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私の隣には音楽がいる

メンタル不調気味、、、メンタルが不調な中、どうやって折り合いを付けようか、回らない頭でずっと考えていました。

実は「もう限界」と思って病院に行った翌日、フルートのレッスンに行ったんです。
いつものならどんなに疲れててもメンタルが落ち込んでいる時でも、レッスンがあるからと思えばどんなに嫌なことでも頑張れていました。
でもその日だけは違ったんです。
まず「レッスンに行きたくない、行けない。」
更には「楽器も吹きたくない、吹けない。」
今までこんな気持ちになったことなかったんです。
初めてでした。
そしてそんな気持ちになった時に「悔しい」って思いました。
私が歩んできた道には音楽と楽器がいるのに、それを手に取れないくらい限界が来ていたことを。

前置きが長くなりましたが今回は「私の隣には音楽がいる」ということで、私と音楽について書いていきます。

サクッと今までの音楽遍歴ご紹介

2歳でヤマハに入る
3歳からヤマハのエレクトーンコースで学び始める
小3からヤマハでエレクトーンと並行してヤマハの中でピアノの個人レッスンを受ける
小5、少しだけ外部でピアノの個人レッスンを受ける
小6でヤマハを辞め、中1で吹奏楽部に入部しフルートを担当。
中高大と10年間吹奏楽部に所属し、現在は趣味でフルートの個人レッスンを受けている

2歳から音楽に触れているので、約四半世紀音楽と一緒なんですよね。
そのことに気づいて自分も驚いたんですけど、実は母も驚いていました。
まさか自分の娘が約四半世紀も音楽に触れているなんて思っちゃないですよね。
自分でもそう思う。

そう考えると、私にとって音楽は身近というか最早人生の伴走者です。

音楽が楽しいと思えること

四半世紀もやっていて、音楽が楽しいと思えるようになったのはここ4年くらいです。
趣味でフルートの個人レッスンを受け始めてからです。

楽器を吹くのは好きでした。
自分が理想とする音が出せた時、仲間と音楽をしている時、合奏する喜び、定期演奏会が終わった時の高揚感。
今でも私の大切な思い出です。

しかし一方でコンクールはあまり好きではなかったし、妬みやっかみを受け続けていたことも事実で。

多分元々音楽において競争が好きではないんだと思います。
小5の頃、少しだけ外部でピアノの個人レッスンを受けていた時にその先生からこう言われました。
「多分この子は競争が好きではない子です。純粋に音楽を楽しみたい子ですね。(つまりプロになるのは厳しいよ)」
当時は「どうしてそういうこと言うんだろう」と思いましたが、今なら分かる。
先生、あなたが言っていたことはめちゃくちゃ正しいし、何ならコンクール嫌いです。

だから年に一度発表会はあるけれど、否定をせず肯定しながらレッスンをしてくださる先生に安心感を覚えているからこそ「音楽が楽しい」と思えるんだと思います。

音楽はいつも隣にいる

基本移動中は音楽を聴いているし、何ならイヤフォンしているだけで落ち着くし、楽器を除いても私の隣には音楽があります。
音楽があるからこそ乗り越えられたことが沢山あるし、音楽があるから頑張れたこともあるし、音楽があるから生きていけるんだなと思います。

それと同時に楽器もいつも隣にいて。
今使っている楽器は7年目になるんですけど、もう相棒です。
右京さんの隣にいる冠城くん、そんな感じです。
「私」から「楽譜」を通して楽器が歌ってくれているというか、今まで経験してきた人生を楽譜に落とし込んでそれで吹いている感じ。
だからその経験をした時にいてくれた人はいないけど、楽譜と楽器を通して、そしてその経験にあった音色で伝えている感じ。
感覚的なものなので上手く言えないんですけど、楽器は相棒であり私の代弁者です。

「聴く音楽」と「吹く音楽」、この2つが私の隣にいます。

最後に

私、多分、「音楽やめろ」って言われたらその人と縁を切るレベルで、「音楽があること」が当たり前になっています。
多分死ぬまで音楽は私の隣にあるし、音楽をずっと好きでい続けるためにはその分の余白は絶対必要だなと思います。

上手く書けないけれど少しでも伝わったら嬉しいです。

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