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『日替わりヘレン・ケラーを目指して』 2024年ver.


 私は不随意運動症ふずいいうんどうしょうという病気なのか、障害なのかよくわからないものと、かれこれ5年くらい治療を続けている。

なんじゃそりゃ?! って方は改めてこちらをどうぞ🙋(専門的な部分はスルーしてお好きなところをお読みくださいな♪)

 ここから先も気になるルートをお選びくださいな🙋


【クセ強☆病状と変化】


 ほいでもって、ここ数日は発声障害に見舞われている。緘黙症とはたぶん違っており、私の場合は喋ろうと意識すると喉に過剰に力が入って話し相手・場所関係なく突発的に起きる。(強いていうなら、ストレス要因……)

こういう時は喋れない+咀嚼や嚥下も厳しくなる。何なら、飲み込む時に目をギュッと閉じたまま開かなくなることもある。でもそういった症状が常時起きていればできる治療法(外科的手術やボトックス治療など)もあるけれど、私の場合は対象外で筋肉を和らげる薬で凌いでいるのが現状だ。

でも、全く声が出ないわけではなく、驚いて「わっ!」みたいな無意識での発声は可能だから意識しないを意識するという謎のループに陥っている……


 発声障害+クチ周りの不随意運動
についてはこちらをどうぞ💁

(音声も貼ってみたのだけれど、ダウンロード形式になったため他の方法があれば教えて下さい🙇 一旦、音声のみで更新したら貼れるのかな🤔?)

 そして天気の影響なのか、引っ越し疲れなのか、こちらのヒダリー(新たに動画を追加してみたよ!)と

こちらのふるえ VS 脱力の争い+α による

ちんどん騒ぎで忙しい。(あと記事のクセ強めで堪忍な🥷ニンニン!)

この当時よりさらに悪化し、現在は体幹機能障害2級の電動車椅子ユーザーでもある。身体障害者手帳の申請をしたのは上の記事辺りからかな🤔

勝手に私の場合は身障手帳に当てはまらないと思い込んでいたのだけれど、付き添いのヘルパーさんのおかげで手帳が取れ、医療証で薬価の高い新薬も処方してもらえるようになり(優しい主治医は処方後に「この前処方したけど、高くなかった?」と心配してくれたほど😢)、長時間のふるえ振戦はだいぶ和らいだ

その反面、嚥下・咀嚼面が低下していて、経腸栄養剤で補いながら生きている

また、区分も上がり、(お年寄りでいう介護度と捉えるとわかりやすいかな?)脱力で入浴が困難・入浴中に目が開かなくなる・入浴後に起きやすい息切れで意識朦朧となることも増えたため、入浴見守り(介助)に入ってもらいながら、空き時間にヘルパーさんとお話することで外部との交流を増やすこともできた

 今は引っ越しをして、そういった方々とのお別れは寂しくもあったけれど、私は家にいながらでも人とふれあえることを知れて良かったと思っている。むしろ、ヘルパーさん達の方が名残惜しんでくれて、うれしいと表現していいのかわからないけれど、永遠のお別れじゃないし、逆に支援者と利用者の関係ではなくなり、たくさんの人生の先輩(姉御?)が増えたから全てが無駄だったわけじゃないとも思っている。


【時の流れに身を任せてもええんやで】


 ふと見た自室カレンダーは実家を出た年と今年の閏年以降、日付の並びが同じだ。

本当は錦を飾って帰ってきたかったけれど、そう上手くはいかないのがやっぱり私で。

でも私が地元を離れていたうちに障がい者福祉サービスが手厚くなっていたことに驚いた。(私が福祉の仕事をしていた時は県内でも福祉が整っていない地域だとよく上司が嘆いていたので……)

だからこそ、効率的に手続きが進められるように私なりに手続きが必要なものを書き出して、必要な書類もほぼ準備して(多少忘れたものもあったけども……🙈逆に、たまたまあった!ってものもある。証明写真就活に使う予定だったんやとか。)転入届を出してからは、もうスタンプラリーかよ! ってくらい「この後に何番に行って下さいね~」と進むべき課を教えて下さり、それぞれの課に母+旧相談員さん+新相談員さんという助さん・格さんより私は桃太郎なのかな? レベルの心強いメンツで挑んだら、どの職員さんも懇切丁寧に説明して下さった

出かける直前まで息切れグロッキーだった私もいざ出陣! となると、何とか持ち直して山ほど住所と名前を書いたけれど、これを委任状を渡してお任せしていたら、どえらい大変やったやろうな……とつくづく感じた。

そして都道府県どころか市町村で異なる驚きと発見を知ることができた。

一番の収穫というか、私なりに感じたのは、カレンダーが同じ日付に巡ってきて変わらないように見えても、ちゃんと時の流れが進んでいたことだった。

以前住んでいた地域が「福祉に手厚い」とよく耳にしていたことや、全国展開を謳っている色々な事業所(就労移行支援やヘルパー事業所、車椅子や福祉用具の販売店)が、地元どころか四つの県にはないということを度々聞かされていたとはいえ、私の中にも“田舎=福祉過疎地”と勝手に決め込んでいた部分があったことに反省した。

