330kmのウルトラレース「身体に厳しい挑戦を与えるほど、普段の生活が何倍も楽になる。」
「走れる大人を増やす」を掲げ、ランニングイベントを主催する仲野整體東京青山院長・姿勢治療家®️仲野孝明先生。正しい姿勢の可能性を追求するその挑戦と、走ることがもたらす喜びについて伺いました。
仲野先生がマラソンに挑戦しようと思ったのは、どのようなきっかけだったのでしょうか?
私がマラソンに挑戦しようと思ったのは、「正しい姿勢があれば、何でもできる」ということを自分自身の身体を通して証明したかったからです。
私は、三重県四日市市の創業大正15年の仲野整體を生業とする家に生まれ、四代目としてその歴史を受け継いできました。大正時代や昭和初期は、農業や漁業などといった第一次産業に従事する人々が多く、身体を酷使した結果、来院されるケースが多かったと聞いています。
時代が変わるにつれ、現代では第三次産業に従事する人が増えています。長時間のデスクワークやスマートフォン、タブレットの使用が普及する中で、脳が疲労しながらも身体を動かさない生活が、痛みや不調を訴える原因となっています。
2000年、仲野整體本院(四日市)で父のもと臨床修行を始めました。当時の私の役割は、治療後に患者さんへ「なぜ痛みや不調が生じたのか」を丁寧に説明し、同じ症状を繰り返さないためのアドバイスを行うことでした。
そんなある日、いつものように治療後年輩の男性に「あなたの痛みの原因は座り方が悪いことです」という説明をしながら正しい座り方をお伝えしている最中
「座り方が悪かったせいで、何十年も痛みに苦しみ、人生を無駄にしてきたなんて……。もっと早く座り方を知っていれば、この20年、30年は変わっていたはずだ。」その言葉を涙ながらに語る患者さんの姿が、今でも忘れられません。
「同じ思いをする人を一人でも減らしたい。」そのために、正しい姿勢の大切さを伝え、痛みや不調と戦う無駄な時間をなくしてほしいという想いが、私の仕事の根幹にあります。
仲野先生が東京で開業を決意された背景には、どのような思いがあったのでしょうか?
「より多くの人に、正しい姿勢と身体の使い方を伝えるにはどうすればいいのか?」と模索していた時、経営コンサルタントの大前研一さんの書籍で「起業」という考え方に出会いました。従来のやり方では届かない人々にメッセージを届けるためには、新たな挑戦が必要だと感じたのです。
起業や経営について全く知識がなかった私は、まず基礎を学ぶために大前研一さんのビジネススクールの説明会に参加しました。当初は名古屋で通信講座を受ける予定でしたが、「名古屋から新幹線で東京まで勉強に通っている人もいる」と聞き、月に2回東京で直接学ぶことを決意しました。
木曜日は昼まで臨床を行い、夜は東京で経営の勉強をする生活が始まりました。スクールでは異業種で成功している先輩や、新たなビジネスに挑戦する仲間と出会い、多くの刺激を受けました。その中で、「仲野君がやりたいことは、東京の方が情報発信しやすいのでは?」とアドバイスを受けました。「東京でやってみたい」と返答すると、「それはいつ実現する?」と背中を押され、開業計画が具体的に動き始めました。
当時、ワタミの渡邉美樹さんやGMOの熊谷正寿さんが提唱していた「夢に日付を入れる」という言葉に感銘を受け、具体的な日程を設定して事業計画をスタートしました。「姿勢の大切さを、より多くの人々に伝えたい」と四日市本院の患者さんや友人たちに話すと、思いがけないほどスムーズに融資や開業場所が決まりました。
順調に思えた東京での開業ですが、実際にはどのような課題があったのでしょうか?
