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THE NPU→FUKUNARY


遡ることおおよそ10年前。まだ自社ブランドFUKUNARYフクナリーという名前がない時期。僕がまだ当社と出逢っていないころ、代表高橋と当社の若き縫製職人たちで行われていたブランド活動がありました。

縫製工場でできること。この想いを形にしていくべく、それぞれのセクションで自由な発想でモノづくりをはじめていくことになります。こんにちは、FUKUNARYフクナリーの田村です。今日の記事は僕が入社する前のことを現社長の高橋伸英に聞きながらお届けしてみようと思います。

現在の八橋装院㈱

自由なモノづくり

自社ブランドを展開するにあたって、当社に所せましと片付けられた残布ざんぷをじょきじょきと切って縫って。そうやって洋服を作ろうとはじまった「THE NPU」企画。なにごとも初期衝動は激アツの胸アツなもんで、なかなか熱のこもったインタビューに興奮しておりました(笑)

2009年。モノづくりの基盤と技術向上につなげたいという想いから、会社にある様々なリソースを使って、製作過程で出る残った布を利用してオーダーメイドの洋服を作ろう!とする第一弾の自社ブランド「THE NPU(ザ エヌピーユー)」シリーズを開発していきます。

様々なプリントやシャツなどを展示会にて披露

近年では「 SDGs 」という持続可能な社会の取り組みが注目されていますが、当社ではこちらに似た取り組みを実に13年も前に展開!うちの会社やるやん!って思いました。

とまあ最近でこそサスティナブルという言葉を意識する社会になってきていますが、当時の考え方としては単純に製作過程でどうしても出てしまう「残布」を捨てるのが「もったいない」と思っていて。

その「もったいない」をどうにか製品に変えてお客さんに喜んでもらえないかなぁと、そういった洋服の提案を作り手目線から構築していくことを始めました。

デザイナー黒川さんと社長(若い!)


実際にはオーダーメイドというよりは、それぞれの職人が思い思いの意匠で形にしていく事が多く、洋服の機能性の追求をする者がいたり、前衛的なデザインを具現化するような実験的要素を取り込んだり、古着とミックスしたようなアイテムなどを生み出してみたり。そんな「自由な発想で商品数を増やしていく」シリーズとして次第に輪郭を表していきました。

こうしてトレンドとターゲットを特に意識しない、好きなデザインでジャケットやシャツ・パンツを作っていく。男女5~6名くらいの30代前後の縫製職人たちが業務を終えた後にコツコツと作りためていました。

デザイン性があって奇抜、手しごとと工夫が伝わるアイテムが次々と生み出され、その後に展示会やイベントなどで販売。相応の売上は作れてはいきましたが、事業展開するにあたり、やはりサイズやトレンドを意識しないと収益にスマイルスタンプを押すことが難しいなぁと。

実際にこのプロジェクトで今まで会社が持っている技術と環境を活かしてのモノづくりが出来たこと、社員のモチベーション向上、目標や結果をかなえるために欲望を養っていく必要性など、たくさんの恩恵を得ることはできたようです。

ただ自由な発想でのインプットはできても、それをアウトプットする点に対してのノウハウは持ち合わせなく、使ってもらったり拡げていったりも苦手だなぁと、そんでもって「着てもらう人」を意識しないといけないなぁと。実に職人集団らしい現状を目の当たりにします。

イベント開催時のPOPも社内で自炊

こうして自由なものづくりと展示会を繰り返しながらと感じた「モノに付加されたストーリー性」「ターゲティング」が必要だ。そうかそうなのか、服が作れるからといって作り手の満足のみで、売上を豊かにしていけるのではないのだ!!と、甘い世界ではなかったことを学べました。

「市場を見る」を知る

技術だけで「作った服が売れる」と思っていましたが、マーケットを見ないことには需要と供給の接点を結びつけができない。いままでの学びからそういった点に気づきを得ます。

