2024年6月に読んだ本まとめ【読書感想文】
はい、ということで毎月末恒例の読書感想文回です。2024年もあと半年なのが恐ろしすぎますね。
というか先月末にも同じ感じのことを書いたけど、もうあれから1ヶ月が経ってしまったんだということに愕然とする。時代がどんどん追いかけてきて、走ることから逃げたくなってくる。このまま何のムーヴメントも起こさないまま人生を終えたくはない。Hey,hey,hey時には起こせよムーヴメント。♪Wow-wow-war wow-war tonight……
↓いつもの
※あらかじめ断っておくと、これから述べる感想には容赦ないネタバレを含むどころか、あらすじや内容を説明するのが面倒臭いという筆者の怠慢によりこれを読んでいる貴方がその本を通読しているという前提で話が進む可能性もあるので、これからその本を読みたいと思っている方々は速やかにブラウザバックしてください。まあ最低限説明しなきゃいけない部分は極力するようにしますが。
6月の読書記録(ログ)
星野 源/著 『そして生活はつづく』(文春文庫)
上記の記事で触れたので割愛。決して感想書くのが面倒臭くなったからとかそんなんではない。私はそんな感想を書くのを面倒臭がったり読書感想文を書くのに改めてあらすじや概略を記すのを面倒臭がるような、そんな唾棄すべき怠慢な人間じゃないのでね。
あ、いや違いますごめんなさい、嘘です嘘、ごめんなさい冗談です、許してください、私はどうしようもない虚栄心だけで全身を構成された最悪最低な嘘吐きクソ野郎です、認めます、私は唾棄すべき怠慢な人間です、認めるから呆れてブラウザバックするのをやめてもう少しお付き合いください、他のは一応ちゃんと書いたんで。
恒川 光太郎/著 『夜市』(角川ホラー文庫)
なんか最近異様に暑いので1年以上積んであったホラー小説でも読んで風情を出すか、という気分になり読んだ(何事もなかったかのようにしれっと再開するな)。
一応ホラーというジャンルに分類されてはいるが、そこまで怖くはなくどちらかというとファンタジーに近い。あえて言うなら和風ホラー的な。
「夜市」と「風の古道」という短編2篇が収録されている。
全体を通して妖しげな雰囲気はあるものの、どこか郷愁を感じさせるような部分もある。現実と異界の境目が曖昧になっていく感覚に、子どもの頃に夢見たファンタジー的な世界が重なっていく。
貴志祐介氏のホラー作品みたいにスリル満点な感じの小説ではないが、じわじわと現実ではない未知の世界に自分が連れ去られていくような、そんな不思議な魅力を持った作品である。
妖しくも幻想的な世界観に浸りたいときにはオヌヌメの小説です。
谷川 嘉浩/著 『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)
出来ればこの本は就職活動をする前に読みたかったですね。今巷でよく議論されている「やりたいこと」問題に鋭く言及されている。
最近はSNSを中心としたメディアの台頭により、個人の欲望でさえコントロールされているような時代になっていると著者は指摘する。
そこで気をつけなければならないのが「本当にやりたいこと」という言葉だ。この「本当にやりたいこと」という表現は、周囲に左右されずに自分の内側から沸き起こってくる欲求を言い当てているように聞こえるので、支持されやすい。しかし、そこには思わぬ落とし穴が潜んでいる。
著者曰く、大抵の人が語る「本当にやりたいこと」というのは2種類しかないらしい。
一つ目は、俳優やモデル、声優やミュージシャン、スポーツ選手などのスポットライトを浴びやすい職業。これらの職業にも当然責任感やその他諸々の労苦が伴うが、世間の人々はそういうことを考慮せず漠然とその権威と名声に惹かれているに過ぎないのではないかということ。
そして二つ目は、「今」の自分が「正解」だと思っているもの。
大抵の人間は、生きていく中で好みや行動、やりたいことがどんどん変化していく。だからこそ「今」の自分が「本当にやりたいこと」という重い言葉で欲望を固定化してしまうことは、自分自身の変化の兆しを見えにくくしてしまう。
生きていくうちに自然と増えていく知識や経験によって、自分のやりたいことは流れゆくように変化していく。その変化を許容することこそが、将来を模索するための第一歩だと著者は言う。
なるほど確かに、自分の中に一貫して「本当にやりたいこと」というのを定義してしまい、それを初志貫徹でやり抜くという生き方もあるにはあるのだろうが、それだとやはり視野が狭いというか、なんだか勿体ない気もする。出来るだけ広い世界を見た方がいいのだろう。
