
泣きたければ泣けばいい。
#20240907-462
2024年9月7日(土)
ノコ(娘小5)は、5年生になった今も小学校で泣くことがある。
長い夏休みも明け、2学期がはじまった教室でノコは早々に涙ぐんだという。
「我慢したんだよ。スッゴク我慢したんだけど、でも、泣いちゃった」
台所で食器を洗う私のかたわらにやってきて、ノコがいった。
「ねえ、ママママ、泣くのってダメなことなの?」
5年生になってノコは急に背が伸びた。
女子の成長期は高学年あたりからはじまるらしいから、今が伸びどきなのだろう。小柄な私を追い越す日も近いかもしれない。
「ダメなことではないよ。泣きたければ、泣けばいい」
「でもさ、泣くと男子が『泣き虫』『すぐ泣く』っていう」
ノコはそれが嫌なのだろう。
私にノコが悪いのではなく、はやし立てる男子が悪いといってほしいのだとわかる。
「泣いてるのは事実だからね。間違ってはいないね」
私は泣くことは悪いと思っていない。何年生、いや、いくつになっても泣きたいときには泣いていいと思っている。
だが、男子も「泣くことはダメ」だといっているわけではない。
望んだ言葉をかけてもらえなかったからか、ノコの目つきが瞬時に吊り上がる。
私は食器を洗う手を止めて、ノコに向き合う。
「いわれたくないのなら、男子に『傷つくからいわないで』っていえばいい。泣くことは、恥ずかしいことでも、我慢することでもないんだから」
唇がぐにゃりとゆがむ。
ノコは顔をそむけると、そのまま荒々しい足音を立てて階段をのぼっていった。自室へこもるつもりだろうか。
――やれやれ。
私はノコが出て行ったドアに目を向けたまま息を吐く。
ノコの心に寄り添い、「涙が出ちゃうくらいつらかったんだね」「我慢したけど、涙が出ちゃったんだね」といったほうがよかったのだろうか。
ある程度、自分の行為に返ってくる反応を引き受ける頃合いだと思ったのだが、はやかったようだ。「泣き虫」「すぐ泣く」といわれる可能性を予想できるようにはなった。だから、いわれたくなくて我慢したのだろう。
少し前のノコなら、自分の言動に対して周囲がどう反応するか予想できなかった。そのため反応に対して、即反応で返してしまう。
予想ができるようになったことで、反射的な反応ではなくなった。
先への見通しを複数立てられるようになったら、ノコ自身の言動も多様になるかもしれない。
はじめは、周囲の言動に反応していただけ。
今は、周囲の言動を予想できるようになったが、それに対してどうするかはまだ1つしかない。
これがやがて縛られない程度にいくつか見通しが立てられれば、ノコも生きやすくなるのではないか。
あまりアレコレ予想し過ぎてしまうと――あぁ、それこそ夏休みに家族3人で観た映画「インサイド・ヘッド2」の思春期になって登場した「シンパイ」の暴走になっちゃうのかもしれないけれど!
https://www.disney.co.jp/movie/insidehead2
「こうなるかもしれない」「ああなるかもしれない」と予想を立てた上で、どれなら周囲の反応がどうであっても自分がしたいのか。
そう考えられるようになったらと望んでしまう。
子育てにおいて、よかれと思った「望み」でも「期待」に変化してしまうことがしばしばあるから。
あくまで、軽く軽くそう思う。
ややして、ノコが居間に戻ってきた。
機嫌はもう直っている。自分の部屋で気持ちを立て直してきたのか。
「ノコさーん、ママにそんなことをいう男子が『ヒドイね』『悪いね』っていってほしかった?」
ぎゅうと抱き寄せて、頭をぐりぐりとなでまわす。
「別にぃ」
互いの顔の思わぬ近さにノコの背が伸びたことを実感する。ノコの頭部が私の胸におさまらないではないか。
「泣きたいなら泣いていいんだからね。我慢しなくていいからね。ママがいいたいのはそれだけ」
ノコが顔をあげて、私をじっと見る。かかる息が熱い。
いいなと思ったら応援しよう!
