本の虫12ヶ月 12月 30 若月房恵 2024年12月27日 12:16 さて、来月からはなんて名前で投稿しよう。いま思いついたのだけど、同じチェコ繋がりで、「本棚の耐えられない重さ」なんてどうでしょう?求む、大喜利。 自分ひとりの部屋ヴァージニア・ウルフ*よみかえす。この本は、よく思われているようなフェミ論より、村上春樹の「職業としての小説家」だとかに近いような、小説論の感じも強いのだけれど。さいしょにこの本を読んだときよりも、わたしのなかの考えは成熟してきた。それでも、結局恵まれていて、甘やかされているんだけど。「知的自由は、常に物質的なものに支えられています」女として生きること、知的自由、生活すること、感じること、考えること、お皿を洗うこと、お皿を洗ってもらうこと。旧約聖書*半年くらいまえから通読しようとしてたの、ついに終わった。新約はいつも手もとで、文語訳で読んでるから、もいちどはじめから旧約を読もうかしら。「海の沈黙」ヴェルコール*はじめて読んだのは、ウクライナ侵攻が始まったばかりのころ。うつくしいのに、撃たれるような、現在起きていることを読んでいるような気がした。シュトルムのみずうみを、なんどもなんども読み返していたけれど、それと取り換えるように、海の沈黙をくりかえし撫でるように読んだ。*シモーヌ・ヴェイユの根を下ろすこと、サンテグジュペリの闘う操縦士、それらといっしょに、この本がわたしを離れない。ペタンのこと、ド・ゴールのこと、あのときフランスが置かれていた状況、それを学びながら、この本たちをもっと理解していこうとしている。*捩じ切られるような、不条理のなかで、どう誠実に生きるか。「願わくば、この杯をわたしから遠のけてください。しかしあなたのみこころを」理解していて、苦しむこと。有限であるものに、無限の犠牲を求められたら、とシモーヌ・ヴェイユが言っていたけれど。あのような不条理が、ナチス支配下のフランスで。そのどこかに、なにか探している真理があるような気がして、ヴェルコールやサンテグジュペリの戦時の記録を注文した。うちの本棚もういっぱいになっちゃう。「根を持つこと」上シモーヌ・ヴェイユ*ヴェイユ最晩年の書。彼女が政治を、政府を語る言葉は、あまりにも非現実的な、理想主義的な、浮世離れしたものがある。しかし、あのフランスの置かれていた状況を考えると、彼女がこれを考えなくてはならなかった、その切実さが理解できる。サンテックスはライトニングに乗り、ヴェイユは取り憑かれたみたいにフランスに善をなすための方法を書いた。なにかをしなくちゃいけない……ヴェイユのなかで、これがいちばんわたしに近づけることができた。「地底旅行」ジュール・ヴェルヌ*よみきかせホームスクーリング。地底旅行、おもしろかった!地質学はふたりとも大好きなので。こんな洞窟があったらたのしいね。地球の下はマグマらしいけどね。「ピッピ 南の島へ」アストリッド・リンドグレーン*よみきかせホームスクーリング。ピッピ三部作読み終わった。息子によくわからない質問されて、わたしがピッピばりのいみわからない作り話をして、ほんと? ときかれたら、ピッピしたの、と答える形式ができあがってきた。「沈黙のたたかい」ヴェルコール*不条理のなかで、いかに生きるか。シモーヌ・ヴェイユと、サンテグジュペリと、ヴェルコールと、同じ時代を、同じフランス人として生きたこの三人を読み比べながら、考えさせられている。ネット古書店で探してでも読んでよかった。ヴェルコールについて書いた本、日本語でたいしてみつからない。これはヴェルコール自身が書いた回顧録。海の沈黙と星の歩み、これらの作品の背景が理解できる。*フランスのレジスタンス戦闘員たち、山や森にこもって戦ったかれらを、「マキ」と呼ぶらしい。なんだかうれしかった。あのひとも、そのこと知ってたかな。サンテグジュペリの世界武藤剛史*もいちど借りてきて再読。 サンテックスは近くにいたら面倒なにんげんや。女癖悪いし……人間が好きすぎて、女たらしになっているとは、彼のようなひとだったのか。ま、どうでもよい。サンテックスの戦時の記録に、Xへの手紙として出てたのは、愛人のネリーからだったのねえ、とか。どうでもよいことね。「ある人質への手紙」戦時の記録 2サンテグジュペリコレクション*ことばにならない。