「本当にやりたいこと」という言葉で個人をアイデンティファイされることに少なからずモヤモヤとした感情を抱いていたので、こういう考え方もちゃんと存在するんだと勇気づけられた。
では「本当にやりたいこと」という言葉を使わないとして、その場合何をヒントに自分の人生を生きていけばいいのか?そのひとつの答えが「衝動」である。
この「衝動」は、自分でもびっくりするぐらいの情熱に突き動かされてつい思わずやってしまうような、そんなもののことだ。「夢中」や「没頭」というものと近いものがある。
この「衝動」は自分自身の「偏愛」から来ていて、誰に頼まれるまでもなく能動的に何かについて研究したり、何かを創り上げたりする、それが「偏愛」を持っていることの証拠である。
具体的にこの「偏愛」の解像度を上げるためには、自分自身に(主に欲望や欲求に関しての)質問をしてセルフインタビューをすることが有効らしい。
今度また別の記事でこのセルフインタビューというのを実験的にやってみようと思う。
この本は漫画の『チ。~地球の運動について~』とか『葬送のフリーレン』なども題材になっていて取っつきやすくはあるのだが、でもやはりいかんせん哲学的なのですべてを理解しようとするとかなり難しい。
それでも十分に読んだ甲斐があったと思える一冊でした。
瀬戸 賢一/著 『書くための文章読本』(インターナショナル新書)
数ある「文章の書き方」について書かれた文章読本の中でも、特に「文末」という点にフォーカスして書いてある。
私もnoteを書いていて、特に悩まされるのがこの「文末」問題だ。どうしても「~た。」の連続になってしまったり、「~だ。」の連続になってしまうことがよくある。
これをどうにかしたいと思ってこの本を読んだ。
まず、「飛ぶ」を「飛んでいく」としたり、「黙る」を「黙り込む」としたり、細かな換言をする方法。これは私もたまにやる。
あとは、読者に語りかける技法。「~だろうか?」みたいな。これもたまにやる。
印象に残ったのは、映画を撮るように文章を書くという技法。たとえば「私と一緒に逃げよう」と「一緒に逃げよう」と書くのでは、カメワラークが微妙に異なるのだと。
前者は語り手が「私」と書いているので、ある程度俯瞰で客観的な視点からの描写だが、後者は主語をあえて抜くことで、より主体的かつ緊迫した描写になる。
もうひとつ別の例を挙げると、「テレビを見ていたら、とある地域のお祭りの様子が中継されていた。若い男子達が神輿を担ぎながら進んでいく。」という文章。
この文章の冒頭は一旦テレビの映像を映し出し、最後に「進んでいった」ではなく「進んでいく」とすることで、テレビの画面に映っている光景ではなく、神輿の場面に直接的にカメラが寄っていっているような印象を読者に与える。
このカメラワークの部分はなるほど~と思ったが、全部読み終わるとそれ以外の部分で紹介されているのは私がもう既に実践しているもの(または実践しようとしたもの)が多かった。
私が文章を書く際に試行錯誤をしている内に、自然と文章技法を身につけられていっているということなのだろうか。しかしその割には全然スムーズに筆が走らなくて苛々してしまう。
まだまだ研鑽が必要なのだろう。
伊坂 幸太郎/著 『AX(アックス)』(KADOKAWA)
本屋で「殺し屋シリーズ」の続編『777』が出てるのを見て、そういえば3作目のアレまだ読んでないなと思って久々に伊坂幸太郎の小説を手に取った。
相変わらず最後に伏線を回収してスッキリさせる展開は変わらず。
しかしどうしてもこんな大人びた口調で父親と会話する高校生いるかなぁ、とリアリティの面が気になってしまう。まあそんなこと言ったら元も子もないけど。
映画一本観終わった後かのような読後感も久しぶりだった。予告通りネタバレを交えた感想を言うと、最後のシーンで妻との出会いを持ってくるのが乙で良い。物語の綺麗な締め方、という感じで非常にスッキリした。
余談だがこの小説内で主人公の殺し屋・兜が家の庭に出来たハチの巣を駆除するシーンがあって、何の因果かその後現実の私の部屋にもアシナガバチが入ってきてしまった。
小説内で登場してきた食べ物や動物などを偶然現実の方でも見かけて「タイムリーだな」と思うことが割にある方なのだが、流石にこういうのはやめてほしい。
部屋の壁に止まって触覚をゆっくり動かしてるのを見てると怖くなってきたからChatGPTに「へ、へへへへ部屋にh、はハチが入ってきたんだkえd、どうすれば良い?」と相談してしまった。
優秀な解読機能を持ったChatGPT曰く「ハチは明るいところが好きなのでとりあえず窓開けておけば明るい外の方に出て行くよ」ということだったので、その通りにしていたらやがて窓から出て行った。俺が恐怖で硬直していた2時間30分を返して欲しい(どんだけ長時間怯えてたんだよ)。