2008年8月8日8時8分 縁起の良いこの日に「仲野整體東京青山」をオープンしました。
しかし、期待に胸を膨らませていた私を待っていたのは、誰も訪れない静かな治療院でした。
「開院すれば患者さんが自然と集まるものだ。」私はそう信じていました。しかし、代々続く四日市本院での「当たり前」は、東京では通用しない現実を思い知らされることになったのです。
後になって、父の友人である東京の先生たちが「競合が激しい青山で開業して、半年もつだろうか」と心配していたことを知りました。
集客のノウハウが全くない私は、何をすればいいのか途方に暮れていました。そこで原点に立ち返り、「姿勢の大切さを人々に伝える」という開業当初の目的に全力を注ぐことに決めたのです。
毎日、患者さんに「姿勢の大切さ」をより伝えやすくするために資料を改良しました。
また、ビジネススクールで出会った方々の会社で社員向けの健康セミナーを行う機会をいただきました。その結果、少しずつ口コミが広がり、来院する患者さんも増えていきました。
そんな中、「姿勢の大切さを伝えることが目的なら、自分自身で姿勢を使った実験をしてみたらどうだろう」とアドバイスをいただきました。
「姿勢が良ければ何ができるのか?」その答えの一つがマラソンでした。私は「正しい姿勢であれば、故障することなくマラソンを完走できる」という仮説を、自分の身体で証明することにしたのです。
姿勢の良さがスポーツの基本であることは理解していました。しかし、ひとつ問題がありました。マラソンへのエントリーから大会当日まで、わずか3ヶ月しかなかったのです。
元々体育苦手、学生・社会人時代もほぼ運動していなかったので、さすがにレースまでの時間が短すぎて、後にも先にも初マラソンが一番きつかったです。
普段運動をしていない人は、どのような部分が特に弱くなりやすいのでしょうか?
マラソンの本質は、長時間動き続けることです。スタートからゴールまで、例えば6時間のレースなら、その間立ってずっと動き続ける力が求められます。しかし、それができる人は意外と少ないのが現実です。ディズニーランドで、皆が途中で疲れて座り込む姿を思い浮かべてください。その「座る」をせずに最後まで動き続けるのが、マラソンの難しさです。
昔の飛脚は、江戸から京都まで走り続けたと言われています。また、米俵を担いでも腰を痛めなかった普通の人々の話も残っています。これらは、彼らが小さい頃から走る習慣を持ち、成長するにつれて運べる荷物の量や走る距離を徐々に増やしていった結果です。こうした積み重ねが、飛脚の驚異的な体力を可能にしていたのです。
アフリカや東南アジアでは、頭の上に瓶や壺をのせて水を運ぶ習慣があります。彼らは10代の頃から少しずつこの作業を繰り返し、成長とともに徐々に大きな瓶を運べるようになっていきます。日常生活の中で、まるで筋トレのような負荷がかかる動作を続けているため、自然に高い身体能力が養われているのです。
現代人の身体は、昔に比べてなまってしまっているのでしょうか?
運動を全くしていない人は、38歳前後から身体が急激に衰え始めます。今の時代、ゴルフを月に1回プレーするだけでも、1万〜2万歩を歩くことになり、それだけで十分健康的と言えるほどです。しかし、それすらできない人が多く、完全に運動不足の状態に陥っているのが現実です。
私の臨床経験では、38歳は「頻繁に通院しなくても改善が可能な最後の年齢」と感じています。それを超えると、これまでの生活習慣や身体の使い方によって、状態に大きな差が生まれます。中には改善に多くの時間が必要なケースも少なくありません。
身体を動かし続けることで、本来のパフォーマンスを取り戻すことは可能です。しかし現代人は、日中に立っている時間が驚くほど少なくなっています。本来、人間は立ち歩くことを前提に進化してきた動物です。立つ時間を意識的に増やさない限り、身体は衰える一方です。
「健康のために運動を始めても、続けるのは難しい」と感じる方は多いのではないでしょうか。運動を続けるためには、明確な目的が必要なのでしょうか?
私が伝えたいのは、「最期まで自分の足で歩き続ける」ことの大切さです。走れる身体を保っていれば、寝たきりや介護が必要になる可能性は大きく減ります。
寿命には2種類あります。「平均寿命」は0歳時点での平均的な余命を示し、「健康寿命」は、健康上の問題で日常生活が制限されることなく過ごせる期間を指します。
男性の健康寿命は平均72歳とされており、多くの方が想像するよりも早い年齢です。平均寿命が80歳だとすると、人生の最後の8年間を杖に頼る生活で過ごす可能性が高いのです。
「8年間も杖が必要な生活を避けたい」と思うのであれば、今すぐ身体を動かし始めることが重要です。
足腰の衰えは体調の悪化を引き起こし、さらには精神面にも影響を及ぼします。食生活や睡眠の質など、さまざまな要因もありますが、運動量が大幅に減少しているというデータは明白です。本来、人間は動くことを前提にした動物です。その動きを怠ることが、身体と心の弱さにつながっているのです。
身体を動かすことには、ほかにどのようなメリットがあるのでしょうか?
