恥の多い生涯を
2023年9月16日(土)朝の6:00になりました。
てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。
どうも、高倉大希です。
近所のおじさんに、自転車に乗るコツを聞いたことがありました。
すると、おじさんはこう答えました。
「たくさん転ぶことだよ」
子どもながらに「なに言ってんだこいつ」と思ったことを、いまでもはっきり覚えています。
怖いし、痛いし、恥ずかしいし、自ら転ぶ人なんているはずがありません。
もちろん、おじさんが言いたかったことはわかります。
たくさん転ぶくらい、何度も練習することが大切だということだったのでしょう。
残念ながらそのアドバイスは、少年には響きません。
求めていた答えとは、まるでちがったものでした。
ただ、結果的には何度も転んで乗れるようになりました。
転ぶ恥ずかしさを乗り越えて、乗れるようになりました。
大人になって、恥ずかしいという感情の主語が、つねに自分であるということに気がつきました。
自分にとって都合がわるいと、恥ずかしいと思います。
大抵の場合、他者からすれば大したことではありません。
本当にどうでもよいことを、自分だけが恥ずかしいと思っているのです。
恥ずかしいと思うその瞬間、主観と客観に大きな差が開きます。
そのせいで、多くの人が歩みを止めてしまいます。
恥ずかしさは、ときにその人の挑戦を妨げます。
恥ずかしさは、ときにその人を魅力的に映します。
恥ずかしさとは、ときにその人の苦しみを生みます。
恥ずかしさとは、ときにその人の楽しさを生みます。
恥の多い生涯を送って来ました。
太宰、そういうことだったのか。
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