7分小説 『溢れ返ったペンケース』
たとえば今この世界で笑っている人の中に心から楽しくて笑っている人は、一体どれくらいいるものなんだろう?
愛想笑いしかできなくなった私は、この世界において少数派なのかな?それとも多数派?
ただ一つだけわかるのは、私はそれほど強い人間じゃないってことだ。
「掛橋さーん!」
「ん、どうしたの?」
「次の現文、たぶん私当てられるんだよね。ノート写させてもらってい?」
「……いいよ」
何日分も先の予習をやっておくのも
「掛橋! ハサミ持ってる?」
「あ、うん」
「ついでに糊も貸して!」
「ペンケースに入ってるから勝手にとっていいよ」
筆記用具以外の文房具も持ち歩いているのも
「黒板消すの手伝おうか?」
「ほんと?」
「残りの上の方は私やっとくから」
「わあ、助かるー」
背が高いのを活かした雑務をこなすのも……
最初は心配性で、自分に対して自信が持てないのを、少しでも克服するために始めたことだった。
なのに、いつからだろう。
誰に見せても恥ずかしくないように綺麗な字を書いて、誰に貸してと頼まれても困らないように複数の文房具を常備して、自分から進んで面倒ごとを引き受けるようになって……
自分のためにがんばってたことがいつしか、他人のためにがんばることに変わっていってしまった。
それでも
「掛橋さんノートありがとう」
「ハサミと糊もサンキュー!」
「いつも黒板消すの手伝ってくれてありがとー!」
きちんとお礼を言ってもらえるから私はこれでいいんだって
「ううん、全然いいよ。私がやりたくてやってることだから。気にしないで!」
そこに嘘はないはずだった。
自分の席に戻って、机の中から次の授業の教科書を取り出していて抱いた違和感……
あれ? 私、ペンケースどこに置いたんだろう? さっきノートを取りに来た時には確かに机の上にあったはずなのに……
机から落ちたのかと周辺を探してみるもののどこにもない。
無意識のうちに鞄の中に戻したのかな……
机の横に引っ掛けてある鞄を膝に置き、チャックを開けて隅々まで探す。
………ない。
どこ? どこにいったの?
刻々と迫り来る始業時間に焦りと不安が押し寄せる。慌てれば慌てるほど、全身に冷や汗が流れ出て、冷静さを失っていく。
結局、私のペンケースが見つかるより先に授業開始のチャイムが鳴り響いた。
一時間くらい筆記用具なんてなくても大丈夫だよね?ちゃんと予習してるノートはあるし……書けなかったところは、後から誰かに見せてもらえばいいんだし……
そう頭では思っても、いつもきちんとノートをとっている私には自分の手にシャーペンが握られていないことがひどく落ち着かない。
……どうしよう。
誰かに貸してもらおうか?
ちらり、と右隣の席の男の子を見やる。最近転校してきた守谷くん。独特の雰囲気があって、まだ一度も話しかけたことはなかった。
でも窓際の一番後ろにいる私の隣は守谷くんただひとり。
ただでさえ、自分から男の子に話しかけるのが苦手だというに。こうやって授業中に話しかけて筆記具を借りることができないから、絶対に忘れ物をしないよう今までずっと注意してきたのに……
「もしかして、これ?」
私の視線に気付いたのか、守谷くんの方から話しかけられた。その手にあるのは私のペンケース。
「……な、なんで?」
なんで守谷くんが私のペンケースを持ってるの? 驚いて口が思うように動かない。
そんな私を嘲笑うかのように守谷くんは、私のペンケースを手の上で跳ねさせる。そして平然と言ってのけた。
「だって勝手にとっていいんじゃねぇの?」
「え……?」
どういうこと?
