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【学び共有】変わり者がマネージャーとなる過程で見えるもの
※2024.4.8 文章修正/5.9 タイトル改題
1.はじめに
どうもこんにちは。”フカンして・みると”です。
この4月1日で多くの組織で新年度となりましたね(暦年ベースのところは除いて)
新任マネージャーの方あるいはそのサポートをする方などいろいろと体制が変わり、気分一新とともに新しい顔ぶれで手探りの季節でもあります。
そこで今回は自分の経験を下敷きに、マネージャー職に際して少し変わった角度から記事を書いてみます。
そうですかふーん、と斜め読みくらいがたぶんちょうど良い加減。
その筆者である私のタイプですけども。こんな感じで衆目一致します。
『言っていることは筋が通っていて、説明されたりやって見せてくれれば
大体納得で目からウロコも多いけど、一見ではまず意図が読めない』
『優秀だし実績あるし、悪い人じゃないけど、どこか変わっている』
『自分自身の利益や評価にほとんど興味を示さない
そこが最初まったく理解できない
分かってくると、こんな人間いるのか、と戸惑う』
『慣れとコツが必要
逆に、いったん慣れて上手くつきあえば、得られる成果は案外大きい』
どこでも大体同じイメージ。
ただちょっとイメージ修正すると、別に利益や評価に興味がないわけではないんですよ。霞食ってる仙人じゃないし。
少し希薄かもしれないけど、当然あるにはある。
単にパブリックな仕事上は、さほど求めないスタンスというだけ。
典型的なやりがい搾取される側かもですが、あくまで個人のスタンスなので、だからといって、それを他人には求めようとは到底思わない。
それぞれの考え方、スタンスで基本的によいと思います。
むろんコンプラ違反はイカン。遺憾です。
そんなわけで、経歴としては、パブリック業界が長く、管理部門バックオフィス系のエキスパートとして総括的立場を歴任。
マネジャー歴もそれなりの経験年数を重ねました。
自己紹介がてら、経歴と当時の心境など。そして学び得た悲喜こもごもを交えて述べていきます。
2.自己紹介の経歴と当時の心境そして学び
(1)地方の新採用
時代背景は氷河期。学生採用率まさしく底の底、どん底の頃。
新規採用といっても就職浪人を経ての中途採用枠だったが、そこから仕事生活がスタートした。
パブリック業界の地方採用で、学生時代の学びとまったく無縁な管理部門に配属。
管理部門のバックオフィス業務、典型的な事務職です。
その仕事にありながら、周囲から研究職のほうが明らかに適性があると新人時代から言われ続けるタイプ。
組織内で変わり者ポジションとして下積みを過ごす。
それって暗に向いていないってことですよね?とはさすがに言えない。
いや、思い出した。そういや面と向かって「向いてない」て言われたわ。
時代ですね?
しかし変わり者でも地味?なはずなのに自然に目立つ(率直に言えば、浮くと言う)のか?
なんとなく、3年も経たないうちに本社勤務へ。アレ?
〔ここでの学び〕
地方で浮いている⇒本社へ推薦 というメカニズム。たぶん今でもある
それを活かせるか否かはその後の過ごし方次第かも!
なお、保証はない!!残酷な自己責任の世界は続いている
(2)本社ショックで作り変えられる
第二の新人時代とも言える本社業務の洗礼で、まったく異なる仕事観にカルチャーショックを受ける。
先輩から「そんなことも知らないのか役立たず」
本社あがりの同世代から聞こえよがしに「使えないやつ」呼ばわり
などと、陰口というか明らかに隠れていない通過儀礼の日々。
そして本社管理部門の中枢にいながら、そこでも研究職のほうが明らかに適性があると、周囲にやはり言われる(あとは政〇家になれば?とか)
それって暗に向いていないってことですよね?とはやはり言えない。
いや、思い出した。そういや面と向かって「向いてない」て言われたわ。
時代ですね?ってリフレインか!ここでも同じだった。
こうして環境強制的に、自らの促成栽培の必要性を痛感させられる。
生き残りをかけてワーカホリックに変貌する。
ボーとした第二新人から、むしろ周囲から常に過労死を懸念されるブラックに染まった(ように映る)中堅へとランクアップ?した年月を過ごす。
その分、人間生活レベルはむしろ著しくレベルダウンした気もするが。
これも時代か?
