
小学5年生の娘の激しい感情に思う。
#20250301-520
2025年3月1日(土)
3月がはじまってしまった。
1月末に骨折した右手首は、まだ思うように動かない。手首のそりも、ひねりもまだ可動域が狭い。握ることも一見拳には見えるが、力が入らずしっかり握れていない。
家事もやってはいるが、痛さを堪えながらだ。
ノコ(娘小5)は相変わらずシャツはひっくり返したまま、ズボンと靴下はまとめて脱ぎ、靴下に至ってはなぜかズボンの裾のなかで丸まっている。どうやって脱いだのだろう。
左手しか使えないギプスのあいだは、この引っくり返った衣類を戻すのがとてもしんどく、難しかった。
あれだけ大変さを伝えたのに、ノコの習慣にならないうちにギプスが外れてしまった。
今はリハビリテーションも兼ねて、頑張って引っくり返すものの、そこに私の怪我へのいたわりが見られないこともあり、腹立たしい。
「ノコさーん、お願いした通りに脱いでいない服は、今度からよけて洗わないよ」
丸まった衣類を手に居間に行くと、ノコはあらぬ方向を向いて返事をしない。
朝食は手をつけたばかりというありさまだ。
時計を見ると、8時3分前。
あと3分で食べ終えられるのだろうか。
ノコはNHKの連続テレビ小説「おむすび」を楽しみにしている。
本来、TVは朝食や身支度、3分で終わる学習塾の計算問題を済ませないと見られない。
今朝は、せっかくの休日ゆえ、番組がはじまる8時までに食べ終えたら「見てもいい」と伝えた。
時間も30分と余裕をもった。普通に食べはじめれば、十分足りる。
すでに何度か「間に合うのか」と声掛けはしている。
3分前にあえていう必要はないだろう。
「ママママ、ママママ、食べ終わってないけど『おむすび』見たい!」
洗面台でノコの土まみれの靴下をこすり洗いしていると――このミニ洗濯板を固定して強くこするという動きもかなり痛い、居間でノコが叫んだ。
「食べ終わっていないなら、見られないよぉ!」
私が大きな声で返すと、なにやら激しい音が居間から聞こえてきた。
心のなかでため息をつきつつ居間のドアを開けると、ノコがテーブルを怒りにまかせて叩いていた。足も踏み鳴らしている。
ドンバンドンバン!
欲求が通らない苛立ちをこんなふうに身体で表せることに感心してしまう。
「見られなくて悔しいのはわかるけど、そういう態度をして自分のしたいことが叶うことはないよ。遠ざけるだけだよ」
ノコはぷいと目をそらす。
私はノコに近寄り、しゃがんで顔の高さを合わせる。
「ママだから、『おむすび』が見られなくて悔しいだろうなぁと思うけど、ほかの人だったら乱暴な態度をする子だと思うだけだよ。身支度も計算問題もやるべきことをしていないのに、TVを見せるなんて、ママとしては大サービスの甘々だと思ってるんだけどなぁ」
ノコが泣きたいのを堪えているのか、顔をそらしたまま目を大きく見開いた。
その瞳に居間の景色が丸く映る。
「お昼の回を録画しておいてあげるから。やるべきことが済んだら、見ればいいよ」
ぎゅうううとノコが強く目を閉じた。
おそらく身体のうちを暴れまわる激しい感情を抑えているのだろう。
ノコの荒々しい態度に腹を立てるのは、たやすい。売り言葉に買い言葉のように応じられれば、関係も感情もこじれはするが楽ではある。
こちらだって、試練なのだ。
ノコにとって「いいこと」を提案しているつもりだが、ノコにしてみれば結局「したいことが全然できない!」なのかもしれない。
時間的にも精神的にも余裕をもって伝えているのだが、ノコ自身がすぐ動き出さないため、せっかくの提案が仇になってしまうことが最近多い。もしかしたら、「〇〇できるはずだったのに、できなかった!」とノコの不満を増やしているのかもしれない。
「ねえ、ママママ、抱っこ。ぎゅうして」
気持ちが落ち着いたのか、ノコが身をくねらせながら寄ってきた。
「もうねえ、あなた、重いんだけどねえ」
そういいながらも私はノコを膝にのせる体勢をとり、両腕を広げた。
ノコもノコなりに激しい憤りをどうにかせねばならず、しんどいのだろう。そう思うと、こちらの胸が苦しくなる。
ノコの背をやさしくなでながら、その手触りをしっかり感じたくて私は目をつぶった。
――あなたもなかなか不憫だねぇ。
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