「さっき言ってたじゃん、他の男子に。勝手に借りていいよって。だから借りた。今日、俺シャーペン忘れたから」
だからって私のペンケースごと奪わなくても……
「返してよ……」
いくらなんでも今日一日、筆記用具なしじゃ困る。
「なんで?」
……なんでって。
「それ私のものだもん」
「でもおまえのもんはクラスみんなのもんなんだろ?」
「……」
守谷くんのその言葉になぜだか私は何も言い返せなくなってしまった。
「なんで黙んの? 言い返してこねぇの?図星だから?」
黙り込んだ私に守谷くんは追い討ちをかけてくる。
自分でもどうして何も言えないのかわからなかった。考えても考えても、返す言葉が思い浮かばない。
「掛橋がいいやつなのは見てたらわかるけど。でも自分を押さえ込んでまで優しいのは本当の優しさとは……俺は思えない」
守谷くんはいつから私のことを見てくれていたんだろう。すべてを見透かすような鋭い眼光が私に注がれる。そこに混じった苛立ちのようなものに少し怯むも私は勇気を出して口を開く。
「……自分を押さえ込んでるつもりはないよ。私が、私がやりたくてやってるの」
提出したノートを勝手に奪って写されるくらいなら。鞄の中を漁って私物を持っていかれるくらいなら。背が高いからってだけで邪魔者扱いされるくらいなら……
自ら進んで“利用される立場”になった方が、まだまし。新参者の守谷くんには、そんな私がクラスメイト全員のパシりのように見えるかもしれない。だけど、望まないまま利用され続けるよりも、少なくともみんなに感謝はしてもらえる。だから、私は……
「なら、なんで誰かに頼られる度に泣きそうな顔してんの?」
「……!」
守谷くんの指摘に、自分でもずっと誤魔化し続けていた何かが疼く。
「頼みごとされる度に、へったくそな顔して笑ってさ。そんな顔すんなら、最初から引き受けんなよ。見てて腹立つんだよ」
……なんでそんなこと言うの?
へたくそでも笑ってなきゃ、困った顔なんか見せたら、今の私のポジションなんてあっけなく崩れ去ってしまう……
無理にみんなに好かれなくたって構わない。ただ私が存在していてもいいっていう居場所さえあれば………それでいい。
だけど、それじゃあ、だめ、なの?
「……どうすればいいって言うの?」
声が震えるのを必死で抑えながら言い返す。
自分に自信がなくて心配性で人見知りが激しくて、だからこそ自分と同じようなことで困っている人がいると放っておけなくて……
なのに手を差し伸べたらお節介だと言われ、そっと見守ってたら冷たい人だと揶揄されて……どうすればいいのか、考えて考えてやっと見つけた方法が求められた時だけ応じることだった。
だけど、そんな私の生き方は間違っていたのかな?
「無理に笑うな。少なくとも俺の前では」「………でも、」
「でも、じゃねぇ。俺は、生身の掛橋が見たいんだよ」
「………」
「自分の本当の気持ちにまで蓋すんな」
なんて返したらいいかわからなくて、滲みかけた目で自分の机を見つめていたら、そこにポンと何かが置かれた。
「それ、今の掛橋と一緒。物詰めすぎ。壊れる前に減らせよ」
口の開いたペンケースからはごちゃごちゃになった筆記用具が溢れ出ていた。
「ごめん、ウソ……返す前に閉じようとしたけど、閉まらなくなった。てか、どうやったらそんだけの物が収まるわけ?」
ちょっとだけ申し訳なさそうに眉を下げる守谷くんがなんだかおかしくて。
「んーん、いいよ。これからはもう少し中身減らすことにする」
「ふーん、いんじゃね?」
だから
「守谷くんも手伝ってよ」
「はあ? なんで俺が」
「だって私の心のチャックを開いたのは守谷くんじゃん」
「まあそうなのかもしんねぇけど……手伝うって何を?」
「入らなくなった文具類は守谷くんが引き受けてよ」
ハサミや糊、カラーペンといった文房具類を守谷くんの机にドサリと置く。
「まじかよ……こんなことなら心配しなきゃよかった……」
めんどくさそうな口振りながらも
「俺、もう今日から文房具屋じゃん」
呆れながらも笑う彼を見て、こんな風に少しずつ自分の心の負担も誰かに預けてみてもいいんだ、と気づくと同時に、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
(20141028 改編)
すんごい古い作品ですね。我ながらびっくりです……みなさん気候や自然災害、それによるストレスや体調は大丈夫でしょうか?
そういう私も人のこと心配できるレベルじゃないんですが😭🚑️💉なぜだか私以外にも発熱や突発的な病気に見舞われる方がたくさんいたので、みなさんも心身ともにお気をつけください🙇お盆は開いてる病院が少ない😱
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