〔ここでの学び〕
旧式の組織帰属の洗礼。ふるいにかけるメソッドです
人海戦術がまかり通っていた時代の名残り。まさに氷河期の洗礼連打です
こうして生き残った人間は、生存者バイアスに染まりきっている傾向が強くなりがち
こうして【旧式のふるいを生き延びた+氷河期を生き残った】
このプロセスを経た人間が、勝ち組思考?というよりか、むしろ。。
生存して手に入れたポジションへの執着が強くなるのも、むべなるかな
次の(3)にその自他の主観差が顕著に現れます
(3)自他の主観の違いの典型例(残酷な現実?)
そんな感じで実績を積み上げていくが、部門内で普段はさんざん個人批判され、いいところなしの扱いはさして変わらず?
いやいや、なんか違う。
その叩く理由はいつの間にやら、すっかり反転。
「〇〇(私の姓)は何でも知っているし自分は出来るからいいよね」
「出来ない人の気持ちが分からない」
「冷酷」等々
あれ?なんだか話が違うじゃないか、コレ?
気づけば、いつの間にやら、自分を「役立たず」と呼んだ先輩たちがこのように批判するようになっていた。
たった2年か3年前に、右も左も分からない第二新人相手に言った内容や態度を当人たちはまるで覚えておらず、被害者・弱者ポジションをアピールするセリフを恥ずかしげもなく平然と口にしている。
当の相手に向かって。
いったいなんの冗談だ、これは?
理不尽。
なのだが、一方で。
たった3年でここまで来たか。頑張ったな自分(自画自賛) ←当時の心境
その頃には、当人(私)は自分が他者より出来ようが出来なかろうが、さしてどうでもよい心境。言語化するとこんな感じ。
①昨日の自分より今日の自分、今日よりも明日の自分
自分自身との比較、成長の葛藤がメインになっていた。
②仕事での組織への貢献をとおして、
社会への貢献につながることに価値の重きを置いていた。
なにしろパブリックセクターなので。
これを成長と呼ぶのか。環境適応の自己暗示と呼ぶのか。
たぶん両方正しい分析ですね。
〔ここでの学び〕
自分で思っているほどには「他人はあなたに興味ない」
イジメていた側が被害者ヅラなどごく当たり前に起こるのが現実社会
他者を物差しにすることは必要だけれど
他者基準”しかない”のは、いつでもハシゴは外されうるので
自分なりの自分基準”も”ちゃんと構築しておいたほうがよいと思う次第
(4)取りまとめ役≒常に批判の的の役回り
そうこうするうち、早い段階で取りまとめ担当を担うことが多くなった。
誰かがやる必要はあるのだが、全員丸く収まることはそうはない。
メインポジションでもあるが、どうしても最終調整ポジション的に批判の的にされやすい。
そのうえ上記のようにさんざん人格批判的に攻撃されるのだが、その一方で、仕事をとおして実績を重ねるにつれ、取引先や別部門からの評価と何より信用は、着実に高まってくる。
その方々からすれば、納得できるやり取りを経て、かつ成果を出してくれればそれ以上望むものはないのだ。本来は。
要するに評価者のタイプ、というか率直に言って「立場」によって、賛否が割れるということだ。身もふたもなく。
実際そう耳にすることも多かった。←まあそうだろうなと納得
こうして、いざとなると管理部門が手放さずに囲い込まれ続けるという、いったい誰得?な人事プレイが続く。
そんな万年マイノリティ扱いなのにメインポジションやらされるという、謎な立ち位置にある自分でもチームリーダーを歴任することになっていく。
〔ここでの学び〕
文中にもあるが、「立場」によって、賛否が割れるということだ
身もふたもなく
同じく文中にもあるが、納得できるやり取りを経て、かつ成果を出してくれればそれ以上望むものはないのだ
それは個人つまり自分自身に向けられる言葉だし、本来は、組織環境つまり人事や評価する者やシステム運用方針に対して向けられる言葉だろう
結局はそれをどう捉えるのか?の問いになる
(5)育成や覚醒/得意と不得意
変わり者評価が定着している自分がチームリーダーとして、どうなのか?
