きっと誰にだってレジリエンスはある!
最近ではビジネス用語としてもよく聞くようになったレジリエンスという言葉をみなさんはご存知ですか?
毎度のことながら、自分語りが長くなりそうですが、レジリエンスという言葉に行き着くまでの半生と反省、そこからの思いを書こうかと✍️(面倒なところはスルーしてもいいよん♪)
【私の半生と反省】
まあざっくりと話してしまえば、私は小中学校の大半が不登校(でも元々は学校大好きっ子で、トリプルいじめ期はさすがにキツかったけれど、友達には恵まれていたかなあ、と思います。合わなかったのはどちらかというと担任ですね……)で、その経験があったからこそ、特別支援学校の教諭になることと言語聴覚士になることが中学生の頃からの夢でした。
近所に養護学校があって幼少期の夏休みには一緒にプールでぷかぷか浮いて遊んでいたのと、高校に上がる前後に特別支援学校と呼ばれるようになり(私の地元では今年度から支援学校と呼ばれるようになったみたいです。だから都会に来て障害によって細分化されていることを知り驚きました。)、発達障害についても徐々に浸透し始めた時期でもあったからです。
小中不登校だったくせに教師を目指していたのは単純にもう私みたいに傷つく子が増えて欲しくなかったからです。
保育士も一時期は考えていたのですが、幸せそうな家族を見るのが思春期頃からしんどく感じるようになったのと、思いの外大きく育ったおっちょこちょいの私が子どもを片っ端から蹴り倒しそうで怖くて……(ゴジラかよ! とツッコミつつ、ひょんなことから通信教育で勉強したら半年で取れたので、保育所で働いてみたら毎日ドタバタでしたが意外と楽しかったです🤭プロポーズもされたよ♪)
身バレするほど特殊ルートで普通科の高校に進学した時点では、Be動詞もaとαの書き分けも√の書き方もわからないレベルだったけれど、元々勉強は嫌いじゃなかったから学ぶことが純粋に楽しくて高校ではそこそこの成績を維持していました。(だからとりあえず本だけ読んでおけば大丈夫! 今ならタブレットでも勉強できて羨ましいくらいだよー)
ただ、元不登校のため一度でも休んだら復帰できないのではないかという強迫観念、義務教育の知識がないというコンプレックス、馬鹿真面目と呼ばれるほど自分に対して過度に厳しく、負けず嫌いな性格(不登校時代に成績表に○や△ではなく斜線を引かれた経験があり、実技以外はオール5じゃないと納得出来ず……検定ものも山ほど取りました。それは単位が免除されるという保険と受験に有利になるからでもあったのだけれど)、友達にも打ち明けることなく精神面の治療をしながら、グループ内のお調子者で弱みを見せられなかったこと、教師達からの国公立の進学実績へのプレッシャーに押し潰され受験モードが漂い始めた頃には卒業すら危うくなっていたこともありました。
特別支援学校教諭と言語聴覚士の資格の両方が取れる大学があったので、第一志望にしてAO入試を受けましたがセンターの結果が思わしくなく不合格。別の推薦入試も面接で浅い動機しか言えず、こちらも不合格。
そもそも小中学校ろくすっぽ通っていないのに推薦枠をもらえただけで奇跡じゃん! と今となっては思うのですが……第一志望の大学に編入制度があったので、それを目標に私立の大学の一年次で教養科目を全部取り(これは次年度の実習が楽になるのも考えて)研修会、資格取得、ゼミ、ボランティア、サークル活動など、編入に有利になることに全力を注ぎ込みました。(この時も成績の優・良は許せても、可だと納得できなほどの完璧主義でした。この期間が一番メンタルクリニックに通っていたのに、よくそれだけ動いたな~と年取った私はびっくりしちゃう😱)
結局、二年次に上がる頃には燃え尽きてしまい……休学を経てから退学し、母の猛反対を押し切って、一人で編入試験を受けに行ったものの不合格。