「心は二十歳さ」戦時の記録 3サンテグジュペリコレクション*ヴェイユ、ヴェルコール、サンテックス。もちろん、サンテックスもヴェルコールも、ヴェイユは知らない。かのじょは生前無名だった。しかし、「サンテックスのように(海外にいながらも)フランスのために苦しんだ人間を知らない。フランス人が食べるものしか食べませんといって餓死したヴェイユを除いて」という一文を見つけた。苦しむ、という思想において、このふたりには共通するものがある、とおもっていたから、そのふたりを結びつける文章を見つけてうれしかった。サンテックスが行方不明になったときに、「マキ」にでも参加してくれているんじゃないか、と願ったひともいた。かれも国内にいればレジスタンスになったかしら。なれなかったから苦しんだのか。ヴェルコールは、「沈黙のたたかい」の冒頭で、戦争で喪った友としてサンテックスを挙げている。そしてサンテックスの日記に、ヴェルコールの地下出版を話題にしている記述。「十六夜橋」石牟礼道子*するすると読んじゃった。意識の流れ。魂が彷徨いでてしまったおばあさまが、若い頃にしていた織物や染色。まるで石牟礼さんの文学みたい。良い小説だ。「逝きし世の面影」渡辺京二*日本が国道のような人間ではなく、野道のような人間であった時代の。でも、田舎のどこかに残っている、庭に菊を植えて、池を掘って金魚を飼っているおじいちゃんに、かすかにそのころの面影を感じる。わたしが愛している祖国とはなんなのか。アスファルトに埋め尽くされた町では感じられない。建売とマンションと駅とスーパーの町では。でも、山や野をゆくときに、ふと感じる、あの古代の息づかい。(近所に古代の東海道がある、そこをゆくとき)祖国の実質。日本にきて、干からびたアスファルトの町で根こそぎになっている外国人に、この本を読ませられたらいいのに。この面影を探そうとすれば、根を下ろすことができるかもしれないのに。*宗教観は合わない。わたしは「儀礼を否定し個人の神との直接の交流を重んじる近代プロテスタンティズム」に属しているにんげんらしいから。「根をもつこと」下シモーヌ・ヴェイユ*真理を希求する精神。ヴェイユは、こんなにも真理に近づいていたのか。かのじょがこの本で言っていることの大半は、アーメン、と言って読めるような真理だ。みんな、気づいてたかしら?「武人の本懐」高嶋博視*3.11のときの、海自のトップの記録。軍港巡りでよく見る船たちの活躍。おもしろい。「この父ありて」梯久美子*書く女たちとその父との関係。Sister 渡辺和子(2.26事件で目の前で父を殺された)ではじまり、石垣りんに辺見じゅんetc, そして石牟礼道子で終わる本。とても、とてもおもしろかった。書く女たちの生涯。女であるって、おもしろいことだな、と読みながらふと思った。男になりたいなんて、いちども思ったことがない。「深海でサンドイッチ」しんかい6500支援母船よこすかの食卓*むすこが深海が好きなので借りてみたけど、船のなかの食事がおもしろくて、自分だけで読んだ。むすこ曰く、「ぼくがきょうみあるのは、たべものじゃなくて、しんかいのせいぶつのほうだから」生活も食事も、技術であり、芸術だなあ。こういう限られた空間での食って、興味をそそられる。一緒に写っているのは、オオカミウオとマッコウクジラのガチャガチャ。前者のなまえは、ヴァージニア、後者のなまえは、メルヴィル。わたしがつけた。「新しい須賀敦子」*鎌倉の文学館で展示をしたときの本。とくにあたらしい発見はない。撮影小物、近くにおいてあったこむぎねんど。「幻影の明治」渡辺京二*いやはや、おもしろかった。とくに内村鑑三について、書いている章が。内村鑑三は、渡辺京二にキリストについて突きつけることができたのだ。 「内村鑑三」を突きつけるのではなく。なにか偉大なる存在を、その知性にもかかわらず、感じ、否定することができないひとに、神について、みずからに問わせることが。石牟礼道子―渡辺京二のラインを読んでいると、このひとたちかどこかで真理に肉迫している、というきがする。だから読んでいるのだ。ヴェイユの「根をもつこと」は、その真理に、なまえを見つけているのだけれど。