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数値の向上が目的になると

【スーパーティーチャーの任務】


 以前のnoteの記事でスーパーティーチャー制度の話をつぶやいた。教育委員会が学力向上の名のもとに、マチの議会の言うなりになり、教育委員会がめざす授業スタイルを押し付けるために各学校に教師を送り込むしくみのことだ。

 スーパーティーチャーは、各学校から選ばれた教師で、教育委員会がめざす授業を積極的に推進・実践している教師である。彼らは、教師としての力量、とりわけ授業力がすばらしいとして、各学校の校長から推薦を受け意気に感じて活動している。

 がしかし、である。スーパーティーチャー自身は、今自分たちが取り組んでいる授業づくりの方向性が本当に正しいのかどうか、子どもたちの成長に資するものなのかに疑問を感じたり異論を唱えたりすることはない。教育委員会の考え方を現場におろすこと、浸透させることを教育委員会から任されている立場だからだ。

 スーパーティーチャーは、担任の授業を見て、教育委員会がめざす授業に近づけるようアドバイスしたり、担任の授業づくりの相談に乗ったりすることをおもな任務としている。アドバイスの中身は、「板書はどうだ」「課題はどうだ」「子どものノートはどうだ」というように担任の”授業技術”に指導を入れるのが中心である。

 以前のnoteでつぶやいた通り、わがマチの教育委員会は、どの学校でも教育委員会の理想とする授業が展開されることが学力向上(学力テストの数値向上)につながると考えている。その結果、どこを切っても同じようないわゆる”金太郎飴授業”が生まれていく。教育委員会は言う。「こういう授業がどの学校でも取り組まれると、学力は向上する。それが授業改善だ。」と。

 ただ、必ずしもそうではない場合も起こってくる。こうした取り組みを続けても、教育委員会が願うような”学力向上”に結びつかないこともある。学力の向上を学力調査の数値の向上をもって説明しようとすると、担任の授業に熱心に指導を入れても結果(数値の向上)となって表れないこともあるのだ。

【結局はドリル?これが授業改善?】


 そうなるとひどいものである。スーパーティーチャーは奥の手を使いだす。学力調査の実施時期が近づくと、学校で印刷されるプリントの枚数が格段に増える。各学級担任に、これでもかこれでもかと過去問(過去に学力調査で出題された問題)のプリントを印刷して配布し、子どもたちに取り組ませる。"どの学級でも"「過去問に取り組め」と担任にプレッシャーをかける。学力調査の本番で”点数を向上”させるために、子どもたちを徹底的に“練習問題漬け”にするのである。

 これでは、スーパーティーチャーの本来の任務ではなくなる。日常の授業改善ではなく、結局は学力調査の数値を上げるために、ドリルをやらせればよいということになりはしないか。たくさん問題練習をさせて仮に学力調査の数値が多少向上したとして、その結果をもって、「この学校は学力が向上しました」と議会に説明するのだろうか。数値至上主義の議会の方々は、学校でどんな指導がなされたかはわからないから、数値だけを見て「学力が向上しましたね」と評価するのだろう。

 こんなことをするために市民の税金を使って膨大な教育予算を付けるのか。これでは授業改善でも何でもないと思ってしまう。
 各学校の教師は、子ども一人一人が意欲をもって学ぶ姿がたくさん見られるように熱心に授業改善に取り組んでいる。学力調査の数値の向上のために教育行政がすすめられてはいけない。

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