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本を読まないということは
2025年2月1日(土)朝の6:00になりました。
毎朝6:00投稿を、25ヶ月つづけました。
どうも、高倉大希です。
本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。
小説家、太宰治の言葉です。
本なんて、読まないに越したことはない。
冒頭の言葉をそう解釈した人は、孤独のことを悪だと捉えている人です。
本なんて、読むに越したことはない。
冒頭の言葉をそう解釈した人は、孤独のことを善だと捉えている人です。
君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。(中略)君の文学には、どだい、何の伝統もない。チェホフ? 冗談はやめてくれ。何にも読んでやしないじゃないか。本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。
太宰の文脈は、後者です。
言葉の節々から、彼の怒りを感じます。
本を読まないお前たちは、何にもわかっちゃいやしない。
そう、訴えかけているわけです。
孤独を知らない奴は、ダメだ。
言い換えるなら、こうなります。
ぼくは、ひとりの時間を持たない人は、どこか嘘があると思う。できれば、ひとりの時間を持っている人や、それを経験してきた人と付き合っていたいんです。
孤独に苛まれている人は、やや面倒くさい印象です。
ところが、孤独を上手に扱う人は何だかすこし魅力的です。
ひとりの時間を持っている人や、それを経験してきた人と付き合っていたい。
言い得て妙だなと、思います。
言葉の裏にある思考量を、容易に想像することができる。
そんなふうに言うことも、できるのかもしれません。
「孤独」ということを、どこまで自分の中に呑み込んで、つきつめていけるか。そしてその上でどこまで風通しよく生きていけるか。それを目指していこう、と。
孤独は、前提だ。
詩人である、谷川俊太郎さんがおっしゃっていました。
孤独であることに、頭を抱えても仕方がありません。
孤独はいつだって、そばにあるものだからです。
誰かと一緒にいれば、孤独がなくなるというわけではありません。
孤独はいつだって、そばにあるものだからです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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