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雨の夜の地面が寝取られに見える

おびりびおんという映画を見たら電気グルーヴのカフェド鬼顔と科学という歌を聴きたくなり、出かけたら雨の道に寝取られを感じた。ヘッダ画像をお借りしています。

間違えた。オブリビオン

上記の各事象は完全に各個別に生じたものなのだが、順番に起こったので個別具体的に解説していきたい。

まず道について。雨が降ったり速攻やんだりした道は夏の間しか見られないものであるように思うのだが、その道に対して0か1を思うのもこの季節だけ―――――ではさすがにないか。

ぼくはこの通りバーチャル次元にしか住めないためぼくが歩いていた道はこのヴァーチュアル世界にしかないものなのだろうが雨が降るのは現実と同じだ。その道の濡れ方………あるいは眼の前に急に水が生じて、すぐに消える感じについて、今の状態と、「ぼくが何らかの手続きをしないと合法的に恋人が寝取られる状態」で見た場合、全く違ったものに見えるのではないだろうか?と思ったわけです。

なぜそのようなことを思ったのかわからない。ぼくは今まで性別は個人情報なので公開したことがないが、上記の通り仮想体なのでそのように理解されたい。

現実にぼくは恋人が上司にでも寝取られ、合法的に23区内の区役所に婚姻届とかが提出されんばかりの道を雨に打たれながら歩いた経験など一切ない。上司と恋人を寝取りあった経験もない。上司に自分の恋人の有無を提示したことも……さすがにないよな

ともあれ、雨に濡れながらもこの一定の熱さを確実に持ったその無機質なアスファルトだかコンクリートだか知らないがそこにただ置かれて突っ立ってる道群に、あんたらなぜそんなに変わらへんねんなと思ったのかもしれません。

自分の行動に因果関係があるのかとか、運命だのとか考えるのはファンタジーとして全然良いと思うんだが、現実に(現実に対してぼくのいる現実とはバーチャルなのだろうからややこしいが)持ち込んでしまうとそいつは陰謀論になっちまう。

だから事実の羅列をただ並べ立てて考えるのが楽しいと言っているだけです。

みたいに自分の思いをアウトプットしていると、過去にぼくの友達の恋人が別の男に寝取られそうになっていたことを思い出した。あれも夏の日だった。

……

その友達はこのバーチュアル次元にいるのか、あるいはあの日見た現実リアルの中にいるのか今はもうわからない。

もし寝取られが起きようとしている際に闇の濡れたアスファルトを見た場合、チッなんでこんな濡れてんだよと思うかも知れないし、急ぐ自分の焦燥感を煽ってしまうのかも知れない。転んだら泣きっ面に蜂だとか。

だけど、なぜかはわからんが、完全に自分の敷地まで帰ってくると、上記寝取られだのなんだのという感情は完全に消え失せたことにも笑うしかなかった。なぜ消えるのか考えたが……生命として繁殖欲といいますか繁殖本能みたいなものが家という心理的安全が約束された空間だと消え失せるのだろうか。家とは約束を確定して異性を連れ込み、交尾の設定でもしなければ斯様な空間にはなりえないということか。

「本能をもたらす場所」なのかもしれない。恋人の腕の中というものがである。翻って鑑みるに、オブリビオンにも相当な寝取られ描写がある。これは掘り下げて考えると面白いかも知れないので明日考える。

オブリビオンは自己のメタファーが次々に現実を塗り替えていく物語だった。塗り替えというとオモローかも知れませんが、実際には単にクソみたいな隠しがあり、それが誰にも公開されてないだけのことであり、それに主人公とぼくら視聴者が振り回されるだけなんだけど。

カフェド鬼顔と科学は斯様な感性とは真逆に位置する歌である。ロックのスリーコードをテクノに落とし込んで……落とし込んですらいないのかも知れないがソナタ形式の気が狂った歌だと何も知らない人には思われうるのかも知れない。だから生命を守るための自己防衛本能として思い出したのかな。

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中村風景
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