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自分が死んだあとのことを考えるようになった


2025年1月19日(日)朝の6:00になりました。

共通テスト2日目、いってらっしゃい受験生。

どうも、高倉大希です。




自分が死んだあとのことなんて、知ったこっちゃない。

かつては、そう思っていました。


世の中がどうなろうとも、自分には関係ないからです。

この考え方が変わったのは、社会人になってからのことでした。


自分ひとりでできることなんて、たかが知れている。

働く中でそんな事実を、思い知ったというわけです。


私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずに死んでしまいたくはない。

内村鑑三(1946)「後世の最大遺物 デンマルク国の話」岩波書店


何よりもいまの自分が、たくさんのものを与えてもらってここに存在しています。

言い換えるなら、先人たちの襷を受け取っていまを生きているわけです。


次の世代にいかに襷をわたすかを、考えるのはもはや必然です。

先輩に奢ってもらった経験は、後輩に還元してなんぼです。


もらうだけもらってパタリと死ぬのは、さすがに無責任な気がします。

受け取った襷は、次の世代にわたさなければなりません。


現在や過去、未来の仲間と一緒なら、なんだってできる。私たちは地上では欠けた弧。蒼穹の大きな螺旋に連なる一変の小さな弧。たとえ一部にしかなれずとも、後に続く者がいつかそれを完成してくれる。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


アニメ化で話題になっている魚豊先生の『チ。』も、まさにこういうお話です。

どこまでいっても「継承」は、人類のひとつのテーマなのだろうなと思います。


自分にしかできないことなんて、体調と共に停止して寿命と共に失われます。

だからこそ、自分が死んだあとを生きる人への継承を考えなければなりません。


ただその前に、継承に値する価値のあるものを発見しておく必要があります。

生きているうちにできることなんて、きっとこれくらいです。


文字を読む時だけはかつていた偉人達が私に向かって口を開いてくれる。その一瞬、この世界から抜け出せる。文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。そんなの...まるで、奇跡じゃないですか。

魚豊(2021)『チ。第3集』小学館


そんなことを言いながら、やることはおそらく変わりません。

限られた人生を、ただただ全うするのみです。


意識の高いくそ真面目な生活を送ろう、という話ではありません。

自分の小ささを嘆こう、という話でもありません。


ひとりで全部をやろうとするな、という話です。

時を超えても仲間はいるぞ、という話です。






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高倉大希
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