また洋服は「季節やトレンド」を特に追い続ける必要があり、プロダクトアウト(技術や製造設備といった提供側からの発想で商品開発・生産・販売といった活動)では苦戦を強いられていきます。これ、ようするに作り手の都合でがんがん作ってからお届けしていくってやつ。

対比してのマーケットイン(市場や購買者という買い手の立場に立って、買い手が必要とするものを提供していこう)を意識したモノづくり。この在り方を作っていくために「ブランディング」についてしっかりと考えていく必要性を身をもって感じることができました。

そういったことがきっかけで、自由発想ではない製品づくりを目論んでの「自社ブランド」を作ろうやぁ!という動きに変化。それぞれの得意を総合的に結集する動きがすすみ、全員が一丸となって社内でチームを形どることになっていきます。

もちろん通常の業務(有名DCブランドさんの委託製造業OEM事業)と並行しながら、就業時間までの合間に打ち合わせを重ねてかさねて。満を持して2年。歳月を経てやっとその夢がカタチになり、2013年待ちに待った「FUKUNARY」が誕生していくわけです。

ブランディングについて考え始める

そんな中「THE NPU」の名で活動していた想いがトランスフォームしていきます。それは先代が言っていた想いの中にこんな1ページから。

ワイナリーで出会ったワイン職人の「ワインに対する愛と、なんとしてでも素晴らしいワインを作る」というスピリッツに触発。自社工場のことをワイナリーにちなんで「fukunary(ふくなりー)」と表現。なんとしても素晴らしい服を作るという熱い想いから「わしはフクナリーをつくるんじゃ」と。

そんな言葉に「服が成る、福が成る」と当ててみたりと、紆余曲折しながら
最終的に先代の意思を受け継ぎ、新しい事業体である自社ブランドを「FUKUNARYフクナリー」と命名。以降この名前と価値観が当社八橋装院やはしそういんの理念であり行動規範となっています。

そして浮き彫りになった課題に対して「良質なブランドにするには」という点について以下のようなことに向き合っていくことになります。

  • 自分たちのできることは、どうやったら分かりやすく届く?

  • お客さんにも社内にも「認識の統一」ができる?

  • 作り手目線だけではない「ちゃんとした付加価値」を提示できる?

  • 「立派な焼印」を押したものにできる?

  • それで当社、お客さん、社員が喜べるものを届け続けられる?

縫製工場がつくったものを

というわけで、そうやって始まった「自由な発想で作った服」が当社ブランド事業の原点。現在FUKUNARYフクナリーでは鞄やお財布を中心としたファッション雑貨を作っているんですが、源泉にはこうした服作りが根底にありました。

そして洋服を作るノウハウを活かし、職人集団からブランディングを意識したファクトリーブランドとしてのモノづくりを目指すようになり、毎日まいにち意匠惨憺いしょうさんたんしながら「できること」を追求しています。

その後「ひろしま縫製×ひろしま素材」がきっかけになって進むコンセプトがまた独特なものになっていくわけですが、その辺はまた後日の記事にまとめていこうかと思います。

というわけで!なんとこの度も気が付けば3000文字超え(笑) 長丁場お時間の拘束をしてしまいましたが、本当に読んで下さった方、ありがとうございました。引き続きの記事も不定期で追加していますのでまたぜひ遊びにきてくださいませ☻

というわけで
よりブランドへ親しみを持って頂けますように。
引き続き更新をお楽しみに!

PROFILE
田村 篤史

広島出身、クリエイティブな活動が好き。FUKUNARYの創生から係わっています。作ることが好きで自宅アトリエにて彫金創作も行っています。その他、縫製、音楽、お絵かき、他には言葉を紡いだり。たくさんの学びを経て、やりたいことを素直に。全ての手仕事に尊敬をこめて。

Twitter >> @fukunary 
Instagram >> @fukunary

WEB SHOP >> FUKUNARY
         FUKUNARY feat. MIKASA

8.THE NPU→FUKUNARY

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