニュアンスのものは全て排除されます。こうすることによって、市民は複雑な思考が出来なくなったり、当局の方針に反するイデオロギーを持つことを妨げられるわけです。

私はこの設定が他の何よりもリアルに感じました。思考は当然ながら言語によって構成されるため、言葉をコントロールされると自分の意志とは無関係に思考を制御される恐れがあります。思考のコントロールとまではいかなくとも、言論統制は歴史上様々な政体で行われた常套手段ですし、現代でも一部の国家でインターネットの通信制限が行われたのも似たような目的からでしょう。

話は少し逸れますが、現代では読解力や語彙力の低下の危機が叫ばれています。語彙力の面の例で言えば、自身にとって好意的な感情を催すものに対しては「かわいい」の一言で、程度が甚だしかったり感情が高ぶったりした際には「ヤバい」の一言で何でも済ませてしまう風潮があります。

これは政治的主張やイデオロギーとは関係ないですが、語彙力の低下は思考力の低下と結びつくと私は思っているので、この流れはどうにかならないかと普段から勝手に案じています。そのため、先に述べたニュースピークの件が一番印象に残ったわけです。(かくいう私自身もこれを書きながら語彙力と表現力の不足を感じています)

この本を既に読んだ方からすると、他にも「2+2=5」とか、「戦争は平和なり、自由は隷従なり、無知は力なり」とか、ウィンストンの拷問のシーンといった印象的なところを差し置いて、そこが気になったのかという感じかもしれませんが。

ともあれ、発表から70年以上たった現在でも、全体主義や恐怖政治について読者に痛切なメッセージを投げかけ続ける名著、未読の方は一度手に取ってみられてはいかがでしょうか。


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