身体が動くことで、社会とのつながりを保つことができます。たとえば、サラリーマンがリタイアした後、もし身体が動かなければ会社との関係は途切れてしまうでしょう。しかし、健康で体力があれば、「手伝ってほしい」と声をかけてもらい、社会と関わり続けることができます。
正社員ほどの収入は得られないかもしれませんが、お小遣い程度の収入を得られる可能性もあります。体力があれば新しい役割も生まれ、社会とのつながりを持ちながら楽しく充実した生活を送れるのではないでしょうか。
自分の足で歩けることが大事なのですね。
自分の足で歩けることの大切さを改めて感じます。足腰を使って自由に行きたい場所へ行けるというのは、今だからこそ味わえる贅沢なのです。年齢を重ねると、どうしても行動範囲が制限されてしまいます。だからこそ、若いうちに身体を動かし、自由に楽しめる時間を少しでも長く持つことが重要だと思います。
富士山に登る、お遍路を歩く、ステージレースで外国を走る―これらは身体的には厳しい挑戦ですが、同時に最高の贅沢でもあります。長い距離を走るのは大変ですが、その努力があるからこそ、レース以外の日常生活が驚くほど楽になるのです。
身体が辛いと感じたり、頭痛に悩まされることはほとんどありません。冬でも薄手のダウン一枚で十分過ごせますし、何枚も着込む必要はありません。また、真夏の屋外でも、温度変化に慣れているおかげで、熱中症の心配も少なくなりました。
運動を続けるためのモチベーションは、どのように生まれるのでしょうか?
運動を苦痛として感じないためには、「楽しい」「快適」「気持ちが楽」といったポジティブな感覚につなげる工夫が必要です。たとえば、走ることには辛さが伴いますが、その先にある「おいしいビール」や「ごちそう」といった楽しみを目標にすることで、前向きに取り組むことができます。
日本中を走る友人は、「走った後に飲む一杯の水が、最高の瞬間だ」とよく話します。
富士山を24時間かけて、4つの登山口から登頂する「富士山一筆書き」に挑戦した話をすると、驚かれることが多いです。世界最高峰のレースであるUTMBやトルデジアン330よりも、想像しやすいからか称賛されます。
複数日にわたる極地のステージレースは、どんな人でもヒーローになれる可能性があるからこそ、特別な魅力があります。周囲から「すごいね」と驚かれることも大きな喜びや面白さであり、それが私にとっても姿勢の実験だけでなく、走り続けるモチベーションの一つになっています。
振り返ると、私の思い出の中心は常にレースになってます。笑
レースはその年を象徴するビッグイベントであり、「この年はこのレースに出場した」と記憶に刻まれるのです。
今後、どのようなことに挑戦したいと考えていますか?
今後は、どちらかというと「やりたい」と思う人たちを応援する立場に回りたいと考えています。現在、妻や多くの患者さんが走り始めており、その次のステップに進めるようサポートしたいと思っています。これからは、なるべく人を支える側としての役割を果たしたいと考えています。
自分自身のステージレースへの挑戦は、必要な準備を整えながらも、これからはほどほどに抑えていくつもりです。
「走りたい」と思う人がその夢を実現できるように、そして日常生活を痛みなく過ごせるようにするために、正しい姿勢と身体の使い方を伝える活動に力を注いでいます。「姿勢治療家Ⓡの暮らしの解剖学」や「疲れない姿勢講座」、書籍やPODCASTラジオを通じて、姿勢の大切さを広める啓蒙活動を続けています。これは、開業当初から掲げてきた目的であり、これからも地道に情報を発信していくつもりです。
お金があっても体力がなければ、できることには限界があります。一泊10万円の高級ホテルに泊まるのも贅沢ですが、テントを背負い自分の足で山を登り、満天の星の下で草の上に寝ることも、また別の形の贅沢ではないでしょうか。
姿勢を正し、身体を動かすことで、年齢を重ねても自分の足で行きたい場所に行ける力を保ち続けたいものです。
姿勢が変わると、人生が変わる。