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出会いはご褒美


2024年10月29日(火)朝の6:00になりました。

どれだけ喉が痛くても、朝の6:00はやってきます。

どうも、高倉大希です。




最近、とてもよい絵本に出会いました。

その作家さんのほかの作品にも、手を伸ばしてみようと思います。


最近、とてもよい滝に出会いました。

時間があるときには、また足を運んでみようと思います。


よい出会いは、ご褒美です。

どうにかこうにか頑張って暮らしていると、時々もらうことができます。


つまり、才能というのは、「ご褒美を見つけられる力」のことなんじゃないだろうかと。「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。

ほぼ日刊イトイ新聞(2019)「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた」ほぼ日


新しいものに出会いやすい状況を、意図してつくることは可能です。

ところが、本当によいものに出会えるかどうかは運でしかありません。


できるだけ間口を広げたら、あとは見逃さないようにじっと目を凝らします。

それでも一向によいものに出会えない、なんてこともわりとよくある話です。


本当はよいものなのに、それをよいと思えるだけの技量がない。

そんな可能性だって、十分に考えられます。


もっとも、偶然を生かすことと、偶然に振り回されることは、似て非なるものであることは、いうまでもないことである。一所懸命に行為してゆくにしろ、どこかに偶然がはいりこんでくるゆとりを残しておくことは、大人であるための条件のひとつといっていいだろう。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


だから、ものの見方や考え方を更新することもおなじくらい重要です。

どれだけ間口を広げようとも、解釈ができなければどうしようもありません。


そのせいで、間口を広げる努力を簡単にやめてしまったり。

必要以上に、隣の芝生が青く見えてしまったり。


そして、行き着いた先でこんなことをつぶやきます。

「ああ、なにかおもしろいことが起こらないかな」


高校野球の甲子園大会を考えてみてください。みなさん、思ったことはないでしょうか?賞金がもらえるわけでもないし、仕事でもないのに、なぜ高校球児たちはあれほどまでに野球に情熱を燃やすことができるのか、と。彼ら高校球児は一体どのような恩恵を受け取っているのか、何を目指しているのかというと、「勝てばまだこのチームで試合を続けることができる」ということそのものです。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


あのご褒美がなければ、いまの自分はありません。

あの暮らしがなければ、そもそものご褒美もありません。


よい出会いは、ご褒美です。

どうにかこうにか頑張って暮らしていると、時々もらうことができます。


きっとこの世は、まだ見ぬご褒美だらけです。

退屈することがなさそうで、何よりです。






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