これからの季節ハチが活発になりますから、皆さんもどうぞお気をつけ下さい。
凪良 ゆう/著 『汝、星のごとく』(講談社)
最近本屋でもよく目にするこの本。あまりにも人気で売れてる本というと、前述した考え方じゃないけど「欲望をコントロール」されている気がしてつい忌避してしまうのだが、毒親というテーマが絡んでいるというので気になって読んでみた。
読み終えた後、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティばりに「This is heavy……」と嘆息してしまった。とてもヘヴィーな物語だった。
人気故にもう読んだ人が多いだろうから、冒頭に述べたように読者諸賢がもうこの本を通読しているという前提で感想を述べさせてもらう。
自分の恋愛を優先して子どもの生活を振り回す親の問題など、読み進める内に心の中に重い澱のようなものが溜まっていった。
北原先生や瞳子さんをはじめとした人たちとの関わりによってその澱はさらさらと薄れていくけれど、櫂や暁海にとっての色んな辛い展開を経て、最終的に澱は消えずに心の中に溶けて残り続ける。
尚人くんの自死みたいに救いがない部分もあり、北原先生との暁海の互助会生活みたいに救いのある部分もあり。
清濁を併せ飲まなけばいけないのが人生なんだということを突き付けられた気がした。
先が気になるようなストーリー構成は流石本屋大賞だと認めざるを得ない。
しかし櫂の母親みたいな、あそこまで自己本位な人間が現実にいたら困るなあ。彼女もある種の自由の体現者としてアイロニックに描かれているのだろうか。だとしたら『夜市』よりよっぽど怖い。
読んだ後の余韻が重く、深く残る本だった。
村上 春樹/著 『夜のくもざる-村上朝日堂短編小説』(新潮文庫)
多分15年ぶりぐらいに読んだ。あとがきの村上春樹言うところの「往々にしてほとんど意味のない」超短篇小説集。
安西水丸氏のイラストも相まって、独特な世界観が癖になる。
もはや真剣に読むのが阿呆らしくなってくるぐらいの謎に満ち溢れており、物語として成立するためのエッセンスを完全に読者側の想像力に依拠している。
でも不思議とぐいぐい読めてしまう。半年ほどの周期を置いて定期的に村上春樹の文体に触れたくなる時期があるが、そういう時にちょうどいい。
子どもの頃は『天井裏』という話が滅茶苦茶怖かった記憶があるが、今読み返すと全然怖くない。やはり感性というのは絶えず変化するものなのだ。
ちなみに私のお気に入りの話は『ビール』と『動物園』である。
先ほどnoteの海に投下したこちらもこの『夜のくもざる』に影響されて急に書き始めた。
なので読んでいただけるのは勿論ありがたいのだが、あんまり意味は求めないで欲しい。ほとんど意味もなく自分の頭の中にあるものを抽出したに過ぎないのでね。
私の中にはやっぱり何らかの物語を創りたいという「衝動」があるらしい。先週書いた短編小説のようなものもその「衝動」に向き合った結果として生まれた(ちなみにこっちの方はなけなしの知恵を絞って頭捻りながら考えたので意味がないこともない)。
う~ん、しかし物語を書くのって難しいですね。なかなか思った通りにいかないけれど、これからも実験的に創作は続けていこうかなと思いますので親愛なる読者諸賢はお時間あったら読んでください。
あ、あのお時間あったらでいいですよ本当に、どうしても暇な時で結構ですのでね、暇すぎて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出てくるタイムマシンの開発にでも取りかかろうかなと思ってしまうぐらいのタイミングで良いんでね、そのタイムマシンは絶対に完成しませんから、あらかじめ完成しないとわかっているタイムマシンを製造するぐらいだったら何処の誰が書いたとも知れない謎の創作小説を読んだ方が幾分かマシじゃないですか、そして「なんで私はこんなものを読むために2時間30分も割いてしまったんだろう、読んでいる間になんか部屋にハチも入ってきてるし最悪だわ、全部コイツのせいよ」と後悔すると共に改めて時間の大切さを身に沁みて感じればいいじゃないですか、そしてその後悔を私に直接ぶつけていただければ「もう二度とあなたを後悔させるようなものは書きません」と誓いを立てて精進しますのでね、そうやって世界は回っていくんです、そうやって歴史は作られ、後世に残る名作が誕生するんです。知らんけど。
ということで今月は結構本を読んだので長くなってしまいましたが、今回はここまで。長文そしてたまに無為に挟み込まれる奇文をお読みいただきありがとうございました。
おしまい
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