権力や立場は人に正常な判断をさせないとは言うが、日本の政治家達はそれが顕著過ぎないか?ニュースがおふざけのフィクションにさえ見えてくる。
美術館や博物館に足を運び、物思いに耽けるのが好きです。 単純に疑問なんですけど、美術館に来てる人ってどんな気持ちなんですかね? どんな目的で来て、どんなことを考えながら廻って、どんな気持ちで帰るのでしょうか。 大きなお世話何ですが、すごく気になります。 特に若い子とか、殊勝だな〜と思います。1300円という安くないお金を払って芸術を鑑賞する。日本もまだ捨てたもんじゃあないなと。 どんな感情で芸術を嗜んでいるのか、よかったら教えてください。
書く暇がないので好きな寿司ネタ言います。 つぶ貝。一人で10皿は食う。
物事を正しく認識する、というのはなかなか難しいものである。 情報を得る手段として挙げられるニュースや新聞、テレビショーなどが本当にリアルを伝えているかどうかなんて私たちにはわからない。100%本当もあるかも知れないし、3%が本当で残りはフェイクかも知れない。 だが世の中のニュースに対して現地へ赴き検証なんてしていられない。人生数十年しかないのに、目の当たりにしたトピックに対し真偽を判定なんてしている暇なんてない。 私たちに求められる能力とは『トピックに対して自分の知識、
この毎日noteについて説明してなかったのでここで簡単に取扱説明書。 いわゆる日記です。個人的なアウトプットの練習なので、あなたが私の文章を読んで抱いた感想はそっと胸の内にお仕舞いください。文章的なアドバイスは仕舞わずここに捨てていってください。 日々を生きていて、自分の主張や感情を400字程度にまとめることなんかそうないですよね。140字程度ならSNS好きの皆さんは毎日されていると思いますけど(青い鳥)。 毎日文章を書くというのは、普通の人には結構困難。私は学生なので
財布に少し余裕があるとすぐに本屋に行って一万円近く使ってしまう。 本とは不思議なものある。いくらでも欲しいものがあるし、買っても買っても読んではまた次が欲しくなってしまう。まず買うだけで得体の知れない充足感を味わえる。綺麗なソフトカバーの新書が数冊入った袋を宝物のように両腕で抱えて家に帰る。そして購入した本を机の上に広げ、縦に積んでみたり、横に並べてみたり。演者たちの披露会が終わると次は彼らを一度本棚にしまう。大きさで揃えたり、ジャンルに分けてみたり。 ある程度本たちを楽
本日は久々に推しに会ってきました。正確に言うと推しを拝んできました。 皆さんの人生に"推し"はいますか? ただその人がいるだけで、ただその人の笑顔を、姿を見るだけで元気が出る、そんな人。 その人の全てが愛おしくてたまらない、けど決して近づこうとも思わない。そんな人。 そんな推しという存在は、一種の宗教のようにも思えます。 宗教といってもカルト的な意味ではなく、心の拠り所として。挫けそうな時でも推しを見るだけで元気が出る、活力が沸いてくる。そういう存在。 アイドルや
下書きに保存したままでした。😹 自己肯定感高過ぎる話。 ある日こんな記事を読んだ。 「最近の若者は自己肯定感が低い?」 ふ〜ん。そうなんだ。くらいの感想しか抱かなかった。最近の若者なのにね。 何を隠そうこの私、自己肯定感が高過ぎるので、その記事がとても他人事に見えた。 自己肯定というか自己愛が強すぎるのだろう。 一見ポジティブそうに見えるこの自己肯定感、実はなかなか厄介なものでもある。 例えば複数人でなにかの作業中に誰かが失敗して足を引っ張ってしまったとする。
今日の昼頃、銀行のATMでお金をおろしに行った。8台あるATMは全て埋まっていて、私は待機列の先頭で待っていた。荷物を沢山持った女性が右から数えて2台目の機体から離れた。私が前に立つと、機体の貨幣口に500円玉が一枚、貨幣取り忘れの通知とともに佇んでいた。 私はすぐさまそれを手に取り、女性の元に走った。幸いすぐ近くを歩いていた。背後から呼び止められた彼女は少し驚いた顔をしていたが、数拍置いて状況を理解したようで私に礼をした。 当たり前のような出来事だが、私はこの数分
