自分が死んだあとのことを考えるようになった
2025年1月19日(日)朝の6:00になりました。
共通テスト2日目、いってらっしゃい受験生。
どうも、高倉大希です。
自分が死んだあとのことなんて、知ったこっちゃない。
かつては、そう思っていました。
世の中がどうなろうとも、自分には関係ないからです。
この考え方が変わったのは、社会人になってからのことでした。
自分ひとりでできることなんて、たかが知れている。
働く中でそんな事実を、思い知ったというわけです。
何よりもいまの自分が、たくさんのものを与えてもらってここに存在しています。
言い換えるなら、先人たちの襷を受け取っていまを生きているわけです。
次の世代にいかに襷をわたすかを、考えるのはもはや必然です。
先輩に奢ってもらった経験は、後輩に還元してなんぼです。
もらうだけもらってパタリと死ぬのは、さすがに無責任な気がします。
受け取った襷は、次の世代にわたさなければなりません。
アニメ化で話題になっている魚豊先生の『チ。』も、まさにこういうお話です。
どこまでいっても「継承」は、人類のひとつのテーマなのだろうなと思います。
自分にしかできないことなんて、体調と共に停止して寿命と共に失われます。
だからこそ、自分が死んだあとを生きる人への継承を考えなければなりません。
ただその前に、継承に値する価値のあるものを発見しておく必要があります。
生きているうちにできることなんて、きっとこれくらいです。
そんなことを言いながら、やることはおそらく変わりません。
限られた人生を、ただただ全うするのみです。
意識の高いくそ真面目な生活を送ろう、という話ではありません。
自分の小ささを嘆こう、という話でもありません。
ひとりで全部をやろうとするな、という話です。
時を超えても仲間はいるぞ、という話です。
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