楽しく忘れたくもない。だから泣いた。/ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオ
ネタバレありです。
なんでこうも「病」というものは残酷で、人々を苦しめるはずのものなのに、どこか心動かされるものなのだろう。自分が当事者だったら絶対嫌な思いしかしないのに。
ユウキという女の子は天真爛漫で無類の強さを持つプレイヤーだった。誰に対しても健気で弱いところを見せない。とても優しく強い人間だった。
でもその実情は、あまりにも救いのない運命に翻弄される少女だった。
彼女の強さはどこから生まれてくるのだろう。元々そういう性格なのか?かもしれない。でもそれ以上に「不治の病」が彼女をそうさせた。彼女に強さを与えたのかもしれない。
彼女の人生は短かったけど、でもその短い人生の中で得た価値観は、当たり前のように日常を過ごす自分達にも深く当てはまるものなのではないか。
「ぶつからなきゃ伝わらない事だってある」
生きる時間は有限なはずなのに、その時その時で何かと理由を付け、その場を去ってしまうことは僕達にはよくある。
でもそこに行けるのは人生でこれっきりだったら?もうこの人には一生会えないと思ったら?そうすれば誰もが躊躇う気持ちを捨て、ぶつかりに行くだろう。
ユウキは病と戦い、残りの人生が他の人よりも少ないというのが分かったからこそ、その事が身にしみているんだろう。
残りある少ない時間を後悔する事なく生きる。その為にはぶつからなきゃ伝わらない事だってあるんだと。
ユウキはALOの中ではトップクラスに強いプレイヤーだった。しかし、その強さの理由を知ってしまってからは、胸が痛くなるばかりだ。
ユウキは元々色んなVRゲームを渡り歩き、ALOにたどり着いた。それだけALOが夢見る世界を現実のものとしてくれたのだろうし、そもそもVRゲームという仮想現実が病に苦しむユウキを唯一、自由にしてくれたものだったのだろう。だからこそ彼女はそこで腕を磨き、生きる感覚を仮想空間の中で確かに感じていた。
仮想現実が実現する夢にどれだけの人が救われるのだろう。目が見えない人、耳が聞こえない人、体が不自由な人、健全者ではなくとも、誰もが同じように同じ世界で共存出来る。SAOで描いてる世界は近未来ではあるけど、この仮想現実が現実の元となれば、多くの人が救われるはずだ。それが例え現実ではない仮想の空間だったとしても。
ライトノベルで初めて泣いたのは、このマザーズ・ロザリオが初めてだった。正直に申し上げると、アニメも観てなかった。折角だから原作で読んでみようと思ったけど、アニメとはまた違う文字を通して、キャラクター達の内に秘める想いを受け止めていくのは、とても鮮明で気持ちを掻き立てられる感覚があった。
生きる喜び、ゲームを通して得た体験のかけがえのなさ。それらを余すことなく、本作では伝えられた気がした。ありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?