私は服装に気を使うのが好きだ。自分の中で納得のいく着こなしをして、自分の好きな自分でいるとその日1日の気分はとても良い。 しかし、あくまでも外見は中身が備わっていてこその外見だと私は思っている。 心に余裕がなければ端々に乱れが生じるし、逆もまた然り。 いつもこう思う。 『見た目を取り繕うためだけの人生は送りたくない』 豪華な包装がされているお中元の中身が貧相なお菓子じゃガッカリするだろう?そういうことだ。
誕生日と言うのは本当に歯痒いものである。 なんせこの世に生を受け、生き続けるだけで周囲の人たちから褒められる日なのだから。 『お誕生日おめでとう。』 魔法のことばである。自分の今までの生を肯定してくれる言葉。自分のこれからの生を肯定してくれる言葉。 生まれてから今まで途方もない数の人と出会って、一年という節に自分が存在していることが祝われる。この言葉にはそんな解釈ができるんじゃ無いかな、と思う。 今日僕と同じように誕生日を迎えられた方、おめでとうございます。出会いに
私事ながら明日にはまたひとつ歳を取る。二十数年、地球のエネルギーを食いつづけてここまでやって来れた。関係者の方々には感謝の気持ちで一杯です。 そんな訳で(どんな訳だ)、日記という名の毎日投稿を頑張りたいと思う。生憎今年は出会いと別れ、環境の変化も多く、その度に訪れるたった一度の感情を出来るだけ残したいと考えた。 きっと忙しい日は訳のわからん風景一枚で終わる時もあるだろう。それも人生だ。 『継続は力なり』と偉い人も言うのでとりあえず明日から頑張ってみようと思う。 もし今
自己分析。 どうもこの言葉が好きになれない。 筆者は今のところ就職活動的なことをしたことがないので甘ったれんなクソガキ、的なコメントはスルーします。 別に就職活動に限った話ではないのだけれど。 「自分にはこういう長所と短所があり、そこから考えられる自分の性格というのはこういうものです。」「私はこんな事が好きであんなことを得意としています。これは私のバックボーンにこれこれこういうことがあったからだと思います。」 自己分析というものがどういう役立ち方をしているのかあまり
本日は記念すべき天気の子、初見プレイの回。 『遅いね〜、ここまで観なかったのなら逆に観るなよ。』 は言わないでください。 空前絶後のヒット映画「君の名は。」も観てない私がなんで公開から2ヶ月も経った話題作を観るに至ったのか。 なんちゃって理系学徒の僕は今日も昼から研究室に出勤。亀の歩くような速さでワードファイルに文字を打ち込んでいる私とデスクによじ登って佇んでいる小ぶりな蜘蛛しかいない部屋をのんびりと漂う時間。 時計の針がうだつの上がらない姿を見せる午後3時半、静寂
猫はどんなに高い所から落ちても必ず足をついて着地するそうです。 バターを塗ったトーストを落とすと必ずジャムを塗った面を下にして地面に落下するそうです。 偉い人はこう言いました。 「では猫の背中にバターを塗ったトーストを括り付けて落とせばその二つの法則で永遠に回転するのではないだろうか。」 あー斬新。そんな柔軟な発想で世の中を変えてみたいわ。 これはバター猫のパラドックスというやつで二つの法則を正しいとしたに何が起きるかを考える思考実験の有名な例ですね。永久機関のジョ
「何をそんな焦ってるの」 毎日毎日ボソッと口に出てしまう言葉。図らずも君にプレゼントしてしまった。 家を出て大通りに出る、道路、駅、電車、駅、そして道路。私の視界を行き交う人々は皆どこか急いでいる。 急いでいるというよりは急かされている? みんなそんなに急いでどこに行くんだい。 何かが逃げてしまうのかい。 まあ道を行き交う彼等が必ずしも何かを追いかけているわけではないのだけれど。 別にそこまで諸外国の国民性を知っている訳じゃないが日本人に関しては何事に関しても急