その後、なぜそこに行き着いたのかもはや記憶もないけれど、通信制の大学に編入しました。とりあえず大卒であれば受験できる資格(保育士試験もそうでした)もあり、就職後の給与も違ってくるかなと思ったからですかね🤔? 実際に仕事をしながら勉強している人達も昇進などのために通われている方が多かったです。
あくまでも大卒を目的に編入した大学でしたが、学校に通いたくても通えなかった戦争時代も乗り越えてきた人生の大先輩達(下手したら50歳は年上だったかも……)とスクーリングで一緒に学び、たくさんの人に可愛がられながら過ごした時間は、私にとって人生で一番充実した期間だったように思います。
それまで私はコミュ力はあまりない方だと思っていたけれど、老若男女どころか、経歴も職種も立場も国籍も違う人とグループディスカッションをするようなことも多かったのでかなり鍛えられました😊✌️
何よりみなさん、自ら学びたくて集まった人達なのでその勉強熱心さに刺激を受けたくらいです。それがむしろ私にとっては居心地が良かったのかもしれません。(モラトリアムは小中で存分に堪能したので😂)
また、以前通っていた大学では教わる機会もなかったかもしれない障がい児教育や心理学で有名な教授の授業を受けられたのもうれしかったです。
スクーリング場所も基本的に県内の国公立の大学だったので、一般の大学生に紛れて学食を食べたり、図書館に潜入したり、時々単身赴任の父がいる県の大学に行ってみたり……
ただその大学では就職に役立つ資格を取れなかったので(認定心理士は取れたので、大学院まで行けばカウンセラーになることも出来なくはないのですが、カウンセラー兼教授曰く、白衣を脱いだ瞬間に仕事で聞いたことを忘れるくらいすぐに切り替えられるような人じゃないと続けられないとお聞きしたので私には無理だなあ、と)、別の通信制の大学と並行して図書館司書の勉強もしてました。(取り寄せて半年くらい寝かせてしまったけれど😱)
その大学では卒研は必須科目ではなかったけれど、司書としての勉強も兼ね、自分の過去を振り返る論文を書きました。
心理学として、自分の家庭環境や生い立ち、性格特性などからパーソナリティー障害やら愛着障害やらを調べた中で私はレジリエンスという言葉に興味を持ち、不登校だった人がどのようにして社会人になったのかをインタビューしてまとめました。
それが私のレジリエンスという言葉との出会いです。(あぁ長かった!)
【レジリエンスってなあに?】
私が研究した当初はこのくらいの情報しかありませんでした。
今やいろんな分野で使われるようになってるのですが、コロナの影響もあったようですね。心理学面ではこちら。
改めて調べてみると、海外では幼い頃からレジリエンスが身に付くような教育を積極的に取り入れているようですね。
↑こちらの記事が比較的新しくわかりやすいのですが、あくまでも参考文献として記載しただけで決して特定の企業を推奨しているわけではないことをご理解下さい。(合間に広告があると紹介しづらいよ~😭 回し者やステマじゃないんだよ~😭 私が研究していた時なんかレジリエンスはネットでも論文くらいしかなかったし、本も取り寄せないとなかったくらいなんだから今さらジ□ーだよー!)
だから最終的にWikipedia頼みに……
言葉としてはまだピンとこなくても、戦後や大きな震災後の復興に向けた日本人の底力は海外の人も感心するほどだとも聞くので、みんな気づいていないだけでレジリエンスを持っているはず! と私は思っています。
【私なりのレジリエンスの考え方】
私も自分では完璧主義すぎるところや一つの失敗で過剰に自分を責め立てるところや、人の顔色を窺って言いたいことも、やりたいことも我慢する性格があまり好きではありません。(逆に言えば我慢強くもある!)
