8月が上からやってくる
やばすぎて今月映画見てないなと思い見た。
ヘッダ画像を有志の方からお借りしていることをお知らせいたします。
何を見たか。
she is gotta do it
キングのメッセージ
バトルロワイヤル(要所だけ見直し)
なぜそれらを選んだかにはそれぞれ理由があるんだが、一度見た映画の攻撃力の凄まじさを感じた。つまりバトル~の北野武です。
ネット上の炬燵文を書く連中が信じるような二束三文情報によると、深作欣二がどうしてもっていうならと北野はあの悪趣味な教師だか軍人だかがハイブリッドになった恐ろしく都合のいい狂言回し役を引き受けたらしかった。
その結果、世界の北野が出たバトル~は深作の世界の深作という代名詞を確固たるものにしたのだというからこの友情は美しい(結果という利益がないのなら美しくないのか、利益があったから美しいというのか、という現金な考え方もあり、それについては強く同意する)。
そもそも深作がすでにいなくなっていたということを知らなかった。初めて見た当時の時点でそうだったのかも知れない。当時は───色物かと思って見てしまったことが情けない。戦いを極めて周到に、命の脆さを丁寧に書いているということがなんかぼくの中では薄れてしまっていた。
というのも山本太郎やあんまさ(安藤政信)、そして上記の通り北野の演劇について、前者2人は大きく中学生を逸脱した時に演じちゃってたというイメージがあった。実際25ぐらいだったそうで、高校が舞台だったらまだ……的な目で見れたのかも知れないが、どれほど1999(活字の刊行時)の日本が中学生によって荒らされていたのか、そのヘイトが、高校生に脚本をアレンジするゆとりも残さないほど中学生に固定されてたのか想像に難しい。
というのも話の中では中学生の非行がうざすぎて、北朝鮮化していた日本の政府がキレて「もう中坊ごときぶっ殺しちゃえばよくな~い?」的メソッドに苛まれ、じゃあってんで日本(大東亜なんたら)中のなかから1クラスだけ合法的にぶっ殺していい法案を通したという世界観なので、義務教育だからこそ適当な法律でしめつけやすいのが中学なんだったら別に高校だろうと大学だろうとファンタジー的に義務教育にしてしまえばいいと思うのだが……そうではなかった。
北野の常軌を逸した感じやあんまさのそれ、山本太郎のかっこよさみたいなものに当時気づけなかったのだろう。面白さが上回ってしまったのだろう。なぜかといえばぼくらはあまりにも有名な彼らの個人としての文脈を知ってしまっているから。
さらに北野の役名はまんま北野であり、深作は何を血迷ったのかガチ目に北野武という名前にしたかったらしいが北野自身がそれを固辞してそうなったのも、「笑わせ」に悪い意味で一役買ってしまっているように見えてしまう。こと日本人に限っては、物語と現実の乖離が全然できなかった状態を作る側が強要してしまったのだ。
でも時代背景もあり30億円とかいう爆裂的な売れをしたみたいだけど、おもしろとして見られてしまったんじゃないかな~~~~~~~と思った。だから西洋での人気がすさまじいのではないのか?と。タランチーノとかは人生の映画でバトル~だけ別格で1位だというのだから、そして人が作った歌をモチーフにして歌を作るケースのように、自分でキル・ビルを作ったそうなので、やたらタランチー映画を見てしまっている自分としては驚く他ない。
そういえばキルビルだけは見ていないんだが、以前も言ったようにワンス・アポン・ア・タイム インアメリカでブラピが何のためらいもなく女を殺しまくる様はタランチーの吹っ切れ館を感じる。
今日感想を書きたかった順でいうと
キングのメッセージ
シーズ・ガッタ・ハヴ・イット
これ
なのだが、身体が勝手に書いてしまったことからも分かる通りすごいんだろう。