たとえ過疎地であっても実家に戻ると決意した時から「支援が整ってないなら、私が片っ端から整えてやる✊」と息巻いては、家族に「また無茶なことを言うて……あんたは治療に専念しぃ!」と呆れられることも多々あるけれど私はどうしても“自分と向き合う”ことが苦手だ。

どれだけ無理と言われてもとりあえずやってみたい! と思うのも私だ。そのせいで母には多大なる心身のストレスを与えてしまい未だに叱られ、陰で泣いて、翌朝仲直りするのループからは抜け出せていないけども……

でも私は自立心が無駄に高いのもあって

「もう子離れしてもええんやで!
 自分の人生を楽しんでよ!」

と、逐一伝えてはいるのだけれど、なかなか上手く伝わらず、そこには一朝一夕にはいかない母子分離の難しさ母と娘の同一視が感じられて、母の手を振りほどきたい気持ちに駆られる日もないとは言えない。(一番つらいのはね、病気そのものよりも私のことで家族がつらい・しんどい顔をしているのを見ることの方なんだよ……)


それでも私のことで苦労をかけた分、私だけは絶対に母の味方でいたい。だけど、私は母と別の人間で、当時の母が背負っていたものに比べれば私の悩みなんて自分本位のものだと痛いほどわかっているつもりだ。

でもねライフステージの選択がまず違うし、母娘と言えど性格も違う。私はすぐ泣く方かもしれないけれど(自傷行為は減らしたいと思っているよ……)、そこに父の楽観主義がブレンドされ、だいたいのことは一晩泣いたら復活して、また新たなる野望を掲げて進むタイプだ。(それすらも「自傷行為みたいで見ていられない」と言われたら、ぐうの音も出ないけれど😱)


その野望が失敗して、また泣いての繰り返しに周りが疲れるのも分かっている。けれど、病気もこれまでの生育歴も波だらけの私には平坦な道が退屈に感じられるようになってしまった

 それはどうやら思春期の頃、お世話になっていたカウンセラーさんにも私自身が気づくより先に見抜かれていたらしいことを、つい最近知った。

「この子は想像以上に根性があるよ。
 だからこそ生きにくいのかもしれないね」

と。それは出会ったばかりの心理士さんにもうっすら気づかれたっぽい。(相手が心理士だと知らなかったから油断してた!)

「話し合いをしていても
 ずっと本当の気持ちが掴めなかった。
 全ての考えが外に向いてるけど
 本当は心の奥に闇を抱えていそうだから
 開くのが怖くもあり、興味深くもある。
 でも煮えたぎるマグマのようなものも
 感じられるんだよね」

といったことを言われた。正解に近くもあり「お主もまだまだよのぉ……😏」的なところもある。


【私の中のガンコちゃんと気づき】


 私はどんな人にも、たとえ家族にも100%心を開くことが出来ない。それは“ぼく”という一人称を親の前で使えなかった頃よりずっと幼い頃から私の心の中には言語化できないものがたくさんあった

大人がただ泣いていたと捉えていたことの中に本当はこんな気持ちで泣いていたんだよ、という理由があったことを。(着ぐるみハンギョドンを見て泣いたのは人間じゃない生き物が襲いにきた! っていう命乞いだったんだよ!)

言葉で伝えられるようになった頃に好きなものを話したら茶化され、それ以降好きなものほど誰にも言わずに隠すようになったり、兄を見て「こういうことをしたら怒られる」と学び、二の舞にならないよう気をつけていたり

そして無駄に場の空気に敏感だから、ムードメーカー役を勝手に引き受けて、その反動でどっと疲れたり……(慣れたら🤡ピエロも楽しいし、別に沈黙が怖いわけでもないんだけどね! 末っ子のさがみたいなもんよ!


 猿真似で器用そうにこなすふりが上手かっただけなのと身長が伸びるスピードが早くて大人っぽく見えただけで、年相応にサンタさんを信じるような幼い部分を持ち合わせていただけなのに「それがわかって、なんでこれはわからんの?」といったギャップや、大人からの「手がからない子」というレッテルに応えねば……といったしがらみにも長年苦しんだ

 成績を公表されたことで、クラスメイトの一部からライバル視されたり(あからさまなタイプに関しては、うっとうしいから実力で片っ端から蹴散らしていったけども🙈)提出したノートを盗み読み&写されたり……その日に限って落書きしてたんだよー😱😱<心配するんそっちかーい!)

でも、それ以上に不登校時代に成績表に斜線を引かれていたという過去も加わって、「一番じゃない自分には価値がない」と思い込み、それを隠そうと山ほど資格を取ることで補おうと必死だった。(これに関しては某事件の犯人が難関資格を持っていたと発覚した時のツイートの中に刺さるものがあった。)

自分に自信がない。過去を隠したい。

そういう人にとっては、資格を持つことで箔がつくという単純な理由だけではなく、資格があることで、その人の過去や人間性を深掘りされることが減るからでもある。そして、リセット症候群の場合は多少離職回数が多くても有資格者が欲しい企業は難なく雇ってくれることもある。

 それでも障害を抱えても子どもの頃よりはむしろ楽になったかもしれない。他の記事にも書いたように、苦しみの理由が概ねわかるようになったというのもあるし、テストのような点数による明確な順位付けがなくなったから。

そして、私の場合はだけれど、障害を理由に結婚や出産といった周囲からの見えない圧が和らいだ気がする。(ご縁があれば……なんだろうけど、お相手に悪いから私はそこから離脱したルートでいいかな。)

それよりもやってみたいことが
たくさんあるからそれどころじゃないんや!