だけれど、日本人だから、キリスト教について、十字軍や異端審問やイエズス会をふくめて、「キリスト教」としてとらえているから、フランスに生まれたヴェイユのようにたやすく、「キリスト」というひとに行き着くことができない。そんな欺瞞よりは、親鸞のほうが真理に近いのでは、といいかえしたくさせてしまう。わたしは、親鸞、なんにもしらないからわかんないけど。真理にひとつの名前がある、とまで、ヴェイユは行きついていた。それは東洋人には、西洋人の驕りのように感じられる。けれど、キリストはほんとうは、西洋も東洋もかかわりないはず。というより、キリストは東洋のひとなのだけどね。すこしずれてしまった。思っているのは、そんなことじゃない。でも、渡辺京二が、神について考える文章を読んだのは、とてもおもしろかった。知性が、文学が、思想が、とてつなく真理に肉迫して、そしてそれていくような本を読むことがある。漫画 クラウゼヴィッツと戦争論*漫画じゃないと、こんなのぜったい読めないってわかってたからね。漫画でも半分もわかんない。でも大半がナポレオン戦争についてで、ロシア遠征のところを読みながら、ほほう、戦争と平和をもいちど読んだら、戦争の部分をもうすこし理解できるようになるかもしれぬ、とおもった。もいちど読み直そうかなあ。ただの主婦が、なぜ戦争論を読まなきゃいけないとおもったかは謎である。軍事関係の読んでると、基礎教養として出てくるからねえ。だから漫画で手を打った。「戦争と平和 一」トルストイ*さっそく読み返す。1805年の戦いから始まる。一巻はアウステルリッツの敗戦で終わる。戦場で、かれらはどう感じたか、というのを、トルストイは描こうとしている。サンテグジュペリの本にあった、何日も建物の下に閉じ込められていた男への質問みたいに。「それで、その瞬間、あなたはなにを感じたのかね? どう思ったのかね?」そして、内面の道にみちびかれているひとと、その世界を知らないひとたちとの書き分け。そういうところが今回は目に留まる。トルストイが書こうとしていることを、やっと感じられるようになってきた、なんて書いたら、とても傲慢だけれど。この本を買ったのは、小学生のときだったから。いまはじめて、ちゃんと戦争のシーンを読み飛ばさずに読んでいる。一つの作品を読みながら、読み手も成長していく。「アーサー王と円卓の騎士」シドニーラニア編*よみきかせホームスクーリング。二週間半かかった。ママはがんばったよ、がんばった……ついでにテニスンのシャロットの姫君をよみきかせてみた。5歳児は、ラーンスロットがかっこよくて、たたかうシーンがおもしろいそうだ。ジュール・ベルヌのほうが、大衆小説だから朗読しやすい。つかれた。(でもまたがんばる)「戦争と平和 二」トルストイ*二巻からは同じ岩波でも新訳。一巻は小学生のとき買って、二巻からは十代になってから買い揃えたから。アンドレイとピエールのわかりやすいようなぶれぶれからの真理の希求。ピエールのフリーメーソンは、いまでいったら陰謀論みたいね。そしてはじめから苦しみの道をゆく公爵令嬢マリア。アンドレイが、アウステルリッツのたたかいで、空をみあげるシーン、あれが何年かまえに読んだときから、とても好きだった。アンドレイは、さいごにとても真理に近づく(ような覚えがある)のが、それがたのしみで読み進める。まだ先だなあ。アンドレイすき。「ヴェネツィアの宿」須賀敦子*ぜいたくだ。うつくしい文章を読むのは、こんなに愉しい。細雪の世界と、戦後の修道女たちと、イタリアと。読書の愉悦、みたいな。須賀さんのエッセイ、ざんねんながらこれで最後だ。もうたぶんぜんぶ読み終えてしまった。本を読むのは愉しい。 本の虫12カ月|若月房恵|note 2024年、今年こそは読んだ本をぜんぶ記録する(たぶん) note.com ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #読書 #子育て #読書日記 #本棚 #チェコ #第二次世界大戦 #読書録 #ホームスクーリング #トルストイ #戦争と平和 #須賀敦子 #よみきかせ #石牟礼道子 #ヴァージニア・ウルフ #戦争論 #シモーヌ・ヴェイユ #クラウゼヴィッツ #渡辺京二 #リンドグレーン #海の沈黙 #サンテクジュペリ #逝きし世の面影 #自分だけの部屋 #ヴェルコール 30