裏路地の細いスキマ
「何をそんな焦ってるの」
毎日毎日ボソッと口に出てしまう言葉。図らずも君にプレゼントしてしまった。
家を出て大通りに出る、道路、駅、電車、駅、そして道路。私の視界を行き交う人々は皆どこか急いでいる。
急いでいるというよりは急かされている?
みんなそんなに急いでどこに行くんだい。
何かが逃げてしまうのかい。
まあ道を行き交う彼等が必ずしも何かを追いかけているわけではないのだけれど。
別にそこまで諸外国の国民性を知っている訳じゃないが日本人に関しては何事に関しても急ぎすぎなように感じる。当然スピード感は大切だ。だが彼等に関しては別だ。
忙しそうに生きる彼等は日々その身にタスクを背負い、こなしている。この世界で与えられた役割を全うするために。
「自分に与えられた役割を全うして生きるなんて素晴らしい事じゃないか!」
ブラック企業の部長みたいな事を言うがこれは実際正しいのかもしれない。他人から与えられた物をこなして"他者からの評価"という礎のもと自分の価値を構成していく。自分で考えて行動するよりなんべんもマシで楽チンなものである。
こんな言い方をしといてなんだか別にこのスタイルを否定はしてない。他者からの評価がなければ自己評価というただのオナニーしか残らないのだからそいつ自身の価値構成は困難極まりないたまろう。
問題なのは違う、違う、そうじゃない。
自分の意思を持つことが大切なんだって事。
与えられた役割を果たす。大いに結構。ただ"よりよく生きる"為には能動的にアクションを起こすことが大事ってことが言いたくてね。
受け身受け身は結局自分の思考力を弱らせて力あるものの意のままになってしまう。操り人形。そんな人生はつまらないだろう?
何かに心を使役されて急かされるような生き方をやめて少し遠回りしてもお天道様は怒らないよ。
少し足を運ぶ速度を落として普段は目にも止めないところを見てごらん。
きっと空はいつもより高く澄んでいて、花は陽の光を浴びて美しく咲いている。
自分の意思で見る世界は普段の何倍も鮮やかに見えると思うよ。
君もこの美しい世界を感じて欲しいよ。私は。
今日駅で歩いている私を抜かそうとしてぶつかってきたサラリーマンへ。