やりたいことが🌋マグマ🌋のように溢れ出てくるのに叶えられないことがもどかしくて、苦しいというのがわかっただけでも成長したのかな、私も。

私が抱えた障害は、大人的な思考と子ども的な思考のギャップに足掻いていた頃と同じように周囲に理解してもらうのは難しい

でも、子どもの時と違って保証人が必要なことでなければ、自分が責任を負うことで実現できることは増えた。(人の手を借りなきゃいけない場面も多々あるけども😭)

だけどね、自分のでさえ掴みきれない症状の波は弱みでもあり、強みでもあると思ってもいるんだ。

人はみな別の生き物だから完全に理解するのは無理に等しい。それは家族内でも経験済みだ。

私はある時は歩けない人を、またある時は喋れない人を、食べられない人を、目が見えない人を、体験できる。(もうイヤや~! って叫びくらいしんどい日ももちろんあるけれど😭)

そこにはできる場合とできない場合があるからこその着眼点もあると思う。常時できない状態の人からしたらわかった気になるな! と感じる人もいるかもしれないからあくまでも健常な人よりは理解しやすいかな🤔くらいのニュアンスで

とある身体障がい者の方は産まれた時から歩けないから「歩けるようになりたいと思ったことがない」といった話を伺ったことがある。その方のように

ないところから築きあげた
強さがあるのなら

あるものを奪われた苦しみから
生まれる強さもきっとあるはず!


私は……うーん、歩けるなら歩きたいかな? 歩くの嫌いじゃないし……でも、電動車椅子も慣れると楽だし……もうわっかんない😂

だけど、今日は近場だから杖や歩行器を使って歩いてみよう・遠出だから車椅子にしようと選択できるって考えると、なかなかお得な気もしてきたぞ……?

あーでも、車の運転はしたいかな🚙?

今は一人で出かけられないから、お下がりのシニアカーを練習中👩‍🦼💨(不思議と日によっては自転車は乗れるんだよね。これは遺伝性の方の闘病記にも書かれていたよ~🚲️)


 そういえば、海外では障がい者のことを
“チャレンジド”と呼ぶのだけれど、日本ではあまり浸透していないイメージ🤔

別にそんな大きなことじゃなくても、日々の出来た! のために試行錯誤するという意味でも悪くない言葉だと思うんだけどなあ……

まあ今の世の中、チャレンジしているのは、障がい者だけとも限らないけども。


【ここにきてまさかの……?】


 タイトルでは意気がっているけれど、私がヘレン・ケラーほど立派な人になれるとも、なりたいとも微塵も思っていない。(そもそも子どもの頃に読んだ自伝くらいの浅い知識しかないので、まずはヘレン・ケラーの理解を深めたい!サリバン先生の功績も含めてね)

 まずは漫画から……🙈


 心身に余裕ができたらこちらなどを……
(他にもあるけれど、こちらは字が大きく読みやすいので😂)


お名前をお借りしたのは複数の障害を抱えながらも、持ち前の知性と生きる力で障害者福祉や障害者教育に尽力をしてきた方という面で今の私にも何か学ぶところ、伝えていきたいことが見えてくる気がしたからだ。


また、日本のヘレン・ケラーと呼ばれた中村久子さんという方もいらっしゃったようで。

生い立ちを読むだけで悲しくなる面もあるけれど、裁縫や編み物がお得意だったようなので、もしかしたら今後、私がやりたいことは久子さんに近いかも……?

Wikipediaによると


久子は見世物小屋で働き始めた時「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」と決意し、生涯を通じて国による障害者の制度による保障を受けることは無かった。

中村久子』さんの
Wikipediaより抜粋


ともあるので、個人的には久子さんのお気持ちに共感しながらも(私の考えとしては障がい者制度から抜け出したい→そうすることで障がい者という縛りにくくられずに、平等かつ自由に生きていく世界につながるような気もして……)、ヘレン・ケラーのような当事者だからこその訴えで他の苦しんでいる人々が病気や障害でADL日常生活動作やQOLを奪われないようにしたい気持ちもある

そういう意味でも、私は日替わりなのかもしれない。(病気で臥せって自分のことで精一杯な日もありゃ、元気に動けて人のために活動できる日もある的な、ね!)


 だから先駆者が整えてくれたいいところを受け継ぎ、時代に合わせて変化できるように私は私にできることをやってみよう! というふわっとした感じで、毎日を紡いでいこっかな🤗🎶(締めくくりゆっる! 孫に対しての財布の紐くらいゆっる!)

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