あくまでも主観的なフィルターがかかっているが、自分なりに俯瞰を試みると、後輩や部下の育成支援においても、特徴はあらわれる。
優秀だが伸び悩んでいるタイプが殻を破って大きく伸びるとか、
やる気はあるが報われないタイプをうまくリードするとか、
力はあるけどやる気を失ったタイプを立て直すとか、
このような人材の覚醒を促すマネジメントは、おそらく他者にはない強みだ。どこか尖っていたり、屈託している自分と共通項があるからだと思う。
ただし、マネジメント能力に特別に優れているわけではない。
周りが匙を投げたような、なかなか難度が高いマネジメント環境も多く、かつ自分自身がクセツヨなので上手くいったり、いかなかったりである。
そういったいわば面倒くさいとされるタイプの扱いに
「(自分自身がそうだからなのか)扱いに多少慣れている」だけだ。
でも、パブリックセクター特に管理部門では、そういうタイプは少ない。というか割とレアキャラだ。
また、昨今の組織的なテーマ、大人の発達障害あるいはうつ病などの精神障害の人材を含めたマネジメントは長けているまでは決して言えないものの。向き合い方は独特かもしれない。
これは私自身もマイノリティ(。。。と区別するのも本来不要な気がするが)意識があるからと言うか、そういった扱いを受け続けてきた共通項があるためだろうか。
共感とまで言えるか分からないが。形から入るというよりか自然にフラットなスタンスになっている(のつもりだが)
他方で上記以外の人(いわゆるマジョリティ。。。と区別するのも本来不要な気がするが)は、不満を抱くことも出てくるのも現実起こる。
普段その自認を意識していないかも知れないが、ちょっとした拍子に「みんな」「普通」「前から」を多用する傾向がある。
そして不当な扱いを受けたと確かに”感じたり”するのだ。
まあ、条件設定でメジャー/マイナーの関係も入れ替わりうるものでもあるが。その条件下における主観も事実存在するわけで。
むしろだからこそ、メジャーに身を置くことに相当のエネルギーをそそぎ、マイナーな扱いに免疫がなく過剰におそれたりするのかも?
あまたの切り口、捉える角度はあるだろうが、マジョリティ(意識・無意識とわず)マイノリティ(多くは意識的だが)の間のジレンマとどう向き合うかは、マネジメントの命題だろう。
構成員にとっての”ちょうどよい感じ”、常に揺らぎ続けるソレを模索し続けるということ自体が。
〔ここでの学び〕
マネジメント。。。もちろん試行錯誤も多い
そもそも玉虫色グラデーションの世界を便宜上、白黒グレーに色分けし、または記号化するのにはナーバスな側面がある
だが、完全オーダーメイドの世界観というわけにもいかない
それではマネジメントの放棄だ
なにか属性あるほうが、互いに帰属し安心する面があるのは確かだろう
ちょうどよいとはなんだろうか?
ちょうどよいマネジメントとは?
かくして不断の学びは必要となる。
(6)変わり者のマネージャーの顛末
なんだかんだの結果。
何の因果か総括的なチームリーダーのポジション数年を経たのち、マネージャー業務で本社から出向。
地方採用者の出世コースにのる。
だが肝心の当人つまり私だが、周囲の評価(上司の親心?)いざ知らず、どれだけ煽られ脅され。アメとムチ作戦をくらっても。
出世競争ゲームに、一向に興味を示さないまま。
(にも関わらず、支社トップの補佐役参謀役を務めあげたとか、あげてないとか。。。)
東京勤務を希望せずにむしろ避け、その後も出向先からの本社招へいを固辞し続ける。
その結果、複数の土地土地でマネージャー業務を10年くらい務めることとなる。
・・・諸般の事情のため端折り気味ですが。
字数もちょうど5,000超えそうだし(メタ目線)
その顛末とは!次回に続く。。。。かどうかは、”未・定”
未完で終わるのかもしれません。
3.今回のまとめ
今回は以上となります。
私自身の経歴と当時の心境、それぞれの時代からの学びです。
そして私個人属性からの何か。
パッと見ありふれていそうでいながら、知れば極めてユニークと評される。同時に経験・実績に裏打ちされている。
たぶんその背反した印象で他に似た人間はいないレアキャラと言われる。
そんな変わり者、万年マイノリティ扱いされてきた者の目線から、実体験から、マネージャー適性などもろもろに触れて書いてみた。
その主観的なフィルターをとおしながら、俯瞰を試みた。
そういった者から見える景色を紹介してみた記事でした。
読んだ方はどのような感想をお持ちになったでしょうか?
なにかの即戦力的な役に立つことはなさそうな気もします。
でももしかしたら、ああそういう見方もあったかな?と、いつかどこかでフトとした時に引っかかるかもしれないかな、と。
そういった記事になっていれば、提供した筆者”フカンして・みると”冥利につきるのかもしれません。
(了)
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