でも父譲りの楽観さ、母譲りのこまめに記録を取り、先手を打って自ら行動するところ、好奇心旺盛で今の身体でも出来ることはないかな?と次から次へとやりたいことを考え、とりあえずチャレンジしてみるところ(見切り発車も多いし、その分、母にはたくさん迷惑をかけてきたけれど)、一人の子がいたら自分から声をかけ、グループ内の会話にあまり参加出来ていない人や遠慮しているような人にそっと話を振ったりするところは、自分では「そうかな~🤔?」と思いながらもよく褒めて頂ける部分でもあります。(そして、転んでもただでは起きないので、母に「あんたゾンビみたいで怖い」って言われたことも😂)
とにかくユーモアだけは忘れずに生きています。人に不快感を与えることが一番つらいので、面白いと言われる方がうれしいんです♪
この辺はヘルパーさんにもよく言われて、大変な病気を抱えているわりにあっけらかんとしているよね、と驚かれます。(病気の症状はしんどいけれど、無理しがちな私を身体が助けようとしているのもなんとなく感じるので憎みきれないんですよね。まあもう少し自由に働かせてくれい! とは思うけれども😡)
だから、レジリエンスという言葉には「常に全力ポジティブであれ!」というのとはまた違い、たとえ失敗しても、一歩進んで二歩下がっても、その後にどうすると自分は立ち直れたのかという経験の積み重ねから、心がポキッとな、しないように回復力を高めていくといったニュアンスを感じていて、そういうところがいいなあ、と今も思っています。(あくまでも私の解釈なのだけども。)
レジリエンスはよく“竹のようにしなやかに乗り越える”と例えられるのだけれど、どれだけ心が折れないように気をつけていても折れちゃうことって、きっと誰にでもあって。
(私の心なんてもうフランケンシュタイン並みにつぎはぎだらけよ! でもそのつぎはぎにはちゃんと意味があるのよ! たぶん。)
でも、私はそれもまたありかなと思うんです。過去や今、つらさや弱みやコンプレックスを否定しないことがレジリエンスの第一歩なんじゃないかなって。そこからどう切り替えていくのかが大事なのかなあ、とも。
自分ではしなやかに生きようとしても、外的要因で折れることもあります。竹だって嵐には負けることもあります。びよよ~んと戻るつもりが曲がったままになっちゃうことだってきっとあるはずです。
そんなときに自分で心に絆創膏🩹を貼るのか、誰かに手当てしてもらうのか、一旦休むのか……
正解があるわけじゃないから、どれも間違いじゃないと思うので、何かあった時に複数の選択肢を持っておくといいかもしれませんね。
そういう風に自分に合った回復方法を経験とともに身につけていくことがレジリエンスにつながるなのかな、と勝手に思っています。
これも例えばだけれど、つらい時に悲しむ暇もないほど動き回る人もいれば、おもいっきり泣く人やしばらく自分の殻に閉じこもる人もいますよね。(私は一日泣いたら、次の日にはわりと切り替えてる方かな? 引きずるというよりフラッシュバックが多い系……)
立ち直るのが早い人もいれば、遅い人も。
遠回りする人も。
それも別に誰かと比べなくてもいいとも思います。人の心は十人十色。なら、立ち直り方も十人十色。
大袈裟かもしれないけれど、いろんな色の人がいるから、この世界は美しくなるんじゃないかな。たぶん! 知らんけど!(という保険も私は好き🤭)
こういう考え方は人それぞれ向き不向きがあるので「自分には合わないな~」と思うことはスルーしてもよし🙋! <自分の心に嘘をつかないのが一番大事だからね!)
私は 疲れている時は無理にポジティブに切り替えようとしなくてもいいと思うし(そこで自分の思いを否定したらよりつらくなるから泣ける時は泣くのもまた心のデトックス!)ネガティブから生まれる、隠れたヒントも私は大切だなと思っています。(実際この言葉に辿り着けたのも、長きに渡り私が何度も挫折した経験があったからこそなので🙈)
ちなみに、ヘッダーは前職が障がい児に携わる仕事だったので、その研修に行く前に下見に行ったら迷子になったけれど、マイナスイオン感じる竹林あるやん! と撮った写真です。
迷子になってもいつも近所のおいちゃんに「迷子か? どこ行きたいんや?」と聞かれるのでありがたいです! (だから、方向音痴は直りません! 直る気もしません!)
せっかく作ったつまみ細工のキーホルダー(友達とお揃いにしたのに😭)を落とし悲しみを癒したくて一人でヌン活した私……意外と最強説??
ていうか客観的に見ても神経図太いやん!!
うん竹林に隠れていた
一休さんより